砂漠
第一節
 真上から照りつける陽光の鋭さたるや。
 東西南北を分け隔て無く。地平線までを覆いつくす黄土の大地。
 明けて間もない一日の始まりには、青み掛かった二つの光点を浴びて、砂ばかりの世界も白く輝いて見えるのに。
 揚々と天高く昇る二つの太陽は次第に大地を焦がし、熱砂より立ち昇る陽炎が、支子色(くちなしいろ)に塗れた世界をぐらぐらと歪みうねらせる。
 だが、斯様に不毛な黄色の中に、潤いをもたらす命の景色。
 クッキー型か何かで分厚いケーキを型抜きして、そのままぽんと置いただけ……そんな印象すら受ける、全周囲が崖ばかりの奇妙な山。
 惑星ティーリアに存在する六体陸中、中央大陸に倍する規模の陸地を持つ南方大陸。その五割近く占める大砂漠は、面積だけなら西方大陸全土に匹敵する広大さを誇る。そんな南方大陸中央部、全方位を砂漠に囲まれた中心地に、唯一湧き出す巨大なオアシス。鏡面のように曇りない空を写し取る、穏やかに澄み渡る命の源。
 そこに満々と湛えられる水を支えているのが、オアシス北東に位置する、垂直に切り立つ山。側壁だけでなく、山頂もまた遠めに見れば真っ平ら。人為的とすら思える造形を有すその山は、砂漠商都シェハーダタの住人からは、『チーズケーキ山』の愛称で呼ばれている。広い穀倉地帯を持ち、酪農も盛んなシェハーダタらしい愛称と言えよう。
 都市の街中にいる限りでは、大砂漠のど真ん中とは思えない程の活況。
 それでも、明々と照り付ける二つの日差し、水気と体力を奪う気温の高さ、郊外から風に乗り運ばれる砂、オアシスの側にあるにも関わらず酷く乾いた空気……何よりも、昼と夜と構わず遠景を延々と歪ませる蜃気楼が、ここが砂漠の只中であることを実感させる。
 そして、不規則に揺れる景色、その最中に。
 鈍(にび)色の二等辺三角形が、不意に浮かび上がった。

 ――その話を伝え聞いたのは、少し前。
 本当に、少し前。
 南方大陸は砂漠地帯辺境、砂漠に措いての交通の要とも言える、牽引動物。
 その動物達がこの最近に、相次いで魔物被害に遭っているというのだ。
 古今東西、常に人の脅威であり続ける存在、魔物。何処からとも無く現れて、人の生活を乱す……その有様を前に、意志のある災害と称す者もいる。
 だが、だからどうしたというのだ。
 災害だから手をこまねいて過ぎ去るのを待つというのか?
 そうじゃない、そうじゃないだろう!
 寒さを凌ぐに炎を使い、暑さを凌ぐに水を喚ぶ。風が吹けば壁を打ち立て、山が崩れれば降り注ぐ岩石を砕き割る。惑星ティーリアの人間はその叡智で得た魔術で以って、災害にすら抗い生き延びてきたではないか。
 それなら、それならば。
 『魔物』を相手にやるべきは一つ!
「叩き潰して先に行く! それが人間の生き方だろうがっ!」
 すらりと長い手足。その片腕に携えた長大な杖の底で床を打ち鳴らし、長身の青年――ゼノムは立ち上がる。
 肩口まで適当に伸びたアッシュブロンドの髪と、他種の布からなる民族的な着衣を翻しなびかせて、彼は迷いの無い足取りで宿を出た。
 強い意志を宿すアンバーの瞳。視線を巡らせ見上げた先、逆光に輝く二等辺三角形の機影が、その眼差しに映り込む。
「行くぞ、ライア!!」
 俺達の魂をみせてやるぜとばかり、地上から掛けられるゼノムの力強い呼び掛け。
 直ぐ様、巨大な三角形の影を落とす240mの機影……パートナーたる駆逐艦のコアが、呼び掛けに応じて輝いた。
 『星の乙女』――アストライアはウィンクでもするように、映り込む空よりも尚鮮やかな蒼穹の宝珠を煌かせ、その片方へとゼノムの身を招き入れる。
 異星人文明で言うところの、戦闘機を彷彿とするシルエット。俄に翻った体躯は、機首を南の方角へと巡らせ……ふと。
『南でいいの? 北にも居るみたいだけど』
 コアの内側に響く、若い女学生のような溌剌とした声。
 薄く色付く、コア越しの風景。浮遊感に体を預けながら、旋回に伴い上下左右と入れ替わる外の景色を見遣り、ゼノムは構わないと頷く。
「どっちでもいいさ、どうせ両方片付ける!」
 壁があるなら正面突破。
 何処にあろうと幾つ有ろうと、貫き壊して越えて行く。
 それが彼のやり方なのだ。

 ……かくして、二つ具えた蒼穹色のコアの片方にゼノムを乗せ、金に輝く噴炎を灯した機影は南への進路を取った。
 数刻と掛からぬ道中。結果的に後回しにした北の魔物には、工作艦のテトテトラと、保護者状態のパートナー・ダークネスが向かっているのだと聴いて、ゼノムは負けず嫌いが刺激されたのか「北より先に片付けてやるぜ!」と俄然やる気になっていた。
 益々以って時間が惜しい所だが、北は『メナスの近くの森』と場所が鮮明であるのに対し、南は『南の辺境』という漠然とした情報だけで、数ある大砂漠辺境のどこで事件が頻発しているのだかよく判らない。一箇所でなのか、砂漠全土に渡ってなのか、それすらもだ。
 そんな訳で、二人は一旦、南方大陸大砂漠の物流を一手に担う拠点、砂漠商都シェハーダタに被害情報が集まっていないかの確認をすることにした。いくらゼノムに魔物の生態に関する知識がや経験があるにしても、流石に『大砂漠の何処か』程度の曖昧さでは、役立つものも役立たない。一度発生した魔物相手なら――人の居る所に向かう事も多く、ある程度の動きの推測もできようが、こと『何処に発生するか』については、熟練の魔物狩りや騎士ですら真っ当に予測できたためしがない。絶対そこに居ると疑いようが無いのは、西方大陸の『魔の領域』くらいのものである。
 とまれ、西側から滑るように、蜃気楼を越えて砂漠商都へと飛来する翼持つ機体。
 ……これが辺境区の街だと、いきなりの飛来に街が騒ぎになったかも知れないが。シェハーダタは惑星ティーリア六大都市の中でも、始まりの街グリンホーンと共にごく初期から来訪者協調路線を表明し、その一環として都市間航空輸送の助力をする機動生命体専用発着場を準備してしまう位の、親機動生命体都市。
 誰に咎められる事も無く、気兼ねもする事無く、街の様子を街の側からじっくりと観察できるのは、アストライアにとってこの上ない優良環境である。
『見てー、あたしが映ってる』
 外径を金に彩られた白い噴炎を絞って、上空に一時停止。オアシス側の発着場へと機体を落ち着ける最中、鏡のような水面にくっきりと映し出される自身の姿に、アストライアは興味津々。全身を余す事無く投影するオアシスの水鏡に、機体を傾けてみたり、角度を変えてみたり……お出かけに身支度を整えるお嬢さんさながらだ。
 発着場に居る誘導員らしき人影も、随分活発に動いてるなぁ、と珍しいものを見るような眼差しでアストライアの機影を見上げている。平時の仕事で機動生命体の姿を見慣れているであろう彼らがそんな顔をするということは、他の機体はよっぽど静かに昇降しているか……多分、動かすにしても外装の駆動部を開閉するとか、手の代わりにサブアームを振ってみるとか、その位なのだろう。
 無機物的な外観なりに、はしゃいでいるのが伝わってきそうな、些か人間臭い動きを伴いつつも、アストライアの蒼穹色をしたコアの片方から、筋のような光がスポットライトのように地面へと伸びる。
 光はやがて細く衰えて消え失せ、代わりにその中から人影――熱砂を渡る風に着衣の裾をなびかせる長身が姿を現した。
 早速に、街へ向かおうとするゼノム……の背に、俄に精神感応で届くアストライアの声。
『ねーねー、これはなに?』
「ん?」
 足を止め振り向くゼノム。その視線の先に映るのは、鈍色機体の鼻先を通り過ぎていく団体。
 ふわふわ浮く荷台と、それを牽引する動物。そして、手綱を握り動物を操る商人らしき風貌の御者。
「商隊だな。引っ張ってるのがラクダで、乗ってるのは多分商人だろ」
『あれは〜?』
「どれだ?」
『四角い所にある、薄いのよ。ひらひらしてる〜』
「冷却の術だな。砂避けもしてるんじゃないか?」
 発着場の程近く、『甘味処』の看板を掲げた二階建ての建物。入り口や窓などの開口部にゆらゆらと揺らめく薄く白い半透明の膜は、暑さから来客を、風に運ばれてくる砂塵から飲食物を守る為に施された、いわゆる小規模な結界のようなものらしく、よくよくに見舞わせば街中の至る所、建物という建物の殆どに、ひらひらふわふわした薄い膜が漂っていた。
『いいなあ』
 刺すような日差しの中、緩慢に波打つ術のヴェールは、とても涼しげだ。
 同じ術を掛けて貰ったら、あのふりふりを着て飛べるかなあ、そんな期待交じりの小さな呟きが、早足で街中を行くゼノムの脳裏に響いていた。

第二節
 彼が、一年半振りの故郷の地を踏んだのは、遡ること数日前。
 南方大陸を照らす陽射しが、明け方の色から抜け出し、強さを増して間もなくのこと。
 それより更に数日前。砂漠商都シェハーダタで、山なりの幌を被せた商隊用の大型荷台を三つと、牽引用動物に『二爪蜥蜴(ふたづめとかげ)』を四頭借りて、キャラバン宜しく大砂漠へと繰り出した。
 縦に繋いだ荷台には、たんまりと詰まれた物資。鉄器、陶器、織物などの生活用品から、穀類、果実甘味浸け、干物などの食料、行軍用の水と保存食、それから、牽引動物用の餌を幾らか積んで、快調に進む砂漠の家路。
 二頭ずつの二列縦隊、先頭をゆく蜥蜴達は、ととと、たたた、と軽やかな足音を立てながら、長い尻尾をふりふり二足で駆け抜け、砂漠にY字の足跡四頭分だけを残し進み行く。右に左に、時折進路を逸れそうになるのを、御者台に腰掛け握った手綱で制しつつ――一見には代わり映えのせぬ砂漠の景色も、ここを故郷とする者には些細な違いも立派な目印。痩せ枯れた木、力強く緑を茂らせ孤高に生きる草、何か埋もれているのか丘のように大きく盛り上がった黄砂の坂道……そうそう、砂塵の具合で埋もれたり丸裸だったりと、来る度に毎度様子の違う三角岩は、今回は頭の部分四分の一くらいを、砂の中から覗かせていた。
 一年半振りに辿る道程の最中に一つ一つ見つける目印は、故郷へ近づいているという確かな証。それらを順に碧の瞳に捉える彼――ツァイ・ヴァージライの日焼けした面持ちも、無意識に緩んで行くようだ。
 大地から立ち昇る熱気が織り成す蜃気楼が消えて、地平線に台地状の山が見えれば、故郷まではあと数刻分の距離。
 変わらぬ故郷、変わらぬ友人、変わらぬ家族の出迎え。
 砂漠での最後の一夜を明かし、心持ち速度を上げて進む脳裏に、ふと過ぎるそんな光景。
 やがて見えてくる街の入り口。きっとあの人も変わっていないだろうなと、魔物避けの物見櫓に居るはずの馴染みの人物へ手を振って見せる。こちらからはまだ人影のあるなしが辛うじて判る所だが、見張り番は望遠や遠景投影の術が得意な者ばかり。物見櫓の人影には、砂色のターバンと外套を身に纏ったツァイが御者台から手を振る姿が、それはもうくっきりと見えていることだろう。
 ……しかし、どうしたことか。
 なにやら今日は様子が違う。人影は慌しく物見櫓を降り、何処かへ消えて……それから程なく、砂を蹴り上げ、街へと滑り込む蜥蜴達と共に辿り着いたツァイに、いつもならのんびりした足取りで出迎えてくれる家族や友人が、今日は血相変えた様子で駆け寄ってきたのである。
 砂漠商都へ向かおうとした飼育動物達が、次々魔物に襲われている。
 ――それが、ツァイが耳にした故郷の危機、第一報であった。

 燦々と陽光の降り注ぐ南の大地。
 天を巡る太陽二つの陽射しは青味掛かっているが、地平線まで続く目一杯の砂が弾く色に、眼前が黄金に輝いても見える。
 そんな世界の只中に、黄色い点がぽつんと一つ。
 空色の髪に被るは黄色のヘルメット。健康的に焼けた身に纏うのはオーバーオール。身を焦がす暑さを前にも柔らかい表情を崩さずに、なにやら板状の物体を携え砂漠を一人行く。
 この大砂漠を、単身で?
 ……と、シェハーダタでは散々に驚いた顔をされたものだが。故郷で冒険家、兼、地図作成家を生業としていたこの青年にとっては、『危険な土地』こそ冒険し甲斐のある、地図の作り甲斐のある、活躍に絶好の場なのだ。
 我が身一つ、己の足で砂の大地を進む彼――叶星(カナウボシ)は、大砂漠の詳細な地図作りに挑んでいる最中であった。
 荷車代わりに連れ歩く浮遊する台には、たんと準備してきた食料と水。冒険家として過ごしてきた叶星のこと、現地調達の心得も十分あるわけだが……不毛に続く砂の大地相手に、食材を探して直ぐに見つかるものでなし。特に水は、多少嵩張ってでも多めに持って行くべきだ。
 ただ、これが異星――遥か彼方、既に遠く離れた故郷の星であったなら、持ち歩きの体力も考慮せねばならず、積めるだけ積み込んで重量を増すのは逆に愚策。しかし、此処は惑星ティーリア。浮ぶ荷台をもってすれば、積荷の重さなど有って無い様なものである。
「や〜、便利なもんだべ」
 据えられた取っ手牽いて、さくさくと砂を踏み進む。
 幾度目だか振り向き見遣った台には、施された術が半透明の膜を張り、積荷を暑さから守ってくれている。効果としては流水に浸した程度の温度低下だが、上から下から延々と熱せられる環境を思えば、十分過ぎる冷却力だろう。
 そんな叶星は、時折立ち止まると、手にした板状の物体……タブレット端末を操作して、これまで歩いた道程と景色を三次元に記録する。中継都市に当たるシェハーダタから砂漠各所辺境へ、現在使われている通行路の地図も、街を出る前に取り込んでおいたのだが……
「う〜、何処いっちまっただ?」
 三次元地図を記録する為、さっきは記録用の画面に切り替えた。どうやらその時に見えなくしただけだったつもりの旧地図画像を、終了させてしまったらしく、元に戻す為の切り替えにちょっぴり手間取る叶星。
 なにぶん、彼は礎の民。宇宙に飛び出して始めて触れた文明の利器を前に、まだまだ不慣れでおぼつかないことも多々。しかし、識る事が好きな彼は、そうやって一つ一つを覚えて行く事も、楽しんでいる様子だ。
 程なく、元の画面に戻って一安心。再び歩みを再開する。
「あ〜、ほいだけおてんとさん出とると、いつも『でんち』一杯でええだな〜」
 太陽光充電式のタブレット端末。
 反射光に少々見づらい画面端、ちらりと表示される残存電力量は、このかんかん照りのお陰で常に満充電だ。
「ん〜、でも、熱いのは良くないだ。ちょっくら涼ませてやんべ」
 そうごちるや、端末を持った腕ごと、荷台の中へと突っ込む。
 膜に覆われた台の中は、外気に比べれば格段にひんやりと気持ちが良い。あんまりに心地よいものだから、オラも水飲むついでに暫く涼むべかなーと、端末を突っ込んでから改めて考えてみたりも……
 ……と、そんな上空が不意に暗くなり、また直ぐに明るくなる。
 どうやら、巨大なものが頭上を瞬く間に通り過ぎていったようだ。
 はて、なんであろうかと、叶星が空を仰ぎ見回せば、空の一点に急激に遠ざかっていく二等辺三角形の影が。
 この惑星でそんな巨大なものといえば、機動生命体しかない。
 そういえば……もう既に数日前の話になるが。既存地図を取り込んだりなんやかんやとシェハーダタで準備を進めていた折、『辺境区からの荷物未着多数。魔物の仕業の可能性有り。調査兼討伐隊の志願者募集』、といった求人が行われていた。
 万一、道中で強い魔物が出た際は、討伐隊を出せるように手配を……と、考えていた叶星にとっては、その手間を省く結果となった。お陰で、募集の話はよく記憶に残っている。
 もしかすると、今の機体は討伐関連だろうか。
 そんな事をぼんやり考えながら、叶星は機体の姿が陽炎に融け消えてゆくのを見守る。
 上空を過ぎ去った彼らが、自分に気付いていたかは定かでないが。どちらにしろ、今は己が一人きり。危険に遭うも遭わぬも、勘と経験が物を言う。
「ま〜、オラも気をつけるだ」
 相変わらず、柔らかい面持ちのまま、砂に包まれた周囲の景色を、金の瞳が巡り見た。

 到着の瞬間はそれこそ街中総出ではないのかと思う程に、よく無事戻ってきた、怪我はしてないか、道中何も無かったか……安堵と不安がない混ぜになった表情で、次々に声を掛けられたものだ。
 貴重な水辺に建つ、石造りの日除け屋根。涼を取る為に施された術の内側、冷気に護られた日影の中、魔物対策集会の様相を呈す人々の輪に混ざりつつ、ツァイはふとそんな事を思い返す。
 不幸中の幸いというべきか、今までの所、人的被害は出ていない。辺境住まいの者は皆、最低限戦う術を備えているがゆえ、動物が強襲されている間に牽制を仕掛けてどうにか逃げ延びる……くらいのことは、そう難しくない。
 辺境暮らしをしていれば、魔物に出会うのは一度や二度ではない。むしろ、これだけ一方的にやられるというのは珍しい方で、大抵は倒すまでには至らぬにしても、目眩ましなり足止めなりをしている間に動物や荷物諸共脱兎、引き返すなり目的地まで突破するなりできるものだ。魔物の強さはピンからキリまで多種多様、本当に弱い魔物であれば通行ついでに片付けてしまったりすることもある。
 無論、逆も然り。そして、今回はその逆を引いてしまったと言える。
 それにしても、やり過ごしすらままならずやられる一方だというのは、出没している魔物がよっぽど強いか、数が沢山居るか……
 これだけ辺境からの物資が滞っていれば、物流拠点であるシェハーダタの商会辺りが、そろそろ何かしらの対策を講じ始めているとは思うが……己が身を護るのは己。自分達の住まいと財産を護るのもまた、自分達自身の力である。解決までただ待つという行為は、辺境では逆に危険だ。近隣に騎士団か何か、頼れる専門機関があるなら話は別だが……どちらにしろ、専門家の助力を請うなり、自ら打って出るなり、何かしら『行動』せねば、魔物相手に事態を好転させることはできないのだ。
 物流の停滞と、貴重な財産の喪失に、些か沈みがちだった街の面々。しかし、ツァイが一年半分の稼ぎを物資に変えて持ち帰ってきたお陰もあり、減る一方だった備蓄は少し潤った。何より、『ツァイが無事に帰ってきた』という事実が、皆の陰鬱な感情の払拭に一役買ったようで、避暑建物内では若い衆が率先して活発に意見や情報の交換を行っていた。
 倒すにも追い払うにも、先ずは相手がどう言うものかを把握しなくてはなるまい。ツァイも手伝いにと集まりに加わり、出しゃばり過ぎない程度に皆の意見と情報を整頓していく。
「時間帯や場所に特徴はないのかい?」
「昼間の前後が多いな」
「場所は……んー、街から数時間離れた所、ってくらいしか解らないな」
「いつも使ってる道あるじゃん? あの辺なら何処でもでるっぽくてさ」
「いまんとこ、街近くまでは来ていみたいねぇ」
 むしろ、街にまで来る前にどうにかせねばなるまい。そんな意気を見せている一同に……ふと、日陰の隅で何やら遠方と念話通信してた一人が、皆を振り返って言った。
「隣街もやられてるらしいぞ」
 その言葉に、碧の眼差しを軽く伏せ、逡巡するツァイ。
 どうにも、頻度と範囲……隣街にあたる別の砂漠辺境の集落――片道で二日程度の距離だ――でも、同様に動物被害が出ていることを鑑みるに、複数の魔物が広範囲を闊歩して居るのかも知れない。最初に被害に遭った動物や積荷の食材を目当てに、他所から集まってきて、それがまた別の動物を襲って、それがまた次の魔物を呼び……と、被害が重なるうちに他所からの流入が加速していたりするのだろうか……?
「隣はもう動いてるかい? できるなら、隣にも手伝って貰おう。一度に複数を相手する事になるかも知れないし、張り込むにも倒すにも、人手は多い方がいいだろう」
 ツァイのその提案に、早速、隣街への打診を始める一同。
 ツァイ自身も今のうちに出来ることをしておこうと、談合の間は脇に置いていた二振りの刀剣を手に取って、腰に据え直しながら立ち上がる。
 ……その時、ふと。
 街の遠景に変わらず佇む山の頂が、見慣れた台形でなく、丸く盛り上がっている事に気付いた。
 碧の瞳を幾度か瞬き、少し癖のある濃紺の短髪を微かに揺らし、はてと首を傾げる。蜃気楼による見間違えでもなく、むしろ黒い盛り上がりは段々増して来ているようにも……
 暫し眉根を寄せて、ツァイはその様を眺めていたが、やがて「そうか」と合点がいったような呟きを溢した。
 盛り上がった瘤は、いつの間にか山頂から切り離され、丸く暗い穴のように青空に浮かぶ。
 惑星ティーリアと対を成す、不毛の双子星。
 星が真上へ至る時、魔力は高まり、術や技は威力を増す。誰しもが知る、暗褐色の双子星の効果。
 だが、もう一つ。平時は機構都市ツァルベルで魔具職人に師事し職人としての腕を磨いているツァイは、あの噂をよく知っている。星が魔都を頭上を渡る時、魔の領域から魔物が引き寄せられ押し寄せる、『大侵攻』という現象のことを。
「砂漠の魔物だって、幾らかは影響を受けるんじゃないか」
 張り込みをするなら、通用路と星の軌道が交わる地点が良さそうだ。そう考え、討伐作戦の仔細を相談する皆へと、提案に振り向いた……その先に。
 いつの間に、やって来たのか。
 長大な杖を手に立つ、見慣れない顔の、見慣れない風貌の男の姿が、碧の視界に映り込んでいた。

第三節
 民族的な意匠の着衣を纏い杖を手にした姿は、魔術師然としていて……ツァイは最初、その男――ゼノムの事を、転移の術で一足先に魔物退治へやって来た魔物狩りかと思った。
 彼が魔物を狩りに来たのは、間違っていない。
 しかしながら、専属の狩人かといえば、またそうでもない。
 人間である事を是とするゼノムは、人間の暮らしを護り、人間が栄える事を望んでいる。
 困っている人が居れば何処にでも現れる。魔物が人間の天敵だというのなら、俺は更にその天敵になってやる!
 ……アンバー色の双眸に宿るのは、そんな、前進しか知らないような、強い意志。そして、己の魔術と肉体で事を成してきたのだという雰囲気。何処か魔術師らしからぬ鍛えられ引き締まった肉体も、辺境を渡り歩く魔物狩りに見えた要因だろう。
 どちらにしろ、観光に来たようには見えない相手。個人活動なのか、先遣隊なのかは定かではないが、魔物に造詣の深い人物の助力を得られるとすれば、ツァイを始めとする街の人々にとっては願っても無い事だ。
 だから、ツァイは礼儀正しく。普段通りに物腰柔らかく、「初めまして」と声を掛けた。
「ようこそ、と言いたい所なのですが、只今、街の周囲で問題が起きておりまして」
 其処まで聴いた所で。
 ゼノムはみなまで言わずとも判るとばかり、自信の滲む面持ちで、笑って見せた。
「魔物だろ?」
 その言葉に、ツァイも柔らかな物腰はそのまま、小さな笑みと頷きで応じると、話が早いとばかり、相談の続く水辺の避暑所にゼノムを招く。
「お一人ですか?」
「パートナーも一緒だ」
 告げて、ゼノムが杖の先で街の外側、砂漠の方角を指し示す。
 水を育む台形の山とは別方向。遥か彼方、揺れ動く蜃気楼に映る景色とは、また別に。波打つ幻を背景に浮ぶ、鈍色の二等辺三角形。
 時折、身を翻すなりで、機体の角度を変えて居るのだろうか。やや機首寄りに据えられた二つの宝珠が、ちかちかと瞬くように陽光を跳ね返していた。
 紛れもない、機動生命体の機影。
 ツァルベルに居た時に、緑の毛玉のような機体――大長老が、荷運びに都市郊外を往来している姿なら、幾度も見掛けているのだが。あんな鋭いフォルムの機体も居るのだなと、不意にツァイの胸中に過ぎる、探究心に似た感情。
 ちなみに、遠巻きに見える機影は勿論、アストライアである。彼女があんな遠くに居るのは、いきなり街の上空に現れると住人を驚かせてしまうから、という配慮。大都市部であれば、前述の通り物資運搬で上空や郊外を飛んでいるのをそれなりに見掛けるが、こと辺境の場合は全く見た事が無いか、遥か上空に浮ぶ影を見た事があるかどうか、と言った所が大半である。
 とはいえ、当初は街へ向かうゼノムに対し「あたしもついていくぅ〜!」と駄々を捏ねて豪快に身を翻し、左右に張り出た両翼に煽られた砂が辺り一面を覆いつくし、一時は砂嵐さながらの光景に包まれる事となった。よくよく見ると今も彼女の周囲が何と無く黄色く濁って見えるのは、まだ落ち着ききっていない砂塵のせいに違いない。
 ……などど、二人の間に斯様な遣り取りがあった事はさて置き。
 数ヶ月前に発生した最初の侵略時、ツァイはツァルベルで仕事をしている際に、障壁が破られ守護塔三基が粉微塵に破裂した現場を見て居る。『強さ』という面で折り紙付きの機動生命体が今回の魔物駆除に参加するのなら、これ以上に心強いものもあるまい。個人的な事を言えば、機動生命体には色々と思う所もあるが……機構都市ツァルベルの守護塔修繕、魔都スフィラストゥールの魔物大侵攻での活躍など、惑星文明に貢献する話も色々と聞き及んでいる。
 良い奴も居れば、悪い奴も居る。きっとそれは、人間と同じ事なのだろう。
「お二人……に協力してもらえると、とても心強いです」
 厳密には違うのだが、かといってわざわざ『一人と一機』に訂正するのは失礼な気がして、多少の葛藤を挟みつつも、ツァイはそう答えた。
 ゼノムは任せておけ、魔物は叩き潰す! と頼もしい表情を浮かべるが。
「けど、俺にも生活あるからな、必要分は貰うぜ」
「退治報酬ですね。報酬か……」
 軽く顎先に指を宛がい、逡巡の間に起きる、暫しの沈黙。
 退治の依頼をすれば、何かしらの支払いが発生するかも知れない、それ自体はツァイも想定していたことだ。
 しかし、辺境では物々交換が主流。ツァイも現金の類はシェハーダタで物資に変えて、街へ持ち帰ってきたのは食料や日用品ばかり。街は街で、この所の魔物襲撃で重要な財産である動物を何体も失っているし、複数回に渡る損失の中には運搬中の特産品も含まれている。できるなら、これ以上街からの支出は避けたい。では、他に対価になりそうなものというと……
 思案する瞳に映るのは、ゼノムの手にする長大な杖。魔鋼は使われていないようだが、感じられる魔力からして、何らかの術が施された魔具であると分かる。それに、どうやら、あの多種の布で構成された着衣の下にも、魔装具か魔武器かを携えているようだ。職人としてのツァイの専門は刀剣鍛冶だが、他の魔具知識も職人の基礎として師事する親方から教わっている。ある程度なら、刀剣外の魔武器のメンテナンスもできなくはない。
「まだ修行中の身ではありますが、僕も魔具職人の端くれです。現物以外、武具のメンテナンスなども御代として用意出来ます。如何ですか」
「職人なのか! なら何か一つ魔具造って貰えるか」
「制作は、僕の得意な品で良ければ」
「交渉成立だな」
 言うや、迷いなく差し出されるゼノムの片腕。
 兎に角真っ直ぐな人なのだなと、言動から人となりを測りながら、ツァイはその手を握り返した。
「宜しくお願いします。支払いは退治後になりますが、構いませんか?」
「ああ。魔物が先だ!」
 倒すべき魔物は北にもまだ居る。
 そして、それを倒そうとしている奴もいる。負けていられない!
 僅かな時間も惜しいのか。ゼノムは直ぐ様に、砂漠へ向けて身を翻した。

 ――代わり映えのせぬ景色。
 抜けるような青から、天高く降り注ぎ身を焦がす陽光。
 いつの間にどの程度動いたかすら、よく判らなくなる、大砂漠のありふれた光景。
 この地に足を踏み入れた者の幾らかは、暑さによる疲労が注意力低下を招き、方向感覚の狂いに拍車を掛けて、やがて行くも戻るも適わずに、命を落とす事もある。
 しかし、初めての土地で、大雑把な地図と己の感覚のみを頼りに進んでいる割に、叶星の足取りは危なげない。測量と冒険で培われた確かな経験と……叶星の持つゆるい雰囲気が、妙な安定感を醸し出しているのだろう。
 今の所は順調そのもの。とはいえ、動物を使っても端まで辿り着くのに数日は掛かる大砂漠。それを歩き調べ、しかも、新しい行路開拓を目標としてのものともなれば、道一つ調べ終えるにも時間が掛かるのは当然だ。
 だが、安全安心の叶星印の地図を創る為。信頼性の向上の為に妥協は一切許さない。仕事であれ趣味であれ、やると決めたことには真摯に取り組み遣り遂げる、それが叶星なりの信念だ。
 ……まぁ、人好きのする顔立ちに、やや小柄な背丈、ポケットというポケットに必要な物を詰め込んで見事に膨れ上がったオーバーオールと、端から見る限りに於いては和み成分の方が多数を占めている気がするが。
 頑健な足腰でえっちらおっちら。こんな場所もあるのかと、見回す周囲はいつの間にか表情を変えた砂漠――砂砂漠(すなさばく)から、礫砂漠(れきさばく)へ。不毛な光景が続くのは同じだが、いつの間にか砂から砂利へ変わった足元、踏み締めた靴底から聞こえる音はじゃりじゃりと、何処か無骨さを思わせる響き。
 乾いた砂に足を取られる事はなくなったが、砂漠は砂漠。吹き抜ける風は乾き切って熱く、助長するように降り注ぐ陽光も、一向にその陽射しを緩める気配がない。
「あ〜、生き返るだー」
 少し草臥れた感のあった面持ちが、水分補給にぱああと輝いて、いつもの柔らかな顔立ちへと立ち返る。
 ほーっと息を付き、水筒を荷台に仕舞うと。自身も涼しい荷台に腰掛けて、両脚をぶらぶらとさせながら……小高く競り上がった砂利の丘から、見渡せる限りの地形を、タブレット端末へ記録してゆく。
 時折、片目を瞑り、手にした小さな測量器具と一緒に一点を見つめて……また記録。
「う〜、思ったより高さあんだべ」
 特技といえるまでに培われた観察力は、ポケットから取り出せる程度の小さな器具を使うだけで、距離や高低差をほぼ正確に把握する事ができる。彼が空間や気配の認識に優れた礎の民であるのも、観察による測量精度を大きく向上させているのは間違いない。
 全方位を一巡り、丘から見た地形を立体記録し終えると……ちょっぴり操作を間違えて、正確に入力できていない箇所もあるが、修正は後回しにしようと心で断じ、叶星は直ぐに荷台を引いて砂利の丘から移動を始める。
「ん〜、見晴らしはいいんだが、居心地が悪いべ」
 ざっと見回しても、動く物は見当たらなかったのに。
 なんだか、自分を見つめる妙な視線を感じた気がする。そして、その視線は、丘を降りる自分をずっと追い掛けているようにも思える。
 噂の魔物という奴だろうか。しかも、周囲を見回してもすぐ解らないなんて……擬態が得意な類だろうか?
「う〜、オラの勘が告げてるだ。急ぐべ急ぐべ」
 牽いて居た荷台を前に回し、浮いているのを利用して、漕ぐように押しながら加速を図る。
 ぞろり、と。
 進むとは逆の方向、遠景にあった砂の塊が液体のように蠢いたのは、その時のことだった。

第四節
(お化粧って、こんな感じなのかなあ)
 右に左に体躯を傾け、後部に向かって張り出た翼部分で大地を仰ぐ度、ぶわぁぶわぁと舞い上がる細やかな砂。
 砂漠に佇み待つ間、些かに手持ち無沙汰な様子で居る、240mの乙女だったが。
『ライア、始めるぜ!』
『こちらアストライア、了解したわ』
 遠景に切り立った山を望む、遠く離れた街並。そこに居るゼノムから届いた精神感応に応じて、砂の上に浮ぶばかりだった鈍色の機影が、天高くへと舞い上がった。
 高度の上昇と共に、より遠く、より広がる索敵視野。
 探すべきは眼下、大砂漠を蠢く小さな影だが……アストライアが浮き上がるより更に上空、逆光を浴びて通り過ぎていった銀色の巨影は、ディアナ・ルーレティアだろうか。
 軽やかに翻る、二等辺三角形。240mの体躯が、その身に具えるコアと同じ蒼穹の空を旋回、乾ききった地を這う不埒な者共を探し、螺旋を描くように索敵範囲を広げてゆく。
 ――作戦は、至って簡単。
 アストライアが追い込んで、ゼノムが魔術で殲滅する。これだけだ。
 無論、見つけたら兎に角追えば良いと言うものではない。不毛の砂漠とはいえ、辺境には人が住み、人が行き交う、人の領域。闇雲に追い立てて適当にどかんとやらかして、うっかり山でも吹っ飛ばそうものなら、辺境生活に後遺症を残す大惨事を引き起こしてしまうだろう。
(水や空気って、人にはなくてはならないものなのよね?)
 宇宙空間でも何の支障もなく活動できる機動生命体にとって、特定の物質を必要とする感覚は、今一つ良く判らない。活動に必要なものも、自身が溜め込むエネルギーのみ。そのエネルギーも、黙っていれば勝手に回復してゆく。
 シェハーダタで見ていたとき、女の子達は楽しそうにお茶やお菓子を頂いていた。生命活動の為に摂取する『食事』とはまた別の、楽しむ為に摂取する『嗜好品』という存在。食べるという行為すら必要のない機動生命体にとっては、不思議かつとても興味深い行動だ。
 勿論、嗜好品の摂取は自体は、老若男女問わずの行動だが……こと、アストライアが感心を抱き、理解を深めたいと思っている『女の子』達は、お菓子や甘い飲み物を好んで摂取していたように思う。同じ店で休息を取る男性などとは、選択肢の基準が違っているのではないだろうか。
 さりとてに、どんなに思いを馳せても、飲食の出来ない自分がティータイムを真似るのは不可能。
(おしゃれだけでもしてみたいなあ)
 可愛らしいレースや花で身を飾り、鏡の前で我が身を見ながらくるりと一回転……
 発着場から覗き見た服飾雑貨店で、あの時見たお嬢さんの動きを真似るように、広げた両翼に風を孕み、旋回ついでにくるりと回ってみるアストライア。
 青・黄・青と、一瞬で入れ替わる上下。
 ……その視界の中、黄土の大地に捉えた僅かな影を、彼女は見逃しはしなかった。
『ゼノム、一体発見したわ。これから誘導する』
 旋回と共に気持ちを切り替える様は、まるでデキる女学生のようである。
 これから、この魔物と……それ以外、近隣に居るはずの魔物達を纏めて、追い立ててゆかねばならない。
『ランデブーポイントに遅れないでね』
 精神感応を介してそう告げる彼女の声は、ウィンクでもしているようだった。

「任せとけ!」
 届いた声に、ゼノムが力強く応じる。
 ……が、その直後。
『それとね、さっきテトラから連絡があったの。北の魔物は片付け終わって、こっちに向かってるみたいよ』
「な!? 先を越されたか!」
 何やら悔しげな様子を見せるゼノム。
 ……同行していたツァイは、唐突に言葉を発し気難しい表情をするゼノムの様子に、少々驚いてみたり。そういえば、聞いたことがある。パートナーというものになると、お互いだけは離れていても意思疎通が可能になるのだと。相手限定距離無制限の念話の術のようなものか……と、日除けに巻いた砂色のターバンの下で、そんな事を考える。
 さて、そんな彼らが急ぎ足に向かうのは、アストライアの言ったランデブーポイント(合流点)。目印は、西から巡り来る暗色の巨星――魔力を高める双子星の進路と交わる、何もない砂の平地。
 魔物は大体、動く物を追い掛ける。
 単に腹が減っている、他生物からの魔術因子取り込みで力が強まる、変異した身体への苦痛を暴れて紛らわせている……など、今まで色々な説が唱えられていたが、正確な理由は良く判っていない。
 共食いによる変異の報告もあるが、それだけが目的なのかどうかも、はっきりとしない。
 ただ、魔力に当てられて凶暴化するなどの事例は、よく知られている。
 ……それらを踏まえて考えると。
 アストライアに空から強襲を受けた魔物は、恐慌を起こして双子星の魔力に惹かれ星のある方向に逃げるか、または、見るからに判り易く『動くもの』であるアストライアを我武者羅に追いかけ始めるか、このどちらか――それが、ゼノムが経験則から導き出した魔物の動き。
 逃げるのならそのまま追い立て、追うならば引き連れてくる。
 魔物とあの双子星の下で相見えるのは、今回の作戦に措いては必定なのだ。
 ……尚。当初は街の有志も同行するつもりだったが、魔術一斉殲滅に使える地形として選んだ合流点が、街から大分遠くなってしまった為、半数は万が一に備えて街の護りに残る事になった。助力予定だった隣街に至っては、丸一日掛かる距離になってしまった為、人手ではなくゼノムへ支払う報酬――ツァイが作成する魔具の半値相当の支援物資を、後日、街に届けてくれることになった。隣街も相応の被害を受けているだろうし、実質は分割後払いになるだろうけれど。
(それにしても……退治というより、殲滅だね)
 そのほうがより安全になって助かるけれどと、遥か遠くに見える機影を見遣……
「……?」
 碧の瞳に映り込んだ景色の中の違和感に、ツァイは思わず眉根を寄せる。
 少し離れた砂山の上を、黄色い点が動いて……
 ……あれは、人ではないか?

 ――時は少し遡り。
 脱兎の如く礫砂漠の丘を下り、得体の知れない魔物がしつこく追い掛けてくる気配を、背面に感じながらも……調べたばかりの地形も上手く使い、何とか徐々に距離を離しつつあった叶星。
 銃も携帯しては来たものの。魔物というのは個体差が非常に激しく、人間のように何処が弱点だと決まっている訳ではないらしい。特に、今後に居る奴は、砂が寄り集まって出来た砂のお化けみたいな奴だ。鉛玉を当てて効く『中身』があるのかどうかすら解らない。
 餅は餅屋。こういうのは、専門家に任せるに限る。
「う〜、早いとこ報せるだー」
 幸い、得意の危険回避でかなり距離がある段階で相手に気付くことが出来た。回り道しての引き離しも効果が出ているようだし、直ぐに追いつかれる様子はない。万が一、距離を詰められたり、別の魔物が出てきた時に備え、牽制用の投げナイフをいつでも使えるよう準備し……
 ……状況を観察すべく素早く巡らせた金の眼差しは、天を舞い金に縁取られた白い光線を地へ放つ、鈍色の機影を確かに捉えた。
 あの二等辺三角形のシルエットは確か、数刻前にシェハーダタの方角から自分の頭上を飛び越えていった機動生命体ではあるまいか。
「あ〜、討伐隊に違いないべ」
 間違いなく、何かと戦っている――いや、違うか?
 叶星の優れた観察力は、弧を描くように身を捻り砂塵を巻き上げるような角度で光を放つその動きが、地上に居る何かを一定方向へ追い立てているのだと気付かせた。
「あぁ〜、あっちに本隊がいるだな」
 目印は黒い星!
 そうと判れば一目散、叶星は波を打つ黄土の隙間を縫うように進む。いつの間にやら空色の髪からずれ落ちて、視界を塞ぎそうになったメットをぐいっと押し上げ、小高く盛り上がった砂山を一気に駆け上った。
 そして、山頂を越えた先の光景に、彼は自身の判断が間違っていなかったことを知る。
 かくして、ツァイは砂山を越えたその姿を、丁度目撃した訳だが。何処をどう考えても、叶星は唐突に現れた謎の人物以外の何者でもなく。
「お知り合いですか?」
 と、小首を傾げてゼノムに問うてみるものの。
「いや」
 違うらしい。
 だがそれよりも。面持ちは柔らかいままではあるが、些か切羽詰った様子で坂を下る黄色い帽子の彼の後ろ、程なく砂山を越えてきたあれは……魔物ではないか!
 ここまで状況が整えば誰が見ても一目瞭然。
 ツァイは咄嗟に砂色の外套を翻し、日焼けした指先を駆け込んでくる人影へと差し向ける。
「暑くなりますが、我慢してください!」
 差し向けた掌に、指先に、集い蟠る魔力の流れ。それに呼応して、身に付けた曇り銀の古びた腕輪が、鈍く褪せた煌きを宿し……集積した魔力が一瞬、温かな光を放った。
 刹那、叶星の身体が、同じ色の光に包まれ、そして。
 急激にぽかぽかと温まる身体。なるほどこれは確かに暑い。暑いが……
 踏んで、蹴って。同じように駆けぬけたつもりが、叶星の体はたった一歩で、砂山の中ほどにまで距離を進めていた。
「お〜、これは凄いだ」
 体温上昇と共に劇的に向上した身体能力。そんな感心をしている程度の間にも、背後の脅威との差はどんどん広がってゆく。即行で汗だくにはなってしまったが、それをして余りある効果だ。
 あともう少し。叶星は伴ってきた荷台を持ちうる力で目一杯に押し出すと、勢い付いた浮遊する台へと飛び乗って、人影の集う場所へと滑り込むように辿り着いた。
「あ〜、助かっただ。ありがとさんだべ」
「後は任せろ!」
 後方で身構える街の有志の輪に、汗を拭いつつ加わっていく叶星を横目に。
 アンバーの双眸が見据える眼前、宙返りするように旋回する、鈍色の機影。一拍遅れて吹き込んできた強風が、砂塵と共に彼の纏う民族的な着衣を大袈裟にはためかせる。
『全部で六体……と、もう一体かな。お願いね』
 機体後部に具えた噴気孔に金縁の噴炎を灯し、上空へと舞い上がっていくアストライアから、直接脳裏へと届く声。
「ああ、見せてやるろうぜ、俺達の魂!!」
 すらりと長い足で砂を踏み、ゼノムは携える長大な杖を、長い腕で振り上げる。
 直後、糸引くように棚引き辺りを包んでゆく砂塵の中に、人とは異なった形の幾つもの影……魔物の姿が浮かび上がった。
 上空を舞うアストライアが、今一度にその身を取って返す。
 真下へと向けられる主砲。その先端に灯る白い光が、地上で魔物に相対するゼノムの意志に応じ、輝きを増してゆく。
 陽光さながらの光を発し、砂塵にまみれた地を照らしながら、膨張するエネルギーの塊。
 そして、彼らは力を解き放つ。魂を込めて。
 ぽっ、と。放たれた光が、落下の最中に円錐形へと変わる。円錐はやがてその表面に螺旋の溝を刻み、回転し、唸りを上げ――
「ドリルは俺の魂だ!!」
 光球より転じ生まれた、金に輝く白色の穿孔刃が、寄せ集められた魔物へと真っ逆様に振り落ちた。

第五節
 轟いた筈の魔物の断末魔は、風を引き裂き大地を抉り取る勇ましい音に掻き消された。
 声だけに飽き足らずその肉体すら、全てを貫き砕く巨大な螺旋の前には、原型を留ること適わなかったか。
 次第に舞い上がる砂塵が落ち着き、辺りを見渡せる程度の視界を取り戻しても。砂の大地の上には、細切れになった何かの残骸が、幾らか見て取れるだけだった。
 あっという間とはこのことか。
 大規模化した魔術の威力を目の当たりに、その場に立ち会った街の有志らは、ぽかんと佇むばかり。無理もない、と思う半面……ツァイ自身も暫くは、無言のまま辺りの様子を窺っていたものだ。
 はたと我に返ったのは、一仕事終えて舞い降りてきたアストライアの機影が、間近に迫った時。そういえば、彼女のことはパートナーだとしてゼノムに間接的に紹介されただけで、直接挨拶をしていなかったことを思い出したからだ。
 それに……機動生命体という存在自体にも、色々と興味がある。
「あの、初めまして。ご挨拶が遅れてすみません」
 人と接する時と同じように、礼儀正しく。ツァイは先ずは魔物退治を手伝ってくれた礼を述べ、改めて挨拶と自己紹介をする。何処となく距離を置いている感があるのは、やはり警戒心の表れだろうか。目の前であれだけのものを見せられた直後では、無理もないことだが。
 ……とはいえ、距離感があると思うのは、人間であれば。240mの体躯からすれば、数m程度の距離感など、大した差ではない。
『こんにちは! あたしアストライアっていうの……って、このままじゃ聞こえないわね。ゼノムぅ〜』
「ん? 通訳か?」
 訴えるように機体を左右に揺らし、両翼でぱたぱたと地を仰ぐアストライアに、アンバーの瞳を瞬くゼノム。
 ……一応、返事はあったようだが……彼女は何と言ったのだろう。
 巻き起こる風に髪と着衣と構わず煽られながら、端から見てわかるか否か程度の微かさで、首を傾げるツァイ。そんな彼に、叶星は黄色いメットと、浮んだ荷台が風に飛ばないよう押さえながら。
「あ〜、パートナー以外は、コアの中に入らないと、話せないべ」
 あれ、そういえば、この人とも挨拶が未だだった。
 にしても、何か感じる違和感……これは、もしや。
「失礼ですが、貴方は異星人の方でしょうか?」
「んだ〜。オラ、叶星て言うだ。ウーて呼んでくれればいいべ」
 地図を作っている最中に、魔物に遭遇してしまったのだと、事情を説明する叶星に、最初はなるほどと頷きはしたものの。
 てっきり、キャラバン移動中に動物を襲われ、仲間と逸れて命辛々一人だけ逃げ延びてきたものだと思い込んでいた辺境の街の皆さんは、後に当人から、荷台一個で己の足で歩いてきたと聞かされ、鳩が豆鉄砲を食ったような顔をする羽目になるのだが……それはさておき。
 先ほどはいきなり術を掛けてすみませんでしたと、一言入れるツァイに、叶星はいいさいいさお陰で助かったからと、人好きのする顔にやわらかい笑みを浮かべていた。
「あ〜、でも、これでやっと一つか〜」
 タブレット端末内に記録できた地図は、西側へ続く道ひとつ分。
 砂漠の各街への安全行路開拓の完遂には、どうやらそれなりに時間が掛かりそうだ。

 きらりと瞬く蒼穹の内側。
 不思議な浮遊感に包まれたここは、アストライアのコア内だ。
 直接話がしたい、というツァイの意図を受け、二つある片方へと、彼を招き入れたのである。
『あたしに聞きたいことってなぁに?』
 コア内に響く、若い女性の声。飛行物然とした外見と……パートナーのゼノムの人となりもあって、男らしい人格を想像していたツァイは、正直少し驚いた。
 とまれ、失礼は承知と前置きしつつ彼が尋ねたのは、『機動生命体は何を食べて動いているのか』『何で出来ているのか』。奇しくも、別の場所、別の時間。食事に関する疑問を利根川るりが大長老に聞いていたりするのだが……当人らがそれを知る由もない。
『食べるっていうのは、あたしたちには良く判らないの。エネルギーはじっとしてると溜まっていくものだから』
「じっとしているだけでいいのですか」
 先の魔物退治で見た……あれ程の強力な魔術を行使する力が、じっとしているだけで得られるとは、なんと便利で不思議な身体だろうか。
『身体が何で出来てるのか、かあ。金属よ、っていうのじゃだめかな?』
 人間が生まれた時に得た自身の肉体に対し、何で出来ているかと深慮を巡らせることが無い――皆無ではないにせよ、それは少数派であろう――のと同様に、機動生命体も改めて考え分析を行ってみない事には、自身の構成物がどういうものか知ることはできないようだった。
 無敵と呼ばれる装甲を持つ、意志を持った機械。
 しかし、機動生命体というその名の通り、彼らの我が身に対する認識は、人間のような生命体と然程変わらないのかも知れない。
 無論、人間に例外がいるように、別の個体に尋ねれば、また異なった答えが返ってくる事もあるはずだ。或いは、滞在地にあるという研究機関なら、当人たちよりも詳しい異星人の研究者が居たりもするのかも……
 そして、その滞在地でまさに無敵装甲の解析が行われたことを、ツァイが知るのはいつになるのか……

 さて一方。
『ねーねー、お留守番のおみやげは?』
「そういやそんな事言ってたな」
 そこでふと、ゼノムはシェハーダタを発つ直前の、アストライアとの遣り取りを思い出した。
『あの子可愛いなあ……』
 そう呟くアストライアの蒼穹のコアに映り込むのは……銀細工の髪飾りを付け、涼しげなワンピースに日除けの藤色のショールを羽織った若い娘が、霧のヴェールに護られた喫茶店のテラス席で、冷たい飲み物と焼き菓子で休息を取っている姿。
『あたしもあんなふうに、おしゃれしたい』
 溜息が聞こえて来そうな彼女の言葉に、機動生命体にも年頃の女の子ように悩む者も居るのだなと、ゼノムは感心と益々の好奇心を覚えたものだ。
 と、同時に。
 アストライアに対して明確な仲間意識を持っているゼノムは、仲間として彼女の願いを叶えてやろう、叶えてやらねばなるまいと、そんな思いも抱いたのだった。
「なあ。ライアが付けられるような、服とか、装飾品とか、そういうのは造れないか?」
「ライアさんのですか」
 間近に佇む三角形の機影を見遣り、俄に黙り込むツァイ。何しろ、この大きさ。対応する服飾品を果たして造れるものだろうか。むしろ其処までいくと服飾というより武装か装備かといった代物になる気がする。
「一時的なもので構わないのなら、幻術を使えば実現できそうですけれど」
 その言葉に、「おしゃれが出来るかも知れない!」と希望が見えたか。アストライアのコアが、今まで以上にきらきらと輝いているような、そんな気がする。
 何を考え、何に関心を抱いているのか……これはきっと、その答えの一つ。
(心の中も、僕らとそんなに変わらないのかな?)
 少なくとも、目の前にいる彼女は、年頃の人間の女の子と同じ物に興味を持っている。ツァイにはそう思えた。

 一連の騒動が終わって程なく。
 固めた雪を山盛りにしたテトテトラが、シェハーダタに到着したという精神感応があった。
 その際に、ダークネス――俺の先を越した男として、少なからず意識していたゼノムは、彼の発した言葉に敏感に反応を示した。
『なんだ、殲滅しちまったのか。発生源調べて潰しとこうと思ったんだが』
 魔物が生まれ出る土地が、この大砂漠の何処かにあるというのか?
 ……ならば、やるしかあるまい。
 探し出して、叩き潰す!
 一方、安全な地図の作成を目指す叶星にとっても、そんな最重要危険地域が存在するならば、絶対に地図に記しておく必要がある。
 それに――北の魔物退治の際、発生源と思しき場所から、量は少ないが赤い魔鋼が出たという。
 もしかすると、この辺境……故郷近くにも、知られざる魔鋼鉱脈が眠っている可能性もあるのだろうか? 俄には信じ難いが、魔具職人を志す者として気にならないかといえば嘘になる。
(一先ず、ライフラインの危機は去ったけど……)
 動物や特産品の喪失で、急に困窮してしまった辺境の故郷。
 鉱脈とまでは言わずとも、魔鋼の一つでも見つかれば、新しく動物を買う資金に位はできそうだが……
(どうしたものかな)
 気になること、気になる物。
 悩む者、決意新たにする者……錯綜するそれぞれの思惑を、西へ傾いだ二つの陽光が、ほんのりと赤く照らし出していた。


文末
次回行動指針
 W21.魔物は根こそぎ消毒だァー!
 W22.魔鋼は頂いた
 W23.もっと砂漠を旅し隊
 W24.砂漠以外も旅し隊

登場キャラクター
■【称号】キャラクター名(ふりがな)/種族/クラス/年齢/性別/

【PC】
■【魔武器職人】ツァイ・ヴァージライ/地上人/魔術師/22歳/男性/里帰り中。
■【地図屋】叶星(カナウボシ)/異星人/礎の民/19歳/男性/地図が完成するのはいつになるやら。
■【魂はドリル】ゼノム/地上人/魔術師/24歳/男性/熱血!
■【JK】アストライア/機動生命体/駆逐艦/不明/女性/おしゃれさん。

【NPC】
■ミシトラ/機動生命体/巡洋艦/72歳/無性/実は砂漠をうろうろしてました。

マスターコメント
 CORE本編に良くきたな!
 などと言っている場合ではない初回からの数々の失態に、誠に申し開きのしようも御座いません。

 さて、地上は辺境、大砂漠が舞台となりました。
 危急を要する魔物騒動は一先ず収束したようですが……? といった所でしょうか。
 今回の舞台となったツァイさん故郷の街と隣街は、南方大陸西南西辺り、地図でいうと左下のちっちゃい茶色(山)のすぐ上辺りだと思って頂ければ。
 北辺側の状況もあり、次回の指針は御覧のとおりとなっております。無論、放っておくのも自由ですし、指針にない事をするのもまた自由です。更に言えば、別シナリオの選択肢を選んで頂くのも自由となっております。
 そしてまた、必ずしも行動指針に従わねばならぬ訳でもありません。それっぽいものを選びつつ、実質は違った行動を取るのもまた自由です。
 何処へ行くも何をするも胸三寸。
 惑星ティーリアはそこに生きる者達のものなのです!
 ……と、格好よさげな事を言っておきます。

 なお、本文中でゼノムさんへの報酬として提示されている魔武器は、次回中に製造と受け渡しが行われます。この案件はキャンセルの指定等が無い限り、アクションに未記入でも次回中に自動で成功します。ツァイさんの得意な系統ですので刀剣類となりますが、詳細な種別や付加する効果に対し何らかの希望や指定が御座いましたらアクションにお書き添え下さい。

 それでは、またこの惑星でお会いできる事を願いつつ。