砂漠
第二節
 彼が、一年半振りの故郷の地を踏んだのは、遡ること数日前。
 南方大陸を照らす陽射しが、明け方の色から抜け出し、強さを増して間もなくのこと。
 それより更に数日前。砂漠商都シェハーダタで、山なりの幌を被せた商隊用の大型荷台を三つと、牽引用動物に『二爪蜥蜴(ふたづめとかげ)』を四頭借りて、キャラバン宜しく大砂漠へと繰り出した。
 縦に繋いだ荷台には、たんまりと詰まれた物資。鉄器、陶器、織物などの生活用品から、穀類、果実甘味浸け、干物などの食料、行軍用の水と保存食、それから、牽引動物用の餌を幾らか積んで、快調に進む砂漠の家路。
 二頭ずつの二列縦隊、先頭をゆく蜥蜴達は、ととと、たたた、と軽やかな足音を立てながら、長い尻尾をふりふり二足で駆け抜け、砂漠にY字の足跡四頭分だけを残し進み行く。右に左に、時折進路を逸れそうになるのを、御者台に腰掛け握った手綱で制しつつ――一見には代わり映えのせぬ砂漠の景色も、ここを故郷とする者には些細な違いも立派な目印。痩せ枯れた木、力強く緑を茂らせ孤高に生きる草、何か埋もれているのか丘のように大きく盛り上がった黄砂の坂道……そうそう、砂塵の具合で埋もれたり丸裸だったりと、来る度に毎度様子の違う三角岩は、今回は頭の部分四分の一くらいを、砂の中から覗かせていた。
 一年半振りに辿る道程の最中に一つ一つ見つける目印は、故郷へ近づいているという確かな証。それらを順に碧の瞳に捉える彼――ツァイ・ヴァージライの日焼けした面持ちも、無意識に緩んで行くようだ。
 大地から立ち昇る熱気が織り成す蜃気楼が消えて、地平線に台地状の山が見えれば、故郷まではあと数刻分の距離。
 変わらぬ故郷、変わらぬ友人、変わらぬ家族の出迎え。
 砂漠での最後の一夜を明かし、心持ち速度を上げて進む脳裏に、ふと過ぎるそんな光景。
 やがて見えてくる街の入り口。きっとあの人も変わっていないだろうなと、魔物避けの物見櫓に居るはずの馴染みの人物へ手を振って見せる。こちらからはまだ人影のあるなしが辛うじて判る所だが、見張り番は望遠や遠景投影の術が得意な者ばかり。物見櫓の人影には、砂色のターバンと外套を身に纏ったツァイが御者台から手を振る姿が、それはもうくっきりと見えていることだろう。
 ……しかし、どうしたことか。
 なにやら今日は様子が違う。人影は慌しく物見櫓を降り、何処かへ消えて……それから程なく、砂を蹴り上げ、街へと滑り込む蜥蜴達と共に辿り着いたツァイに、いつもならのんびりした足取りで出迎えてくれる家族や友人が、今日は血相変えた様子で駆け寄ってきたのである。
 砂漠商都へ向かおうとした飼育動物達が、次々魔物に襲われている。
 ――それが、ツァイが耳にした故郷の危機、第一報であった。

 燦々と陽光の降り注ぐ南の大地。
 天を巡る太陽二つの陽射しは青味掛かっているが、地平線まで続く目一杯の砂が弾く色に、眼前が黄金に輝いても見える。
 そんな世界の只中に、黄色い点がぽつんと一つ。
 空色の髪に被るは黄色のヘルメット。健康的に焼けた身に纏うのはオーバーオール。身を焦がす暑さを前にも柔らかい表情を崩さずに、なにやら板状の物体を携え砂漠を一人行く。
 この大砂漠を、単身で?
 ……と、シェハーダタでは散々に驚いた顔をされたものだが。故郷で冒険家、兼、地図作成家を生業としていたこの青年にとっては、『危険な土地』こそ冒険し甲斐のある、地図の作り甲斐のある、活躍に絶好の場なのだ。
 我が身一つ、己の足で砂の大地を進む彼――叶星(カナウボシ)は、大砂漠の詳細な地図作りに挑んでいる最中であった。
 荷車代わりに連れ歩く浮遊する台には、たんと準備してきた食料と水。冒険家として過ごしてきた叶星のこと、現地調達の心得も十分あるわけだが……不毛に続く砂の大地相手に、食材を探して直ぐに見つかるものでなし。特に水は、多少嵩張ってでも多めに持って行くべきだ。
 ただ、これが異星――遥か彼方、既に遠く離れた故郷の星であったなら、持ち歩きの体力も考慮せねばならず、積めるだけ積み込んで重量を増すのは逆に愚策。しかし、此処は惑星ティーリア。浮ぶ荷台をもってすれば、積荷の重さなど有って無い様なものである。
「や〜、便利なもんだべ」
 据えられた取っ手牽いて、さくさくと砂を踏み進む。
 幾度目だか振り向き見遣った台には、施された術が半透明の膜を張り、積荷を暑さから守ってくれている。効果としては流水に浸した程度の温度低下だが、上から下から延々と熱せられる環境を思えば、十分過ぎる冷却力だろう。
 そんな叶星は、時折立ち止まると、手にした板状の物体……タブレット端末を操作して、これまで歩いた道程と景色を三次元に記録する。中継都市に当たるシェハーダタから砂漠各所辺境へ、現在使われている通行路の地図も、街を出る前に取り込んでおいたのだが……
「う〜、何処いっちまっただ?」
 三次元地図を記録する為、さっきは記録用の画面に切り替えた。どうやらその時に見えなくしただけだったつもりの旧地図画像を、終了させてしまったらしく、元に戻す為の切り替えにちょっぴり手間取る叶星。
 なにぶん、彼は礎の民。宇宙に飛び出して始めて触れた文明の利器を前に、まだまだ不慣れでおぼつかないことも多々。しかし、識る事が好きな彼は、そうやって一つ一つを覚えて行く事も、楽しんでいる様子だ。
 程なく、元の画面に戻って一安心。再び歩みを再開する。
「あ〜、ほいだけおてんとさん出とると、いつも『でんち』一杯でええだな〜」
 太陽光充電式のタブレット端末。
 反射光に少々見づらい画面端、ちらりと表示される残存電力量は、このかんかん照りのお陰で常に満充電だ。
「ん〜、でも、熱いのは良くないだ。ちょっくら涼ませてやんべ」
 そうごちるや、端末を持った腕ごと、荷台の中へと突っ込む。
 膜に覆われた台の中は、外気に比べれば格段にひんやりと気持ちが良い。あんまりに心地よいものだから、オラも水飲むついでに暫く涼むべかなーと、端末を突っ込んでから改めて考えてみたりも……
 ……と、そんな上空が不意に暗くなり、また直ぐに明るくなる。
 どうやら、巨大なものが頭上を瞬く間に通り過ぎていったようだ。
 はて、なんであろうかと、叶星が空を仰ぎ見回せば、空の一点に急激に遠ざかっていく二等辺三角形の影が。
 この惑星でそんな巨大なものといえば、機動生命体しかない。
 そういえば……もう既に数日前の話になるが。既存地図を取り込んだりなんやかんやとシェハーダタで準備を進めていた折、『辺境区からの荷物未着多数。魔物の仕業の可能性有り。調査兼討伐隊の志願者募集』、といった求人が行われていた。
 万一、道中で強い魔物が出た際は、討伐隊を出せるように手配を……と、考えていた叶星にとっては、その手間を省く結果となった。お陰で、募集の話はよく記憶に残っている。
 もしかすると、今の機体は討伐関連だろうか。
 そんな事をぼんやり考えながら、叶星は機体の姿が陽炎に融け消えてゆくのを見守る。
 上空を過ぎ去った彼らが、自分に気付いていたかは定かでないが。どちらにしろ、今は己が一人きり。危険に遭うも遭わぬも、勘と経験が物を言う。
「ま〜、オラも気をつけるだ」
 相変わらず、柔らかい面持ちのまま、砂に包まれた周囲の景色を、金の瞳が巡り見た。

 到着の瞬間はそれこそ街中総出ではないのかと思う程に、よく無事戻ってきた、怪我はしてないか、道中何も無かったか……安堵と不安がない混ぜになった表情で、次々に声を掛けられたものだ。
 貴重な水辺に建つ、石造りの日除け屋根。涼を取る為に施された術の内側、冷気に護られた日影の中、魔物対策集会の様相を呈す人々の輪に混ざりつつ、ツァイはふとそんな事を思い返す。
 不幸中の幸いというべきか、今までの所、人的被害は出ていない。辺境住まいの者は皆、最低限戦う術を備えているがゆえ、動物が強襲されている間に牽制を仕掛けてどうにか逃げ延びる……くらいのことは、そう難しくない。
 辺境暮らしをしていれば、魔物に出会うのは一度や二度ではない。むしろ、これだけ一方的にやられるというのは珍しい方で、大抵は倒すまでには至らぬにしても、目眩ましなり足止めなりをしている間に動物や荷物諸共脱兎、引き返すなり目的地まで突破するなりできるものだ。魔物の強さはピンからキリまで多種多様、本当に弱い魔物であれば通行ついでに片付けてしまったりすることもある。
 無論、逆も然り。そして、今回はその逆を引いてしまったと言える。
 それにしても、やり過ごしすらままならずやられる一方だというのは、出没している魔物がよっぽど強いか、数が沢山居るか……
 これだけ辺境からの物資が滞っていれば、物流拠点であるシェハーダタの商会辺りが、そろそろ何かしらの対策を講じ始めているとは思うが……己が身を護るのは己。自分達の住まいと財産を護るのもまた、自分達自身の力である。解決までただ待つという行為は、辺境では逆に危険だ。近隣に騎士団か何か、頼れる専門機関があるなら話は別だが……どちらにしろ、専門家の助力を請うなり、自ら打って出るなり、何かしら『行動』せねば、魔物相手に事態を好転させることはできないのだ。
 物流の停滞と、貴重な財産の喪失に、些か沈みがちだった街の面々。しかし、ツァイが一年半分の稼ぎを物資に変えて持ち帰ってきたお陰もあり、減る一方だった備蓄は少し潤った。何より、『ツァイが無事に帰ってきた』という事実が、皆の陰鬱な感情の払拭に一役買ったようで、避暑建物内では若い衆が率先して活発に意見や情報の交換を行っていた。
 倒すにも追い払うにも、先ずは相手がどう言うものかを把握しなくてはなるまい。ツァイも手伝いにと集まりに加わり、出しゃばり過ぎない程度に皆の意見と情報を整頓していく。
「時間帯や場所に特徴はないのかい?」
「昼間の前後が多いな」
「場所は……んー、街から数時間離れた所、ってくらいしか解らないな」
「いつも使ってる道あるじゃん? あの辺なら何処でもでるっぽくてさ」
「いまんとこ、街近くまでは来ていみたいねぇ」
 むしろ、街にまで来る前にどうにかせねばなるまい。そんな意気を見せている一同に……ふと、日陰の隅で何やら遠方と念話通信してた一人が、皆を振り返って言った。
「隣街もやられてるらしいぞ」
 その言葉に、碧の眼差しを軽く伏せ、逡巡するツァイ。
 どうにも、頻度と範囲……隣街にあたる別の砂漠辺境の集落――片道で二日程度の距離だ――でも、同様に動物被害が出ていることを鑑みるに、複数の魔物が広範囲を闊歩して居るのかも知れない。最初に被害に遭った動物や積荷の食材を目当てに、他所から集まってきて、それがまた別の動物を襲って、それがまた次の魔物を呼び……と、被害が重なるうちに他所からの流入が加速していたりするのだろうか……?
「隣はもう動いてるかい? できるなら、隣にも手伝って貰おう。一度に複数を相手する事になるかも知れないし、張り込むにも倒すにも、人手は多い方がいいだろう」
 ツァイのその提案に、早速、隣街への打診を始める一同。
 ツァイ自身も今のうちに出来ることをしておこうと、談合の間は脇に置いていた二振りの刀剣を手に取って、腰に据え直しながら立ち上がる。
 ……その時、ふと。
 街の遠景に変わらず佇む山の頂が、見慣れた台形でなく、丸く盛り上がっている事に気付いた。
 碧の瞳を幾度か瞬き、少し癖のある濃紺の短髪を微かに揺らし、はてと首を傾げる。蜃気楼による見間違えでもなく、むしろ黒い盛り上がりは段々増して来ているようにも……
 暫し眉根を寄せて、ツァイはその様を眺めていたが、やがて「そうか」と合点がいったような呟きを溢した。
 盛り上がった瘤は、いつの間にか山頂から切り離され、丸く暗い穴のように青空に浮かぶ。
 惑星ティーリアと対を成す、不毛の双子星。
 星が真上へ至る時、魔力は高まり、術や技は威力を増す。誰しもが知る、暗褐色の双子星の効果。
 だが、もう一つ。平時は機構都市ツァルベルで魔具職人に師事し職人としての腕を磨いているツァイは、あの噂をよく知っている。星が魔都を頭上を渡る時、魔の領域から魔物が引き寄せられ押し寄せる、『大侵攻』という現象のことを。
「砂漠の魔物だって、幾らかは影響を受けるんじゃないか」
 張り込みをするなら、通用路と星の軌道が交わる地点が良さそうだ。そう考え、討伐作戦の仔細を相談する皆へと、提案に振り向いた……その先に。
 いつの間に、やって来たのか。
 長大な杖を手に立つ、見慣れない顔の、見慣れない風貌の男の姿が、碧の視界に映り込んでいた。
【第一節】   <<   【第二節】   >>   【第三節】