砂漠
第四節
(お化粧って、こんな感じなのかなあ)
 右に左に体躯を傾け、後部に向かって張り出た翼部分で大地を仰ぐ度、ぶわぁぶわぁと舞い上がる細やかな砂。
 砂漠に佇み待つ間、些かに手持ち無沙汰な様子で居る、240mの乙女だったが。
『ライア、始めるぜ!』
『こちらアストライア、了解したわ』
 遠景に切り立った山を望む、遠く離れた街並。そこに居るゼノムから届いた精神感応に応じて、砂の上に浮ぶばかりだった鈍色の機影が、天高くへと舞い上がった。
 高度の上昇と共に、より遠く、より広がる索敵視野。
 探すべきは眼下、大砂漠を蠢く小さな影だが……アストライアが浮き上がるより更に上空、逆光を浴びて通り過ぎていった銀色の巨影は、ディアナ・ルーレティアだろうか。
 軽やかに翻る、二等辺三角形。240mの体躯が、その身に具えるコアと同じ蒼穹の空を旋回、乾ききった地を這う不埒な者共を探し、螺旋を描くように索敵範囲を広げてゆく。
 ――作戦は、至って簡単。
 アストライアが追い込んで、ゼノムが魔術で殲滅する。これだけだ。
 無論、見つけたら兎に角追えば良いと言うものではない。不毛の砂漠とはいえ、辺境には人が住み、人が行き交う、人の領域。闇雲に追い立てて適当にどかんとやらかして、うっかり山でも吹っ飛ばそうものなら、辺境生活に後遺症を残す大惨事を引き起こしてしまうだろう。
(水や空気って、人にはなくてはならないものなのよね?)
 宇宙空間でも何の支障もなく活動できる機動生命体にとって、特定の物質を必要とする感覚は、今一つ良く判らない。活動に必要なものも、自身が溜め込むエネルギーのみ。そのエネルギーも、黙っていれば勝手に回復してゆく。
 シェハーダタで見ていたとき、女の子達は楽しそうにお茶やお菓子を頂いていた。生命活動の為に摂取する『食事』とはまた別の、楽しむ為に摂取する『嗜好品』という存在。食べるという行為すら必要のない機動生命体にとっては、不思議かつとても興味深い行動だ。
 勿論、嗜好品の摂取は自体は、老若男女問わずの行動だが……こと、アストライアが感心を抱き、理解を深めたいと思っている『女の子』達は、お菓子や甘い飲み物を好んで摂取していたように思う。同じ店で休息を取る男性などとは、選択肢の基準が違っているのではないだろうか。
 さりとてに、どんなに思いを馳せても、飲食の出来ない自分がティータイムを真似るのは不可能。
(おしゃれだけでもしてみたいなあ)
 可愛らしいレースや花で身を飾り、鏡の前で我が身を見ながらくるりと一回転……
 発着場から覗き見た服飾雑貨店で、あの時見たお嬢さんの動きを真似るように、広げた両翼に風を孕み、旋回ついでにくるりと回ってみるアストライア。
 青・黄・青と、一瞬で入れ替わる上下。
 ……その視界の中、黄土の大地に捉えた僅かな影を、彼女は見逃しはしなかった。
『ゼノム、一体発見したわ。これから誘導する』
 旋回と共に気持ちを切り替える様は、まるでデキる女学生のようである。
 これから、この魔物と……それ以外、近隣に居るはずの魔物達を纏めて、追い立ててゆかねばならない。
『ランデブーポイントに遅れないでね』
 精神感応を介してそう告げる彼女の声は、ウィンクでもしているようだった。

「任せとけ!」
 届いた声に、ゼノムが力強く応じる。
 ……が、その直後。
『それとね、さっきテトラから連絡があったの。北の魔物は片付け終わって、こっちに向かってるみたいよ』
「な!? 先を越されたか!」
 何やら悔しげな様子を見せるゼノム。
 ……同行していたツァイは、唐突に言葉を発し気難しい表情をするゼノムの様子に、少々驚いてみたり。そういえば、聞いたことがある。パートナーというものになると、お互いだけは離れていても意思疎通が可能になるのだと。相手限定距離無制限の念話の術のようなものか……と、日除けに巻いた砂色のターバンの下で、そんな事を考える。
 さて、そんな彼らが急ぎ足に向かうのは、アストライアの言ったランデブーポイント(合流点)。目印は、西から巡り来る暗色の巨星――魔力を高める双子星の進路と交わる、何もない砂の平地。
 魔物は大体、動く物を追い掛ける。
 単に腹が減っている、他生物からの魔術因子取り込みで力が強まる、変異した身体への苦痛を暴れて紛らわせている……など、今まで色々な説が唱えられていたが、正確な理由は良く判っていない。
 共食いによる変異の報告もあるが、それだけが目的なのかどうかも、はっきりとしない。
 ただ、魔力に当てられて凶暴化するなどの事例は、よく知られている。
 ……それらを踏まえて考えると。
 アストライアに空から強襲を受けた魔物は、恐慌を起こして双子星の魔力に惹かれ星のある方向に逃げるか、または、見るからに判り易く『動くもの』であるアストライアを我武者羅に追いかけ始めるか、このどちらか――それが、ゼノムが経験則から導き出した魔物の動き。
 逃げるのならそのまま追い立て、追うならば引き連れてくる。
 魔物とあの双子星の下で相見えるのは、今回の作戦に措いては必定なのだ。
 ……尚。当初は街の有志も同行するつもりだったが、魔術一斉殲滅に使える地形として選んだ合流点が、街から大分遠くなってしまった為、半数は万が一に備えて街の護りに残る事になった。助力予定だった隣街に至っては、丸一日掛かる距離になってしまった為、人手ではなくゼノムへ支払う報酬――ツァイが作成する魔具の半値相当の支援物資を、後日、街に届けてくれることになった。隣街も相応の被害を受けているだろうし、実質は分割後払いになるだろうけれど。
(それにしても……退治というより、殲滅だね)
 そのほうがより安全になって助かるけれどと、遥か遠くに見える機影を見遣……
「……?」
 碧の瞳に映り込んだ景色の中の違和感に、ツァイは思わず眉根を寄せる。
 少し離れた砂山の上を、黄色い点が動いて……
 ……あれは、人ではないか?

 ――時は少し遡り。
 脱兎の如く礫砂漠の丘を下り、得体の知れない魔物がしつこく追い掛けてくる気配を、背面に感じながらも……調べたばかりの地形も上手く使い、何とか徐々に距離を離しつつあった叶星。
 銃も携帯しては来たものの。魔物というのは個体差が非常に激しく、人間のように何処が弱点だと決まっている訳ではないらしい。特に、今後に居る奴は、砂が寄り集まって出来た砂のお化けみたいな奴だ。鉛玉を当てて効く『中身』があるのかどうかすら解らない。
 餅は餅屋。こういうのは、専門家に任せるに限る。
「う〜、早いとこ報せるだー」
 幸い、得意の危険回避でかなり距離がある段階で相手に気付くことが出来た。回り道しての引き離しも効果が出ているようだし、直ぐに追いつかれる様子はない。万が一、距離を詰められたり、別の魔物が出てきた時に備え、牽制用の投げナイフをいつでも使えるよう準備し……
 ……状況を観察すべく素早く巡らせた金の眼差しは、天を舞い金に縁取られた白い光線を地へ放つ、鈍色の機影を確かに捉えた。
 あの二等辺三角形のシルエットは確か、数刻前にシェハーダタの方角から自分の頭上を飛び越えていった機動生命体ではあるまいか。
「あ〜、討伐隊に違いないべ」
 間違いなく、何かと戦っている――いや、違うか?
 叶星の優れた観察力は、弧を描くように身を捻り砂塵を巻き上げるような角度で光を放つその動きが、地上に居る何かを一定方向へ追い立てているのだと気付かせた。
「あぁ〜、あっちに本隊がいるだな」
 目印は黒い星!
 そうと判れば一目散、叶星は波を打つ黄土の隙間を縫うように進む。いつの間にやら空色の髪からずれ落ちて、視界を塞ぎそうになったメットをぐいっと押し上げ、小高く盛り上がった砂山を一気に駆け上った。
 そして、山頂を越えた先の光景に、彼は自身の判断が間違っていなかったことを知る。
 かくして、ツァイは砂山を越えたその姿を、丁度目撃した訳だが。何処をどう考えても、叶星は唐突に現れた謎の人物以外の何者でもなく。
「お知り合いですか?」
 と、小首を傾げてゼノムに問うてみるものの。
「いや」
 違うらしい。
 だがそれよりも。面持ちは柔らかいままではあるが、些か切羽詰った様子で坂を下る黄色い帽子の彼の後ろ、程なく砂山を越えてきたあれは……魔物ではないか!
 ここまで状況が整えば誰が見ても一目瞭然。
 ツァイは咄嗟に砂色の外套を翻し、日焼けした指先を駆け込んでくる人影へと差し向ける。
「暑くなりますが、我慢してください!」
 差し向けた掌に、指先に、集い蟠る魔力の流れ。それに呼応して、身に付けた曇り銀の古びた腕輪が、鈍く褪せた煌きを宿し……集積した魔力が一瞬、温かな光を放った。
 刹那、叶星の身体が、同じ色の光に包まれ、そして。
 急激にぽかぽかと温まる身体。なるほどこれは確かに暑い。暑いが……
 踏んで、蹴って。同じように駆けぬけたつもりが、叶星の体はたった一歩で、砂山の中ほどにまで距離を進めていた。
「お〜、これは凄いだ」
 体温上昇と共に劇的に向上した身体能力。そんな感心をしている程度の間にも、背後の脅威との差はどんどん広がってゆく。即行で汗だくにはなってしまったが、それをして余りある効果だ。
 あともう少し。叶星は伴ってきた荷台を持ちうる力で目一杯に押し出すと、勢い付いた浮遊する台へと飛び乗って、人影の集う場所へと滑り込むように辿り着いた。
「あ〜、助かっただ。ありがとさんだべ」
「後は任せろ!」
 後方で身構える街の有志の輪に、汗を拭いつつ加わっていく叶星を横目に。
 アンバーの双眸が見据える眼前、宙返りするように旋回する、鈍色の機影。一拍遅れて吹き込んできた強風が、砂塵と共に彼の纏う民族的な着衣を大袈裟にはためかせる。
『全部で六体……と、もう一体かな。お願いね』
 機体後部に具えた噴気孔に金縁の噴炎を灯し、上空へと舞い上がっていくアストライアから、直接脳裏へと届く声。
「ああ、見せてやるろうぜ、俺達の魂!!」
 すらりと長い足で砂を踏み、ゼノムは携える長大な杖を、長い腕で振り上げる。
 直後、糸引くように棚引き辺りを包んでゆく砂塵の中に、人とは異なった形の幾つもの影……魔物の姿が浮かび上がった。
 上空を舞うアストライアが、今一度にその身を取って返す。
 真下へと向けられる主砲。その先端に灯る白い光が、地上で魔物に相対するゼノムの意志に応じ、輝きを増してゆく。
 陽光さながらの光を発し、砂塵にまみれた地を照らしながら、膨張するエネルギーの塊。
 そして、彼らは力を解き放つ。魂を込めて。
 ぽっ、と。放たれた光が、落下の最中に円錐形へと変わる。円錐はやがてその表面に螺旋の溝を刻み、回転し、唸りを上げ――
「ドリルは俺の魂だ!!」
 光球より転じ生まれた、金に輝く白色の穿孔刃が、寄せ集められた魔物へと真っ逆様に振り落ちた。
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