砂漠
第三節
 民族的な意匠の着衣を纏い杖を手にした姿は、魔術師然としていて……ツァイは最初、その男――ゼノムの事を、転移の術で一足先に魔物退治へやって来た魔物狩りかと思った。
 彼が魔物を狩りに来たのは、間違っていない。
 しかしながら、専属の狩人かといえば、またそうでもない。
 人間である事を是とするゼノムは、人間の暮らしを護り、人間が栄える事を望んでいる。
 困っている人が居れば何処にでも現れる。魔物が人間の天敵だというのなら、俺は更にその天敵になってやる!
 ……アンバー色の双眸に宿るのは、そんな、前進しか知らないような、強い意志。そして、己の魔術と肉体で事を成してきたのだという雰囲気。何処か魔術師らしからぬ鍛えられ引き締まった肉体も、辺境を渡り歩く魔物狩りに見えた要因だろう。
 どちらにしろ、観光に来たようには見えない相手。個人活動なのか、先遣隊なのかは定かではないが、魔物に造詣の深い人物の助力を得られるとすれば、ツァイを始めとする街の人々にとっては願っても無い事だ。
 だから、ツァイは礼儀正しく。普段通りに物腰柔らかく、「初めまして」と声を掛けた。
「ようこそ、と言いたい所なのですが、只今、街の周囲で問題が起きておりまして」
 其処まで聴いた所で。
 ゼノムはみなまで言わずとも判るとばかり、自信の滲む面持ちで、笑って見せた。
「魔物だろ?」
 その言葉に、ツァイも柔らかな物腰はそのまま、小さな笑みと頷きで応じると、話が早いとばかり、相談の続く水辺の避暑所にゼノムを招く。
「お一人ですか?」
「パートナーも一緒だ」
 告げて、ゼノムが杖の先で街の外側、砂漠の方角を指し示す。
 水を育む台形の山とは別方向。遥か彼方、揺れ動く蜃気楼に映る景色とは、また別に。波打つ幻を背景に浮ぶ、鈍色の二等辺三角形。
 時折、身を翻すなりで、機体の角度を変えて居るのだろうか。やや機首寄りに据えられた二つの宝珠が、ちかちかと瞬くように陽光を跳ね返していた。
 紛れもない、機動生命体の機影。
 ツァルベルに居た時に、緑の毛玉のような機体――大長老が、荷運びに都市郊外を往来している姿なら、幾度も見掛けているのだが。あんな鋭いフォルムの機体も居るのだなと、不意にツァイの胸中に過ぎる、探究心に似た感情。
 ちなみに、遠巻きに見える機影は勿論、アストライアである。彼女があんな遠くに居るのは、いきなり街の上空に現れると住人を驚かせてしまうから、という配慮。大都市部であれば、前述の通り物資運搬で上空や郊外を飛んでいるのをそれなりに見掛けるが、こと辺境の場合は全く見た事が無いか、遥か上空に浮ぶ影を見た事があるかどうか、と言った所が大半である。
 とはいえ、当初は街へ向かうゼノムに対し「あたしもついていくぅ〜!」と駄々を捏ねて豪快に身を翻し、左右に張り出た両翼に煽られた砂が辺り一面を覆いつくし、一時は砂嵐さながらの光景に包まれる事となった。よくよく見ると今も彼女の周囲が何と無く黄色く濁って見えるのは、まだ落ち着ききっていない砂塵のせいに違いない。
 ……などど、二人の間に斯様な遣り取りがあった事はさて置き。
 数ヶ月前に発生した最初の侵略時、ツァイはツァルベルで仕事をしている際に、障壁が破られ守護塔三基が粉微塵に破裂した現場を見て居る。『強さ』という面で折り紙付きの機動生命体が今回の魔物駆除に参加するのなら、これ以上に心強いものもあるまい。個人的な事を言えば、機動生命体には色々と思う所もあるが……機構都市ツァルベルの守護塔修繕、魔都スフィラストゥールの魔物大侵攻での活躍など、惑星文明に貢献する話も色々と聞き及んでいる。
 良い奴も居れば、悪い奴も居る。きっとそれは、人間と同じ事なのだろう。
「お二人……に協力してもらえると、とても心強いです」
 厳密には違うのだが、かといってわざわざ『一人と一機』に訂正するのは失礼な気がして、多少の葛藤を挟みつつも、ツァイはそう答えた。
 ゼノムは任せておけ、魔物は叩き潰す! と頼もしい表情を浮かべるが。
「けど、俺にも生活あるからな、必要分は貰うぜ」
「退治報酬ですね。報酬か……」
 軽く顎先に指を宛がい、逡巡の間に起きる、暫しの沈黙。
 退治の依頼をすれば、何かしらの支払いが発生するかも知れない、それ自体はツァイも想定していたことだ。
 しかし、辺境では物々交換が主流。ツァイも現金の類はシェハーダタで物資に変えて、街へ持ち帰ってきたのは食料や日用品ばかり。街は街で、この所の魔物襲撃で重要な財産である動物を何体も失っているし、複数回に渡る損失の中には運搬中の特産品も含まれている。できるなら、これ以上街からの支出は避けたい。では、他に対価になりそうなものというと……
 思案する瞳に映るのは、ゼノムの手にする長大な杖。魔鋼は使われていないようだが、感じられる魔力からして、何らかの術が施された魔具であると分かる。それに、どうやら、あの多種の布で構成された着衣の下にも、魔装具か魔武器かを携えているようだ。職人としてのツァイの専門は刀剣鍛冶だが、他の魔具知識も職人の基礎として師事する親方から教わっている。ある程度なら、刀剣外の魔武器のメンテナンスもできなくはない。
「まだ修行中の身ではありますが、僕も魔具職人の端くれです。現物以外、武具のメンテナンスなども御代として用意出来ます。如何ですか」
「職人なのか! なら何か一つ魔具造って貰えるか」
「制作は、僕の得意な品で良ければ」
「交渉成立だな」
 言うや、迷いなく差し出されるゼノムの片腕。
 兎に角真っ直ぐな人なのだなと、言動から人となりを測りながら、ツァイはその手を握り返した。
「宜しくお願いします。支払いは退治後になりますが、構いませんか?」
「ああ。魔物が先だ!」
 倒すべき魔物は北にもまだ居る。
 そして、それを倒そうとしている奴もいる。負けていられない!
 僅かな時間も惜しいのか。ゼノムは直ぐ様に、砂漠へ向けて身を翻した。

 ――代わり映えのせぬ景色。
 抜けるような青から、天高く降り注ぎ身を焦がす陽光。
 いつの間にどの程度動いたかすら、よく判らなくなる、大砂漠のありふれた光景。
 この地に足を踏み入れた者の幾らかは、暑さによる疲労が注意力低下を招き、方向感覚の狂いに拍車を掛けて、やがて行くも戻るも適わずに、命を落とす事もある。
 しかし、初めての土地で、大雑把な地図と己の感覚のみを頼りに進んでいる割に、叶星の足取りは危なげない。測量と冒険で培われた確かな経験と……叶星の持つゆるい雰囲気が、妙な安定感を醸し出しているのだろう。
 今の所は順調そのもの。とはいえ、動物を使っても端まで辿り着くのに数日は掛かる大砂漠。それを歩き調べ、しかも、新しい行路開拓を目標としてのものともなれば、道一つ調べ終えるにも時間が掛かるのは当然だ。
 だが、安全安心の叶星印の地図を創る為。信頼性の向上の為に妥協は一切許さない。仕事であれ趣味であれ、やると決めたことには真摯に取り組み遣り遂げる、それが叶星なりの信念だ。
 ……まぁ、人好きのする顔立ちに、やや小柄な背丈、ポケットというポケットに必要な物を詰め込んで見事に膨れ上がったオーバーオールと、端から見る限りに於いては和み成分の方が多数を占めている気がするが。
 頑健な足腰でえっちらおっちら。こんな場所もあるのかと、見回す周囲はいつの間にか表情を変えた砂漠――砂砂漠(すなさばく)から、礫砂漠(れきさばく)へ。不毛な光景が続くのは同じだが、いつの間にか砂から砂利へ変わった足元、踏み締めた靴底から聞こえる音はじゃりじゃりと、何処か無骨さを思わせる響き。
 乾いた砂に足を取られる事はなくなったが、砂漠は砂漠。吹き抜ける風は乾き切って熱く、助長するように降り注ぐ陽光も、一向にその陽射しを緩める気配がない。
「あ〜、生き返るだー」
 少し草臥れた感のあった面持ちが、水分補給にぱああと輝いて、いつもの柔らかな顔立ちへと立ち返る。
 ほーっと息を付き、水筒を荷台に仕舞うと。自身も涼しい荷台に腰掛けて、両脚をぶらぶらとさせながら……小高く競り上がった砂利の丘から、見渡せる限りの地形を、タブレット端末へ記録してゆく。
 時折、片目を瞑り、手にした小さな測量器具と一緒に一点を見つめて……また記録。
「う〜、思ったより高さあんだべ」
 特技といえるまでに培われた観察力は、ポケットから取り出せる程度の小さな器具を使うだけで、距離や高低差をほぼ正確に把握する事ができる。彼が空間や気配の認識に優れた礎の民であるのも、観察による測量精度を大きく向上させているのは間違いない。
 全方位を一巡り、丘から見た地形を立体記録し終えると……ちょっぴり操作を間違えて、正確に入力できていない箇所もあるが、修正は後回しにしようと心で断じ、叶星は直ぐに荷台を引いて砂利の丘から移動を始める。
「ん〜、見晴らしはいいんだが、居心地が悪いべ」
 ざっと見回しても、動く物は見当たらなかったのに。
 なんだか、自分を見つめる妙な視線を感じた気がする。そして、その視線は、丘を降りる自分をずっと追い掛けているようにも思える。
 噂の魔物という奴だろうか。しかも、周囲を見回してもすぐ解らないなんて……擬態が得意な類だろうか?
「う〜、オラの勘が告げてるだ。急ぐべ急ぐべ」
 牽いて居た荷台を前に回し、浮いているのを利用して、漕ぐように押しながら加速を図る。
 ぞろり、と。
 進むとは逆の方向、遠景にあった砂の塊が液体のように蠢いたのは、その時のことだった。
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