北辺
第一節
 巡る二つの陽光が、東の地平を白く染める。
 惑星ティーリアを訪れた、異星人と機動生命体。総じて『来訪者』と呼ばれる彼らの為に設けられた滞在地は、西方大陸随一の大都市・魔都スフィラストゥール……から、徒歩一日の距離にあった。
 この惑星に留まり始めてからはや数ヶ月。整地もされていなかった山脈麓の荒地はそれなりに『街』らしい姿となり、新たに立ち上がった組織の本部が置かれるなど、要所として人々に認知されつつある。
 そんな街の東側には、荒野が広がっている。
 人も住まず、だだっ広いその空間は、最低でも30m、最大では700mにもなる巨躯の持ち主――機動生命体らが留まるには、うってつけの広々空間であった。
 だが、そんな休憩所も、今は実に閑散としている。
 つい先刻、宇宙空間は太陽のある方位に敵襲の予兆である空間の揺らぎが観測され、多くの機動生命体がその迎撃のために天へ留まっているのだ。
 ……が、無論。
 それとはもう全く無関係に。
 滞在地から離れている者も、沢山居た。
 ……機械じみた外観に、感情なのか演算結果なのか、人類からすれば些か不可思議な心の動きをしてはいるが。
 機動生命体もやはり一個の生命であり、考えを持った個人に他ならないのである。

 ――西方大陸より、東へ。
 昇りゆく二つの太陽に立ち向かう形で進むは、細長くも巨大な機影。基調とする白は浴びる陽光に一際白さを増して輝き、施された青いラインとのコントラストを際立たせる。
 身に備えるコバルトブルーのコアには、青さを増しゆく空が映り込む。巨大な二つの宝珠が幾度か瞬く様は、徐々に高くなる陽射しが眩しくて、眼を顰めているかのようだ。
 ……が、昇る陽光の側、遥か彼方成層圏近くには、沢山の色取り取りの光点。
 あれは、宇宙へ迎撃に出ている、同胞らのコアの色。
(おそろしいことです)
 これが生身の人類だったなら、間違いなく『身震い』というものを起こしていたに違いない。
 己の心情にそんな思惑を過ぎらせながら、蒼白の噴炎を噴きつつ地上を行く。異星人が言うところの『銃』という武器、中でも、ショットガンや短筒と言われる種類を彷彿とする形状をした、この色白長身の機動生命体は、ジョナサンだ。
 いや、それにしても。
 日頃から訓練に参加してなくてよかった。
 ……上空に見える同胞の様子に、俄にそんな事を思う。うっかり輸送訓練なんかに参加していたら、そのままなし崩しに戦列に加えられてしまっていたかも知れない。
(実に、実に恐ろしいことです)
 ――ジョナサンは、平和主義であった。
 そもそもに母星勢力離反の理由が、好戦的で殺伐とした日々を倦んでというのだから、筋金入りと称して過言でないのかも知れない。
 そんなジョナサンは今、海を目指して地上近くを航行中。目的地は『奈落の口』。
 ……滞在地からであれば、西回りの方が圧倒的に早いのに、何故わざわざ東回りを選んだか?
 勿論、戦闘したくないからだ。
 西方大陸西部は、『魔の領域』と呼ばれる魔物山盛り地帯。そんな所を移動したら、魔物に山盛り出会ってしまうかも知れない。
 魔物が辿り着け合い高高度を飛べばいい? 何をおっしゃる。上空は今まさに、開戦の気配に殺伐としているではないか。そんな場所になど、少しも近づきたくない。
 冗談じゃない、たとえ時間が掛かっても、安全なルートを選ばせて貰うッ!
 ……と、いった具合で。
 ジョナサンがわざわざ最長距離に成り兼ねない東回り航路で、かつ、揉め事の少なそうな辺境地区や郊外伝いに地上付近を移動しているのは、そういう訳である。ちなみに、先ほど一度だけ荒野を単体でうろついている魔物に遭遇したが、少し高度と速度を上げて離脱しただけで、魔物はあっという間に何処かへ消えて行った。消えたというか、機動生命体の移動速度に付いて来れず、置き去りになっただけだが……ジョナサン的には戦闘回避できればそれで十分である。
 高出力は使わずに、普通の噴気孔二基にとろ火で蒼白の光を宿らせて、滑るように進む大地。眼下はいつしか荒野から草原地帯に光景を変えていたが……膝丈の草ばかりの景色は、なんだか大地に産毛が生えているかのようである。
 ふと、左舷やや遠くに、巨大な岩石質の山が聳え立っているのが、コバルトブルーのコアに映る。
(麓に緑が見えますね)
 大陸を南北を貫く山脈のせいで、西方大陸は東西で気候がかなり違う。東側には山脈に水分を奪い尽された風が吹き、肌が気になる乾きっぷり。一方、奪われた水分が雨となり降り注ぐ西側は魔物のパラダイスだというのが、何とも皮肉な話だ。もっとも、山が奪った水は大半が地下水として蓄えられている。水脈さえ判れば荒野の只中でも水がわんさと沸いてくれるし、東へ行けば行くほど空っ風が弱まり、海抜が下がって地面に水分が増えてくる為、荒野はやがて背の低い草木の生える緑の大地へと移り変わってゆく。
 それでも、草が生えても精々が膝丈の草原地帯という西方大陸東部の真ん中に、奇蹟とも言える緑濃い森林が存在するのは、孤高と聳えるあの山のお陰なのだろう。
 ……そう、下がる海抜。行く手に待つはつまり海。海!
 間もなく見えてくる、西方大陸東岸。
 気持ちは逸れど、急ぎはしないお散歩紀行。『奈落の口』へ向かうのは……調べたいからから、という心情に寄る所が前提ではあるが、今回に限っては『未知の地形の調査』と称することで、戦闘不参加の言い訳にも使っていたりする。じっくり調べている間に上の戦闘が終わってくれれば一番だ。
 左舷側を前から後へ、景色の一つとして流れて行った孤高の岩石山に別れを告げ、ジョナサンは青く広がる水平線へと巡航を続けてゆく……

 ……右手に見えていた二つの光点が、段々と後方へ流れていく。
 青空より高くに浮んでちかちかと瞬く色取り取りの光は、陽光の眩さに幾ばかりか掻き消されている――軽く見上げたはいいが、二つ分の太陽光はやはり眩しかったか。紺藍色のコアの中で、ダークネスが漆黒の瞳を細める。
 まぁ、宇宙は騒がしいが、出来る奴がやってくれるはずだ。無論、大変な状況であることに変わりはない。しかし、だからと言って、惑星の中で起きることを疎かにしては本末転倒。
 かくて彼は、伝聞で聞き及んだ砂漠方面での魔物被害を解消するべく、南方大陸へ向かっていた。
 ……向かっていたはず、なのだが。
「………」
 無精髭を撫でるように顎先に手を沿え、無言のまま考える。
 滞在地を発ち、西方大陸を離れて暫く。
 搭乗したコアの中から、薄く紺藍色に色付く周囲の景色を、改めて見遣る。
 眼下に広がるは、延々と広がる紺碧の海。左手には、何処までも続く青と青の境目が、水平線となって弧を描く。右手には、同じく眼下から続く海の青と、その先に、大陸があることを示す陸地の盛り上がりが見て取れる。
 そして、その陸地の上に徐々に昇り行く、青み掛かった二つの太陽。
 ……そう、右手だ。進行方向右手側に見えるんだ。
 『昇ってる』太陽が。
「……進路、北だよな」
 眼鏡越しの視界に見える現実に、思わずごちる。
 そんな彼へ。否、彼の居る紺藍色のコアの中に、何処か幼さを感じさせる声が響いた。
『メナスの森に『強力な魔物』がいるんだよね』
 空色の噴炎を噴きながら、滑るように海上を移動する、円盤状の機影。
 コアを覆うランドルト環の更に外側、二つの円弧状の外装を、楽しみだとでも言うようにくるくると回しながらテトテトラが言ったその言葉に、ダークネスは「……ああ」と、何事か合点が行ったような呟きを溢した。
 彼自身は、最近頻発するという南方辺境での飼育動物襲撃事件に関わるつもりで、「辺境の魔物を片付けに行くぞ」と言ったのだが、テトテトラにとっての『片付ける必要のある辺境の魔物』は『メナスの森の強い奴』という認識だったらしい。
 ……なまじどっちも、最近になって出てきた魔物なのが、余計にこの行き違いを生んだのだろう。
 さて、どうしたものか。
 とはいえどの道、南の件が済めば、メナスの魔物についても関わる事になるだろう。人々の生活を脅かす魔物の存在を知って、放っておくなんてことは出来るはずがない。
 それに、確か……誰から聞いたのだったか、ゼノムとアストライアが既に魔物退治の為に南方大陸へ向かっているというし。二人は互いにパートナーで、しかも、魔術師と駆逐艦。散発的に発生する魔物への戦力としては、事足りているどころか過剰なくらいだ。
 ……そんな思案の間にも、前方の水平線には徐々に、メナスのある北方大陸らしき影が見え初めている。
 かくてダークネスは、咥え煙草の煙を細く吐きながら、
「ま、先にこっち片付けるか」
 何だかんだで流れつくまま、でっかいお子様と共にメナスへと来てしまう、面倒見のいい保護者であった。
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