北辺
第二節
 陽光が南の地平線近くを滑るように巡る、厳寒の大地。
 海岸線の大部分は、青白い氷に閉ざされて。さりとて、惑星ティーリアを巡る複雑な海流のお陰か。南からくる暖流によって出来上がる、狭間の海路が、大陸南岸に幾らか残る凍らぬ港へと続く。
 海上を閉ざす白い氷の最中。海流を示すように、そこだけが溶け一筋に陸地にまで続く青い道は、何処かで見聞きした覚えのある英雄譚宜しく、何者かに見えない力で導かれているような錯覚さえ抱く。
 時折に、両脇を埋め尽くす氷の一角が、割れて離れて漂ってくるのを、船乗らは帆と風の術とを用いて慣れた様子でやり過ごし、荷を積んだ船は滞りなく小さな港へと滑り込んでゆく。
 漁村かと見紛うそれはもう素朴な港には、冷たく白い粉が舞い散る。
 そもそもに、遠洋から出入りする船舶自体が稀なのだろう。桟橋には見事に白いものが降り積もって、荷と共に降り立っただけで両脚は足首まで沈む。凹凸なく滑らかに積もる白は、少なくとも数日間はここが使われていなかったのだと教えてくれる。
 しかし、斯様に厄介な足場も、浮いてしまえば何の問題もない。
 最早見慣れた感のある、浮遊する荷台。台車ならぬ台箱へと、降ろした荷物を積み込むと、空いた隙間に人が乗り、すいすいと内陸へ向かって動き出す。
 人よりは断然に身軽な牽引動物。トナカイとヒツジを足して割ったような風体のそれに牽かれるまま、荷物と人は雪の勢いが増す北方大陸内陸へと進――
「どう見ても辺境です。本当にありがとうございました」
 黒髪の天辺を振る雪に若干白くしながら、青年が言った。
「……なんでおれここにいるんだろ……」
 真正面からぶち当たる寒風に鼻先を赤く染め、遠い眼差しで呟く、彩灯みちる。
 その肩を、不意に力強く叩く手があった。
 それが誰だか既に判っているのか、じと目でみちるが振り向いた先には、やっぱり予想通りの人物。
 同じように黒髪の天辺を雪に白く染める、ギターを担いだひょろぺら男。
 男は今しがたみちるの肩を叩いた細長い腕を引き戻すと、サムズアップを決め、それはもう大袈裟な位の爽やかな笑顔で言い切った。
「俺達を呼んでっからよ。愛が!」
「……なつかしきかほりに釣られてお前に付いてこうと思ったおれが馬鹿でしたウワァン!」
 両手で顔を覆って乙女ちっくな嘘泣きを繰り出すみちる。どうやら、ホームシックな余りに同じ巧錬の民である彼――アンノウンに懐郷の念を抱き、ほいほいと同行してみた結果が御覧の有様らしい。
 そんな次第で、割と雰囲気で付いてきただけのみちるだが。
 アンノウンも別段、確たる用事があってここへ来た訳ではない。大体いつも通りに、知らない街を訪れて、目に付いた酒場にお邪魔して、知らない人と肩を組んで飲み交わしていたら、こうなっていた。
 ……断片的に表現すると、まるで騙されて売られてきたかのようにも聞こえるが。
 彼は初対面の相手と仲良くなるのが上手い。物怖じせずに旧知の間柄のように接するその言動と、惑星ティーリアの住人の『そういうものなのか』的な発想は相性がいいのかも知れない。
 何だかんだと相手に気に入られる事も多く、飲み代や一宿一飯を肩代わりして貰う事も多々。そんな諸々の礼代わりに、困ったことは無いかと世話になった皆さんを訪ね回った結果、こうして北を訪ねる事になった訳だ。
 しかし、寒い。
 北だとは聞いたが、よもやここまで寒いとは。大して分厚くもないパーカーに綿パンツなままで来てしまったことを大絶賛後悔中のみちる。ぺらぺらの革ジャケットにぼろぼろジーンズのアンノウンも大概だが。きっと彼は、内側から溢れ出る愛が熱に変わって体を温めているのだろう。たぶん。そういうことにしておこう。
 思う間にも、二人の乗る荷台は更に北へ進み、降る雪は段々と吹雪の様相を呈す。本来なら間違いなく凍えている所だが……どうやら、何かしら防寒の術が施されているようで、周囲の景色から感じる程には、荷台の中は冷え込んでいない。
 というか……実は何かの間違いじゃないのか?
 そんなみちるの不審な眼差しに気付き、「寒いんなら着るか?」とぺらぺらの革ジャケットを脱ごうとするアンノウン。むしろ、既に脱いで被せている。そして、被せた途端に。
「ぶえっくしょい!」
「判り易いなちくしょう!」
「あー、やっぱ寒いな。けどまあ、大丈夫だろ」
「ダイジョブジャナイヨ! ゼンゼンダイジョブジャナイヨ!!」
 何故かカタコトになりながら、被されたばかりの革ジャケットをアンノウンへ返すみちる。すると、被された自分のジャケットを何故かいとおしげな仕草で軽く撫で。
「あんがとよ。お前の愛が温けえ」
「もうやだこのひと」
 アンノウンの愛溢れる冗談にみちるは段々やけっぱち。
 ……などと茶番を繰り広げているうちに。雪に煙る前方、目的地の街らしき黒い影が、薄っすらと見え始めていた。

 ――辺境の街メナス。
 街を覆う薄い膜越し、横薙ぎの風に煽られて、白く濁る景色。
 些か面白みのない光景……の最中に、不意に浮かび上がってくる影。
 近付くに連れ、影は次第に周囲の景色との境に確かな輪郭を生じ――それが、白い息を吐きながら駆け進む羊鹿と、それが牽引する荷台であると知る。
 街の南側、雪風避けの結界境目付近。
 入り口へと駆け込んでくる荷台と動物を最初に目撃したのは、ラスティ・ネールだった。
「お。人が乗ってる」
 巡らせた視界、荷台から降りてくる幾つかの人影に、黒い瞳が好奇心を宿した猫のように瞬く。
 急ぐではないが、迷いも全くない様子で。彼は次々降り立つ人影に向け、にっ、と笑みを浮かべて手を振って見せた。
「ようこそメナスへ!」
 その声に、自分の荷物を降ろしていた幾人かが振り返り、近付いてくる青年の姿をまじまじと見遣る。
 黒いシャツの上、羽織る長袖の黒革ジャケットには所々に穴が。カーキ色の長ズボンも所々汚れて、靴も飾り気無く質素。スニーカーとか、運動靴とか、その手の歩き易そうな奴だ。ざっくり短く切られた黒髪を揺らし笑う様子は、とても人懐っこそうに見える。
「……つっても森に魔物が出るってダケで何も無いトコだけどな」
 そう言ってまた、にっ、と笑うラスティの様子に、青年の一人は「第一街人ハケーン」と呟き、魔物狩りらしき物々しい装備の者は俄な警戒を示し、かと思えば、ぺらぺら革ジャケットにぼろぼろジーンズという格好の男が――うん? なんだろう、微妙に鏡に映った未来の自分でも見てるみたいだ!
 歳はラスティより二周りほど上だろうか。でも、何か少し、違和感が……と、首を捻る間もなく。ギターを背負ったそのひょろっぺらい男は、『久し振りだな元気してたか会いたかったぜ』とでも言わんばかり、ほそっこいラスティの身体を笑顔でわしっと抱擁してきた。
「あびんしょふぇしゅるばてぁーん」
 抱擁しながら唐突に男が発した謎の言葉に、思わず黒い瞳を真ん丸にするラスティ。
「なん? なんだ、なんだそれ?」
「なんびゅるって」
「え? う?」
 謎の状況に、流石のラスティが目を白黒させていると。
 ひょろぺら男に遅れること暫し。荷台から降りてだらだらと後ろを歩いてきた青年が一言。
「……えーと。その人今、言葉通じないんだ」
「え? ……えー!? すっげぇ!」
「しょるるとぅいん」
 方言のように若干通じ辛いことはある。だが、惑星ティーリアの常識では到底考えられない、全く言葉が通じないという状況に、驚きつつも感心した様子で男と青年とを幾度も見比べるラスティ。
 そんな彼に対し、愛さえあれば異星人標準装備の翻訳機無しでも大丈夫! と割と本気で思っている男・アンノウンは、ラスティと親しげに肩を組むと、『次、何処行く?』と言った動きをして見せる。ラスティも人見知りはしない性質だが、アンノウンの場合は人見知りというもの自体が世界に存在していないかの如き挙動なのが凄い所である。愛は偉大だ。
 と、ここにきてようやく。
 ラスティはこの妙な二人組から、一切の魔力が感じられない事に気が付いた。成程、最初に感じた違和感の正体はこれか、と合点がいくのと同時に……彼は新たに浮かんできた事柄に、猫っぽい目をきらきらさせ始めた。
「ひょっとして、あんたたち異星人ってヤツ? うわー! すーっげすっげぇ!」
 噂話位には聞いていたが、よもやこんな北の辺境くんだりまで現物がやってくるとは思いもよらず。そんな大興奮のラスティと肩を組んでるアンノウンも、その場のノリでなんか楽しげに跳ねてる。そして二人で跳ねる。ぴょんこぴょんこ。
 ……根底にある思想も性格も大分違うのだが、何と無く似ている気がするのは何故だろうか。
「ここで会えると思わなかったなぁ。あんたらも魔物狩りに来たクチ?」
「いやいやいやいや。流石に死ぬわー。生身じゃ死ぬわー」
 ぶんぶんと激しく首を振るみちる。対するアンノウンの返答は。
「もぬすれこぼふぉしょあ」
「よく解んねぇけど、酒場と宿屋なら案内出来るぜ」
「ゆお!」
 行こうぜ!
 と、言ってるんじゃないかな。たぶん。
 ……何と無くそんな気がして、よっしゃ付いて来な、とばかり我が家でもある酒場へ向けて肩を組んだまま歩き出すラスティ。先程は先程で、ちょっぴり仲が良くなった魔物狩りが西の森へ出かけて行くのを見送り終えた所だったりする。異星人二人が到着した時、彼が丁度街の入り口近くに居たのはそういう訳だ。
 ……まぁ、それ以外の時も、街中をふらふらしてはいるが。
 兎に角、他にどうしようもないので、みちるも二人の後に続く。
 しかし……アンノウンはこの街での困りごとを聞きに、やって来たはず。だが、ラスティの口振りからして、この街での一番の悩みは恐らく、森に出る魔物のこと。
 どう考えても異星人単品で解決出来る案件ではない。
 ……絶対、聞き間違ってる。場所自体をそもそもなのか、乗る船の行き先をなのかは……はっ、もしや、両方か。むしろそれ以外にも細かい間違いが積み重なっている気もしてきた!
 ――斯様な思惑巡る街の上空。
 薄い膜に覆われたその先、いつの間にか勢いの衰えた吹雪の中に。
 黒い円盤状の巨影が、南の空からじわじわと、近付きつつあった。

 ――西方大陸東岸を発って暫く。
 ジョナサンは中央大陸西岸から北回り、沿岸伝いに東へ向かっていた。眼下には丁度、帆を張り、流れと風を頼りに、同じ方向へと進んでいく船舶集団が見える。
 この、中央大陸西岸の海域は、地上の人々にとっても船舶航行に適した海流が南北に流れているらしい。しかし、行き着く先は辺境地域であるらしく、眼下の青を行き交う商船との遭遇率は余り高くない。ジョナサン自身も郊外や辺境伝いに東を目指している手前、必然的な状況かも知れないが。
 ただ、たまに通りかかる船の中にも、大都市部への往来の際に機動生命体の姿を見慣れている――大長老の日々のお荷物運びのお手伝い効果だろう――ようで、頭上に現れたジョナサンの姿に慌てたりする事もなく、むしろ手を振って白く眩い機影へと船上から呼びかけてくる者さえいた。
 そんなジョナサンも立派な輸送艦。図らずも出会うことの出来た人々への支援も兼ねて、三基のサブアームを使って船舶曳航、海流と風任せの皆さんの移動を大胆ショートカット。普段なら渡ること叶わぬ海域走破による航行短縮の恩恵に、船乗の皆はそれはもう大袈裟な位に喜んでいた。
(こうしていると、空で戦闘が起きているのが嘘のようです)
 海は我が家。
 ……とばかり、妙に寛いだ気分になってくるジョナサン。
 船舶と連れ立って進む海面。波に揺れる青に落ちる、銃身のような己の大きな影。
 青みを増した海中には、日を避けてか獲物を探してか、魚影らしき一層に濃い影が集まっているのが見える。ああ、やはり素晴らしきかな海。
 しかし、そんなのんびり紀行ももうじきお終い。
 沿岸伝いの北航路、いつの間にか辿り着く極近く。周囲には欠けて流れた白い塊――拳大程の流氷の欠片がちらほら目に付き、北の水平線には凍る海に囲まれた北方大陸の影が見える。
 北へ進めば北方大陸。沿岸を東へ進めば北東大陸。
 しかし、中央大陸北端から東向き、北東大陸へと繋がる流れは存在していない。同様に、北方大陸と北東大陸を直接繋ぐ流れも存在しておらず、現在地から進む事が出来るのは、流氷の裂け目を辿る北方大陸への航路だけ。
 ……もっとも、飛んでしまえば海流の影響など全く受けないし、仮に船舶のように海上を進むにしても、機動生命体の推進力を持ってすれば流れに逆らうなど造作もない。
 荷物運搬先が決まっている手前、船乗らとはここでお別れせざるを得ないが……
(どちら回りで行きましょう)
 目指す『奈落の口』の北限は、北方大陸からでも、北東大陸からでも、然程距離に差はないらしい。進む方角がちょっと変わる――極点を通って南下するか、大陸北端から真東に進むか、というだけだ。
 まぁしかし、ここまで曳航してきた船乗の皆さんは北方へ向かうようだし、折角なら港まで連れて行ってしまうのも悪くは無い。港かその付近で、彼らのように友好的な人物と出会うことができれば、奈落の口調査もはかどるはずだ。
(北経由で行ってみるとしましょう)
 細く太くと蒼白の炎を噴き、くるりと取舵一杯。ジョナサンは東に向けていた機首を、北へと巡らせた。
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