北辺
第五節
 海鳥が鳴き、大波小波揺れる、大海原。
 水を割き、波を掻き分ける、長い機首。
 東回りのお散歩コースももうじき終点――いや、むしろこれが始まりか。白基調の長身を半分水面に沈ませて、ジョナサンはまるで海洋船舶のように濃淡麗しい青の世界を進む。
 そして、そんな光景を、薄っすらとしたコバルトブルー越しに見遣り、ひゃっほいひゃっほい大興奮している青年が一人。
 ――つい数刻前の、鮮烈な出会いから程なく。
 なんと、ラスティはジョナサンと一緒に、北の洋上に居た。見知らぬもの大好き、面白ければ容赦なく首を突っ込む彼は、奈落の口調査に出かける所だというジョナサンの話に、躊躇いなく同行表明。
 ……出会いが、非常に非情な現場だった事を除けば、友好的な人物に協力を仰ぎたかったジョナサンと、メナス以外の土地に憧れがあるラスティとは、図らずも思惑が一致していた訳だ。
 かくして、現地協力者を獲得、恐ろしい現場からも離れ、我が家と称して過言でない海に身を浸し、充実感すら覚えつつあるジョナサン。
 悠々と進む周囲に広がるは、一見穏やかな大海洋の景色。
 しかし、沈ませた半身を引き寄せる『流れ』は、徐々に徐々に強まりつつあった。
 噴炎を止め海上に身を委ねれば、410mの巨躯をも運ぶ強かな力を感じることが出来る。海上を渡る気流もいよいよ穏便でなくなってきたのか、周辺を舞っていたはずの海鳥の姿がいつしか消え失せている。
 ……前方、俄に現れる、濃く暗い筋。
 深い青をも凌駕し、黒く沈む海溝の印。
 不意に、海上へと浮かび上がるジョナサンの身体。波飛沫を纏い海面から離れた機体下部、纏わりついた海水が白地に施された青いラインを伝い落ち、雨粒のように水面に沢山の波紋を拵えた。
『これが奈落の口ですか』
 ごちる前方。一面の青の中に一筋、南の水平線まで延々続く黒が、二つのコバルトブルーに映り込む。ラスティはラスティで、トランペットほしさにショーウィンドウに張り付く少年宜しく、ぎりぎりまでコア内壁に寄って行って、外の様子に釘付けだ。
「すっげぇ、こんな風になってんだな」
 惑星を東西に分断しているといって過言ではない、巨大海溝。
 ――この最近、西方大陸西岸『魔の領域』で、高純度の魔鋼が大量に眠って居ることが発見された。
 一方で、東方大陸は最果ての都碧京は、碧く輝く純度の高い魔鋼の産出地として有名だ。
 ……では、その両者の合間に横たわる、奈落の口は?
 それが、この惑星の海が抱く謎の一つたる『奈落の口』ついて、ジョナサンが最初に抱いた疑問であった。
 それに、もう一つ。魔の領域にはあれ程大量の魔物が湧き、魔都スフィラストゥールはその対処に苦慮しているというのに、地図上で見ればごく近い位置にある碧京は、魔物被害について殆ど耳にしない。これはもしや、奈落の口が天然の障壁となって、東方大陸への魔物の大量流入を阻んでいるからではないだろうか――
 謎が呼ぶ謎。
 しかし、海というのはそういう謎を孕んでいるもの。
『素晴らしきかな、海』
 さぁ、早速調査しようそうしよう。先ずは端から端まで、順に見てゆこう。
 何処かうきうきした様子すら滲ませて、海洋に引かれた黒い線の上を辿り始めるジョナサン。
 北限を発ち、南下して行く機体。そのコバルトブルーのコアが少年のようにきらきらして見えるのは、きっと、南から差す陽射しのせいだけではないに違いない。

 ――二つの陽光は連れ立って、遠く南方を転がるように通り過ぎる。
 空に浮かぶ天体といえば、もう一つはそう、あの暗い双子星。
 とある住人は、そういえば暫く見ていないなと、思い出したように零す。この所の北方は、濁った雪雲に空を覆われっぱなし。仮に、双子星が幾度か街の頭上を通り過ぎていたとしても、雲より空よりずっと高い場所を巡って居る以上、空を仰いで見えるはずもない。
 もっとも、近づけば魔力が高まるという性質上、魔術因子を持つ地上人はたとえ目視できずとも、頭上にあれば感覚的に存在を察知できる。
「黒い星がどうのつう話、前も聞いたな」
 ふいと天井を見上げ、穀物酒片手に記憶の片隅を探ってみるアンノウン。
「あれが上にあると、魔物っつうおっかねえのが元気になっちまうんだっけか」
 両隣、特に示し合わせたでもなく――野良仕事を終え、一杯やりに来たおっさんの間に、アンノウンが割り込んだのだが――一緒になって酒を飲んでたおっさん連中は、赤ら顔でその通りと相槌を打ちながら、魔都は凄かったらしいなー、と聞きかじった噂を口にする。
 ……なんて具合に。
 アンノウンは既に、メナスの街に馴染んでいた。
 街というより、街の人々に、というのが正確な所だが……それよりも何よりも目を見張るのは、惑星ティーリア言語の上達っぷりだろう。
 いつの間にやら、日常会話ならば殆ど聞き間違いをする事が無くなっている様子。発音に関してはまだまだ片言感が拭えず、聞き返され言い直す頻度が高いにせよ、身振り手振りを交えての意思疎通は段々と様になってきており、それなりに『会話』っぽいものが成立しつつある。
 やや距離をおいての座席位置。みちるはそんな光景を、遠い眼差しで見つめる。
「名無し先生のラブパワーまじぱねぇ……なんという置いてきぼり感。さむい。これはさむい。心が。そうだ、こんな時は空想だ。わぁ、ライのコアの中、温かいナリィ……」
 細々とおつまみを頂きつつみちるが現実逃避している最中。
 酒も入っていい気分な野郎共の話題は、街での悩み事へと突入しつつあった。紆余曲折、ひょっとするとメナスへ辿り着いたのは手違いによるものかも知れない。しかし、困る人あれば首を突っ込まざるを得ない。趣味の人助けに過程や場所を選ばない、それがアンノウンという男!
 ……と、言いつつも。
 街の住人に混じって魔物狩りの姿を頻繁に見かけることから、ある程度察しは付く。メナスでの現状一番の悩みは、森に出没する魔物だ。
 世界各地、いつでも何処でも時節を選ばず、所有能力や容姿強い弱いすらもばらばらで、ある日突然湧いて出て来て襲ってくる……というのが、この惑星における魔物に対しての常識。それ故、規模がある都市は専門に騎士団を組織するし、辺境は一人一人が最低限身を護れる程度の技術を持っておくようにと、教えられて育つ。魔物狩りという戦闘専門職が成り立つのも、そのためだ。
 メナスには以前にも一度、西の森に強い魔物が出たことで話題に上り、一般的な辺境の街にしては非常に多くの魔物狩りが滞在している時期があった。ただ、その時に『腕試し』目的で街に居た魔物狩りの多くは、数ヶ月前のスカウトに応じ、今は遥か空の上。
 無論、魔物を放ったらかしにしていった訳でなく、その当時に猛威を振るっていた魔物は征伐され……今、西の森を騒がせている魔物は、当時の魔物とは別の手合いである。新たに発生したのか、最初に出た強力な魔物のせいで活動範囲を森の奥に追いやられて姿を見かけなかっただけなのか、その点については定かではないが。
 一方で、あくまでも魔物狩りは魔物を狩るが本分、と確固たる矜持を持つ者は、街を脅かす魔物と戦うべく、散発的にメナスへとやってくる。アンノウンがここへ来た時、丁度乗り合わせていた重装備の人物がまさにそうだ。
「ってもよ、それもうあの黒親子が片付けちまってんじゃねえ?」
 艦種最弱の工作艦ですら、人類からすれば驚異的戦力である。アンノウンの予想通り……むしろ、予想を上回る勢いの恐るべき光景にラスティとジョナサンが遭遇しているわけだが、それはさておき。
 とまれ、今まで方々で訪ね聞いた様子だと、大都市外の街や都市での目下の悩みは、何処も魔物に対するものが主流らしい。人的被害への懸念は勿論、あれがもし街中までやってくると、家畜や作物、家屋など、被害に遭うものは多岐に渡る。辺境なら尚更、総じて交通の便がよくない為、避難してやり過ごそうにも『どこで?』という話になってくる。
 だからこそ、専門の魔物狩りが居れば心強さも一塩、なのだが……前述の通り、辺境は交通の便が悪く、物流もよくない。情報が行き渡るのも遅いし、強い魔物が出てそれを知った強い魔物狩りが現地に到着するまでにも、当然時間が掛かる。たまに、移動を得意とする者が居て、一昼夜掛からず単独でやってくる事もあるが、やはり少数派だ。
「ここ来る時も、船凄ぇ少なかったもんなあ」
 辺境といえば交通の便が悪いのは大体同じだが、このメナスのある北方大陸という土地は、他の地域よりも見所自体が格段に少ないようで、運行されている船の本数がまた極端に少ない。定期便を探すより、暇してる船乗を自主的に探して頼む方が早いくらいだった。
 逆に言えば、こんな不便な所だからこそ、以前居た街で世話になったおかみさんが、『悩みの一つ』として知人がいる『北の方』のことをアンノウンに話し、彼は彼で気まぐれとノリの赴くまま、遠路遥々実際にメナスまで来る結果をもたらしたのだが。尚、当時はまだアンノウンのヒアリング精度が低めだった為、おかみさんの言った『北』が、単におかみさんの所在から見て北の方角のことだったのか、本当に北方大陸を指していたのか、今となっては知る術もない。
 ……とまれ。そんな、酒の入ったおっさん連中の、愚痴にも似た物言いを聞くうちに。アンノウンは街の人々が抱える問題の本質的な所が、うっすら見えてきたような気がするのだった。
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