北辺
第六節
 魔物というのは、魔力の異常や暴走によって突然変異した動植物の成れの果てである。
 ……世界各地、古来より通説として、同じように言い伝わっていたものの。
 通常の動植物が、実際に魔物へと変わる瞬間が目撃されたのは、つい数ヶ月前。その目撃者というのが――
『ネス、あったよ』
 森の深部に掘られた、巨大な縦穴。
 その中から、ふわりと浮き上がって姿を現した機影は、泥んこ遊びでもしたように、灰と漆黒の装甲を所々茶色く汚している。
 だが、汚れよりも一際に目を惹くのは……
 穴蔵から少し離れた大木の袂。着崩した黒い軍服姿の長身は、サブアームの先端に携えられた暗赤色の鉱物を眼鏡越しに一瞥し、ふっ、と紫煙を吐いた。
「中々上等だな」
 碧京産や、魔の領域産の一級品には遠く及ばないにせよ、光を蓄え輝くことが出来る程度には、透明度があるのだと判る。高純度三級品、といったところであろう。
 まぁ、高純度分類されるだけでも、相当な掘り出し物だが。
『ここの魔鋼は赤だね』
 コアと魔鋼は性質が似ているという。
 だが、コアにおける赤色は、機動生命体が命の危機に瀕している証。とすると……?
『魔鋼にも耐久力に差がある? 他の色より脆い?』
「どうだろうな。ラボの所長なら詳しいんじゃねぇか?」
 暗赤色の魔鋼原石を携え、くるくると外装を回すテトテトラ。
 ダークネスは咥え煙草で翼を羽ばたき、ひらりとテトテトラのコアの側に降り立つと、大地深くに穿たれた巨大な縦穴を見下ろす。
 まだ幾らか魔力らしい反応は感じるが、もう既に相当な深さ。これ以上掘ると、魔鋼以外の……まかり間違って、海水やらマグマやらを掘り当てようものなら、それこそ魔物以上の大惨事に成り兼ねない。大きな塊は掘り出せたようだし、採掘はこの辺りでやめておくのが賢明そうだ。
「これで魔物の発生は大分減るだろう」
 魔物というのは、魔鋼の気配が全く無い場所にも、いきなり現れることがある。
 それ故、魔物へ変異するきっかけ自体は、魔鋼を含めて複数あると考えられるが……魔力の異変がそもそもの原因である以上、魔力にもっとも作用し易い魔鋼を取り除くことで、変異確率を格段に下げることができるはずなのだ。
「ま、これで一段落だな。その穴埋めたら、砂漠の魔物も片しにいくぜ」
 元々はそのつもりだったしなと、煙を噴かすダークネスに、テトテトラはランドルト環状の中心装甲をくるくる回しながら、外装に収納していたサブアーム四基を全部使って、速やかに掘り出した土を元の穴へと流し込んでいく。
「砂漠に行ってる奴いるんだったな。状況判るか?」
『ライアだね。聞いてみる』
 精神感応で応答が行われる僅かな間、不意に訪れる沈黙。
 ――やがて、直ぐに。
『追い込みしてる所だって』
「そうか」
 どうやら、まだ片付いては居ない様子。広大な砂漠の何処にいるかわからない相手と、街の隣の森とでは探索範囲も随分違うだろうし、時間差が出るのも当然か。
 それでも、丁度これから討伐のクライマックスフェーズではある様子。向うに着く頃にはもう終わっているのか、それとも、第二派掃討作戦に移行しているか……大体そんな所だろうか。
 斯様な事を考えているうちに、あっという間に埋まってしまう縦穴。流石は工作艦、仕事の早さと正確さは機動生命体随一である。
 ダークネスを紺藍色の中へと回収、解体した魔物の毛皮やら牙やら骨やらの使えそうな部分と、穴から掘り出した大小様々な暗赤色の魔鋼を一纏めに携えて、テトテトラはメナスの方角へと動き出す。
『毛皮で上着作ってもらう? 要らない?』
「俺はいい。これから暑い所に行くしな。名無しにでもやったらどうだ?」
『そうしてみる。みちるも要るかな?』
 空色の噴炎を灯せば間もなくに、白く積もる雪の真ん中、ぽっかりと穴が空いたように姿を見せるメナスの街並。
 そういえば、名無しやみちるがいた星には、雪で作った家があった。
 ぽろりとテトテトラの溢した異星の話に、ほう、と漏れる低い声。メナスを見れば判る通り、惑星ティーリアの寒冷地は、大体が魔術で防寒対策をしている。放って置くと溶けてしまう雪を建材に使うというのは、実に不思議なことだ。
『バリケード作ってもいい?』
「ん? ああ、構わないぜ。お前さんなら時間も掛からねぇだろう」
『直ぐに作るね』
 戦利品は、街の入り口にどちゃっと置いて。
 先端を扁平型に変形して貰ったサブアームを流れるように動かし、わっしわっしと雪を掻き集め、圧力を掛けてと、見る見るうちに街の西側にできて行く雪の壁。いや、強固に押し固められ結合した白い塊は、もはや雪でなく氷壁だ。
 街の人々がなんだなんだと見守る最中。テトテトラは氷壁の一塊を前に、ふと。
『雪や氷、砂漠に持っていったら、物々交換になる?』
 魔術を使えば、ある程度の気候操作もできなくはない。しかし、それはあくまで、暑さを凌ぐとか、飲料水を作るとか、生活に根ざしたものが大半――メナスが、障壁で吹雪から街を護っているのと同じように。
 だから恐らく、積もるほどの雪や氷は、珍しいのではないだろうか。
 瞬き幾つかの間に、そんな逡巡を経て。
「なるんじゃねぇか?」
 ダークネスはふっと細い煙を吐き出しながら、そう答えた。

 ――北から南へ。
 眼下に黒い隙間を望みながら、緩やかに進む長身の機影。
 何者も海を隔てる線上を渡ること叶わず、海洋系の人外の徒ですら流れに捕まれば戻ることができない。何人も近づかぬ、海の秘境。
 斯様な前評判の通り、奈落の口周辺は一種異様な雰囲気。
 一度流れに捕まると、本当に脱出不可能なのだろう。海上・海中だけでなく、周辺海域上空にすら、生き物の姿が全く見当たらない。そして、ああ、これは通常の生物なら脱出不可能に違いない、そう思わせる状況を、ジョナサン自身が今まさに体験している最中であった。
『私が機動生命体でなければ、危うく吸い込まれてしまった所です』
 海面からの距離、およそ、1km。
 だが、それだけの距離を保って尚、410mもあるジョナサンの身体を、不可解なまでに強い下降気流が海面へと引き摺り降ろそうとする。意識さえしていれば浮遊だけでも引きずり込まれることはないが、ぼうっと浮んでいるだけならばそのまま着水して海底の奈落へと吸い込まれてしまいそうである。
 ……仮にぼうっとしていて流れに飲まれたとしても、そこは機動生命体。噴気孔を使って然るべき推力を得れば、瞬く間に脱出できること請け合いだが。
 さて、そんな奈落の口。上空から見てくっきり黒いのは深さのせいだけかと思いきや、吸水口となっている裂け目の部分は、近づいてみれば存外に幅広い。恐らくは、異常な速度で流れ込む大量の水が、日々裂け目の淵を削り取っているのだろう。
『広々しているのは入り口だけでしょうか』
 遥か上空から見れば、黒いものが一本見えるに過ぎないが、海面に近い所からよく見ると、この幅広い線に濃淡があるのがわかる。海の青との境目は傾斜が緩いのか幾分か淡く、線の中央に進むにつれ徐々に濃くなっていく……と思いきや、中央部からの一定の幅だけは、別の線をもう一本引き直したかのように唐突に濃くなっていた。
『濃淡の極端な差は、深部から急に幅が狭くなっているからですね』
 それに、海流の速さと不可解な下降気流の他、近づいてみて始めてよく判ったことがある。
 真っ直ぐな線に見えている吸水口も、実際には細かな蛇行やいびつな輪郭をしており、亀裂の幅自体も均一ではなく……それら地形の微弱な差のせいか、はたまた、海溝の底に秘密があるのか。吸い込まれる水の勢いや、荒れ狂う下降気流の強さも、場所によって少しずつ違っているようなのだ。
 しかも、その風速や潮流の差は、『超速い』と『超絶早い』くらいの、要は最低値ですら凄まじいものであり、人類が感覚的に差異を判断するのが至難な状態。
 こういった、近づいてみたら判った程度のちょっとした発見ですら、今まで地上人には成しえなかったこと。ジョナサンが調査に来た成果は十分あるというものだ。
 それにしても、見れば見るほど凄まじい吸水量。
『吸い込まれた海水は、何処へ行くのでしょう』
 銃身のような我が身を物差し代わりに、細まった箇所と、広がった箇所の幅広さ――大体、狭くて350m、広くて2km程度か――を確認しつつ、ふと過ぎる考え。
 これだけの規模で吸い込んでいれば、同様の規模で出水する箇所があってもおかしくはないが、奈落の口に匹敵する大規模な出水地形は、地上人の間では全く知られていない。海に関し詳しいであろう船乗達からも、そういった話は聞かなかった。
 魔鋼なんて特殊な鉱物が存在する以上、惑星の内部構造が通常の岩石惑星とは異なる性質を持っている可能性は否めないが……中央大陸西部にある『炎の谷』の話からすると、ティーリアの内部に他の岩石惑星と同じマントル対流が存在するのは間違いない。ただ、存在自体は間違いないにせよ、炎の谷一箇所だけを見て断定してしまうのは早計かも知れない、とも思う。大体にして、魔物やら魔術やら、この奈落の口という地形もそうだが、惑星ティーリアという星自体が、今まで見てきた人類生存可能惑星の定義に当て嵌まらないものを沢山持っている。今までの尺度は考証には十分使えるが、それだけでティーリアの全てを知ることはできないだろう。
 ……但し。
 今まさにこの眼――コバルトブルーの二つのコアで以って目撃し、確信した事が一つある。
 流れる潮と、吹き降ろす風の音だけが友。そんな、生命の気配の失せた青と黒の交わる秘境に、珍しい客人が!
 ぎぇえ、ぎょあぁ、とけたたましい叫び声を上げながら近づく、翼の生えた小さな影――魔物だ。
『見るからに恐ろしいものが近づいているではありませんか』
 あの面構え。
 あの叫び声。
 なんて恐ろしい。
 ……というか、魔物を見ていると、少し前に見たもっと恐ろしい余計なことまで思いだしてしまう気がする。
 身震いの表現なのか、巨大な体躯を軽く揺らし。
 ジョナサンは――もしも人類でいうところの『顔』が何処かにあったなら、間違いなくきりりとした面持ちを連想する声色で、冷静にごちる。
『これは、やるしかありません』
 二基の噴気孔と三基の高出力噴気孔に、即座に灯る蒼白の噴炎。そう、ジョナサンが取るべき作戦は一つ!

 戦略的撤退ッ。

 ……かくして、速やかに飛翔する、白地に青ラインの機体。
「倒すんじゃねぇの!?」
『だって恐ろしいではないですか』
 的確な突っ込みにも平坦に返し、下降気流をものともせぬ巨大な体躯が、魔物が飛ぶよりも更に上空へと持ち上がる。
 その真下で。
 大海洋に横たわる黒を渡ろうとした魔物が、黒の上に差し掛かるよりも早く強烈な風に捕らわれ垂直落下、水飛沫を上げ海面に落ちたかと思うや、その姿は瞬きする程の僅かな間に、深淵の底へと飲み込まれ見えなくなってしまった。
 ……そして、奈落の口を極地から極地を辿り進む調査紀行の最中、そんな光景を目撃したのは一度や二度ではなかったのである。
『予想は当たっていたようです』
 地図上にはごく近い魔の領域と東方大陸。東方大陸に魔物が大量流入しないのは、奈落の口が天然の障壁となってそれを阻んでいるから。
 ……どうやらこの件は、そう結論しても良さそうである。
『あとは、両者で摂れる魔鋼純度との関連性でしょうか』
「あ、鉱脈ってそういうことか」
 ぽんと手を打って、グロ親子、もとい、黒親子が別れ際に言っていた事を思い返す。
 少しばかり集中し、意識を魔力感知に傾けてみると……確かに、何と無くではあるが、奈落の口周辺は少しばかり魔力が強いような気はする。同時に、物凄く遠くにあるような、そんな感じも覚える。
『浅い位置には無いということですね』
 吸水口周辺も、蛇行して見回ってみたが。
 魔物らしきものは、大体が東――魔の領域のある方面を、獲物を求めて彷徨っていた。遊泳力や飛行力を用い、ぎりぎりで海流や気流に飲まれない地点を回遊し、海鳥やら海生生物やらを捕食している模様である。
 しかし、見かけるにしても大量と言うほどでもない上、奈落の口付近を泳いでいた魚が魔の領域のように急に魔物に変わるといった現象もない。もっとくまなく調べれば、比較的浅い位置にある海底鉱脈も見つかるかも知れないが、少なくとも奈落の口近郊の海洋表層部には、目立った鉱脈は存在しないようだった。
 ……そういえば、メナスの街も、地理的には奈落の口の北側極点から結構近い。
 そう考えると、メナスの近くの森に『強力な魔物』が出没したことすら、何か関連があるのではないかと思えてくる。件の黒親子らも、森の地下深くに鉱脈があるかも知れない……といった話をしていたし。
『海溝の底に秘密があるのでしょうか? 益々謎めいていますね』
 流石に、深部の状況については、上からの観察と探知だけでは良く判らない。
 場所を選べば、ジョナサンが潜航できる幅の亀裂もあるし、無敵装甲がある限り機体が傷つくことはないだろうが……コアはそうは行かない。何しろ、弱点と言わしめる程に、機動生命体の体躯の中では強度の低い部分だ。惑星深部の水圧に、果たして耐えられるのか――?
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