北辺 |
第四節 |
白い化粧を施した、北の森。 徒歩でなら道案内が必要になるその場所も、空を渡れば直ぐ間近。 森の中には、既に先客の魔物狩りの姿もちらほら見える。吹雪が収まるのを待っていたのか、負傷に引き返す者、これから森へ入る者……そんな様子を、紺藍色のコアからきらきらした眼差しで見下ろす、黒い瞳。 「すっげぇすっげぇ!」 暑くも無く寒くもなく。上下の感覚すらもない不思議な空間の中、念願の機動生命体に乗ることが出来たラスティは、それはもう大興奮。コアを包む灰と漆黒の装甲がくるんくるんと回る様子にも一々大喜びで、何処を重点的に観察すればいいか判らずに結局全方位を忙しなく見回しているような状態に陥っていた。 ……はずなのだが。 『ラス、奥ってどっち?』 幾度目だか、彼の脳裏に響く、幼さを思わせる声。 嗚呼、ついさっきまでの、あのひゃっほい感は何処へ行ったんだろう。 色白青年の顔色は見るも無残に青褪めて、何やら妙にぐったりしているではないか。 「あ……あっち」 余程に気分が悪いのか。口元を手で押さえつつ、問い掛けに対しコアの中から指差して見せるラスティ。 ……その様子を、円盤状の機体上方、程よい窪みに腰を降ろしすダークネスが見守る。無重力状態のコアの中、些かぐったり漂ってる感すらあるラスティを、一応は気遣って。 「もっと静かに動けよ」 『わかった〜』 助言に応じて、更にすいすいと流れるように動き始めるテトテトラ。 テトテトラは現在、噴気孔は使わず、浮遊状態で移動中。45mの体躯の移動は浮遊移動でも人程度の大きさから見れば結構な速度だが、自らの意志で空翔けることの出来るダークネスにとって、その程度の強さの風はどうと言うこともない。 しかし、ここは雪振る北方。零下の風を真正面から浴びるのは流石に寒かったか、背に負う漆黒の翼を前に回して、軽い風除けにしている。いつもの咥え煙草も、火をつけると風に煽られあっという間に短くなるか、強制消火されてしまうので、今の所は真新しいのを咥えているだけだ。 とまれ。なんやかんやと、出会いの勢いそのままに。魔物退治ついでに調べものをするつもりの黒親子の案内をラスティが買って出て、現在のようなちょっぴり奇妙な状況になって居る訳だ。 先に言った通り、ラスティ自身は魔物が闊歩する森の深部まで行った事はないが、街に滞在する魔物狩りらの話を、酒飲むついでの又聞きや、時には直接話しかけて聞き、どういった場所にどういう奴が出たというのを凡そで把握している。 そんな彼の情報を元にして、テトテトラは森の上空を進行中……おや。 木陰に蠢くものを認め、ダークネスの漆黒の瞳が鋭さを増した。その脳裏に、精神感応で届いたテトテトラの声が響く。 『ラスが言った強い魔物だね』 「だな」 短く返しながら、道すがらラスティから聞いた魔物の特徴を思い出す。 長く伸び、全身を覆う体毛。頭部には枝分かれする巨大な角を具え、体躯もまたそれに見合う程に大きい。普段は四足で移動するが、前後で足の形が異なり、後ろ足には分厚い蹄、前脚は二股に分かれた太い鈎爪が備わっている。顔が牛か鹿かといった所だが、顎先だけは左右に分かれて、動物というよりは虫を彷彿とする。 一見すれば、あの角と爪と口で攻撃してくるのだろう……と思いきや。もっとも脅威となるのは、身を包む体毛が自在に伸縮し、貫いた相手を石化させてしまうことらしい。 「細くて見え辛いのに、すっげぇ速度で飛んでくるらしいぜ」 治療の為に一時撤退してくる魔物狩りも結構いるんだよな、と少し前までは元気だったラスティが、思い出すようにしながら話していたのを思い出す。 それだけの情報があって尚、未だに我が物顔で森を闊歩しているのは、話で聞くよりも余程にあの魔物が強力だということだろう。地上から森に入ると、遭遇までに時間が掛かるのも影響していそうだ。 とはいえ、魔物側も次々現れる挑戦者を前に、無事では居られぬようで。枝分かれする角の所々は欠けているし、長い体毛にも焦げたり抉れたり切り裂かれたりの様々な傷が、生々しく刻まれていた。 空からの来訪者に気付き、血走った眼が爛々と輝く。 ……が。 こちとら、45mの無敵装甲である。 咬まれようが引っ掛かれようが刺されようが、尽く弾いてびくともしない。それどころか…… 『血抜きするよ』 「ああ」 事も無げに告げ、これまた事も無げな応答があったかと思うや。 回転する円弧状の外装から伸びる二本のサブアームが、滑らかな動きで閃く。 テトテトラが具えるサブアームは全部で四基。うち二基は外装内に仕舞ったままで、見えているのは二基だけ。その二本の先端は今、元々とは異なる形をしていた。 片や、薄く平たく研ぎ済まされ。片や、棘のように四つに割れ――そう、その形状はまさに、巨大なナイフとフォーク。 ダークネスが変形を用い意図して替えた二本のサブアーム。使い勝手良さそうな形をしたその先端は、テトテトラの元来の装甲色とは全く違う色にこってりと染まっていた。 赤黒い、鮮血の色に……! 「……うっぷ……」 ま、また、またあの光景を見ることになるのか! そう考えただけで、胃の辺りから酸味迸る液体が競り上がってくるのを感じるラスティ。細かい事は気にしない、大体のことはポジティブシンキン。トラブルだって「ま、いいか」でやり過ごす鋼の心臓の持ち主に訪れる危機。 ――森の奥には、噂になって居る『強力な魔物』以外にも、細々した奴が居ない事もない。テトテトラとダークネスは、そういった細々した奴を、此処に来る道すがらに片付けながら森の深部を目指していた。 専門職には及ばないかも知れないが、ラスティとて一端の閃士。戦いの心得くらいはあるし、血飛沫を散らしあう激闘の末に魔物が倒される現場も、見たことがないわけではない。 だが、それでも――! ――さっきのあの魔物に関する詳細な解説は役に立ったんだろうか。むしろ必要あったんだろうか。そう思わざるを得ない位に、抵抗虚しくフォーク部分に一撃で串刺しにされる魔物。 刺し貫かれた魔物は、そのまま固定。そして、フォークで縫い止めたその首根っこを、ナイフ側がさらりと掻っ捌く。飛び散る血はそのままに、突き刺したままのフォークをくるりと取って返せば、逆様になった魔物の中からどんどん抜けていく血。 零れ出る血が少なくなると、次に始まるはお待ちかねの解体作業。 魔物の死体をフォーク側で、時に突き刺し、時にはそっと押さえと、必要に応じて適切な力加減で固定しつつ、ナイフ側で腹を裂き皮を剥ぎ内臓を選り分け筋に沿って骨と肉を別け―― ……よし、だめだ。もう駄目だ。だってこれで四回目! 「うげるばごぶぶ」 かくして、道すがらの解体作業を度々目にしていたラスティの鋼の心臓も限界突破。紺藍色の中にすっぱいものを逆流噴射。 だが、コア内は煙草の排煙も自動制御される謎のクリーン空間。もやもや〜んと拡散される酸性の体液は、やがてどこかへ溶けるように消えて行く。 それ故か、コア内にマーライオンされてしまっても、テトテトラは特に焦るでもなく解体作業を続けながら。 『ネスー。ラスが吐いた〜』 呼びかけられたダークネスも、コア内の惨状を目の当たりに気遣いを見せるが。 「乗り物酔いか」 『これが乗り物酔いってやつなんだね』 不正解。 「外の空気でも吸うか?」 ほら、出してやれ、との保護者の言に、テトテトラは勿論素直に応じる。 テトテトラもテトテトラなりに考えたのだろう、なんだか大変そうだからという理由で、若干急いだ風にぺいっとラスティをコアから排出する。 ……解体現場の脇に。 立ち込める血の臭い。周囲にはやけに美しく陳列された臓腑。しかも、工作艦の正確無比なナイフ捌きのお陰で解体速度が異常に早く、別けられた部位からは新鮮さを表すかの如き湯気が立ち昇っていた。嬉しくない。そんなできたて嬉しくない! しかも、あろうことか、謎の換気が行われるコア内の方が空気が余程美味しかったではないか! そんな思考がぐるぐる回ってるラスティの目の前では、事も無げに作業を続けている一人と一機。 『この形、凄く使い易いね』 「テーブルマナーも覚えられて一石三鳥だな」 『この魔物、胃の中空っぽ。食べなくても強くなる? もう食べたあと?』 ……最初のびっくり解体ショーを見た時。ラスティはダークネスに対し。 「機動生命体ってすげぇなぁ。魔物狩りより怖ぇわ。良くコイツのパートナーやってられるな、あんた」 なんて、言ったものだが。 今なら判る。 この二人は、成るべくして成ったパートナーであると……! とまれ、盛大に吐いてはしまったものの。中身をぶちまけたお陰で、若干胃の中はすっきりしたし、四回目ともなるとラスティ自身もまぁこういうもんなんだなという楽観、もとい、諦観を覚えつつある。あと、突っ込みどころも多すぎて追いつかないので、それについても「ま、いいか」で諦め気味だ。顔色は相変わらず冴えないが。 なんやかんやと解体を終え、綺麗に分解された魔物の遺骸を――以前に解体した三体のものも含め、テトテトラがこれまた綺麗に並べている最中。 咥え煙草に火を灯し、蒸気混じりの白い煙を一つ吐くと、ダークネスは漆黒の翼を羽ばたき、機嫌良さそうに作業しているテトテトラ周囲の森の上を旋回する。 『魔力はどう?』 「多少、強まってる気はするぜ。深い所に鉱脈があるのかも知れねぇな」 「……ん? 鉱脈って、何だ?」 生白い面持ちのまま、二人の会話――といっても、コアから出てしまうと、聞き取れるのはダークネスの肉声だけだが――を聞いて、小首を傾げるラスティ。 ……ふと、元々薄暗かった森が、更に暗さを増したのは、その時。 南から差す陽光が遮られ、長く伸びて森の一部を覆う、細長く大きな影。 逆光を浴び、暗色に沈む輪郭の中で、二つの光点がコバルトブルーに輝いている…… 魔物陳列を終え浮かび上がったテトテトラが、紺藍のコアにその姿を映し。 『ジョンだ。ジョンー』 精神感応で呼びかけながら、伸ばしたままのサブアームを、手でも振るように円弧状外装と共に回して見せる。 そう、鮮血に染まったナイフとフォークを、くるんくるんと。 ……順調に等速で進んでいた機影が、その姿を確認した途端に、ぴたりを動きを止めた。 止まるどころか、唐突に機首を取って返し、即行で方向を転じる。 (来てはいけない所に来てしまったようです) よもや、こんな所で魔物の華麗なる解体現場に遭遇しようなど予想だにせず、即離脱の構えで銃身の如き機体を北東方向へと翻す。 そんな、ジョナサンが戦略的撤退を始めようとした一方。 翻った機体の側面、描かれた海鳥と錨のノーズアートが、森の木々の隙間から垣間見える。 白地に青いラインが鮮やかな、410mの巨躯の突然の登場に、ラスティは気分が悪かったことすらも忘れ、 「うわー! でっけぇ! すーっげぇ!!」 黒い瞳を子猫のようにきらっきらに輝かせ、空に向かって叫んでいた。 そして、これが原因で。 黒親子二人は、外の空気を吸ったから乗り物酔いが収まったのだなと、勘違いを加速させていたりするのだが、『ラスは乗り物酔いの人』という誤解が解ける日は来るのや否や。 |