北辺
第三節
 吹雪いては止み、を繰り返す気紛れな天気。
 灰色の空模様は、心をも幾分曇らせるもの。しかしながら、今この時、メナスにある酒場からは、やけに明るい声が響いていた。
「んまあ。ぱぱーい」
「ぱぱーいか。ぱぱーい! あんた面白いなぁ」
 ……たぶん、『乾杯』って言ってる。
 愛さえあれば無問題、アンノウンの発する謎言語に釣られて、穀物酒を注いだ杯を合わせるラスティ。
 冷えはすれども凍える程ではない街の中。それが建物の中ともなれば、輪をかけて温かくなるのも必定。上着を脱いだラスティは黒いシャツ一枚の、更にラフな格好になっていた。
「おももるん。らー、あー、らす?」
「そう。俺ラス」
 何だろう、段々とアンノウンの言葉が様になってきている気がする。
 曲がりなりにも元ストリートミュージシャン。音をしっかりと聴き分け理解する、確かな耳を持っているようだ。背負ったギターの弾き方を忘れ、チューニングさえ適当になってと、知識として得たことは忘れても、身体で覚えた技術は感覚として彼の中にしっかり根付いているのだろう。
 まぁ、アンノウン本人はこういった事も全部、知的生命への愛が成せる業、と本気で思ってるに違いないが。
「そういや、あんたそれ弾けるのか?」
 ふと、彼の背中の弦楽器が気になって、首を傾げるラスティ。
「俺も魔楽器持ってんだけど、低音しか出ないんだよな」
「まばべろ」
 よし貸してみろ。とばかり、アンノウンは得意げな様子を見せるが……前述の通り、彼は己のギターのチューニングさえままならない有様である。しかも、ラスティの魔楽器は魔力を込めて音を出す類の品物だ。魔力を持たない異星人が真っ当に弾けるはずも無く。
「やは、だんだった」
「だんだったか。まぁ、いっか」
「いっかいっか」
 あっさり駄目でした宣言で返却するアンノウンに、これまたあっさりとした様子のラスティ。
 ……そんな和気藹々とした光景を、やけにしょぼくれた様子で見守るみちる。
「何で仲いいのお前ら。BEBさんぼっち安定とかマジワロエナス。台パン余裕ですよもう」
「うん? 何パン? 美味いのかそれ?」
「くっそ。ライの奴、『中の人置き去りプギャー』とかくっそ。戻ってきたら腹巻に指紋つけてやる」
「あれ、なんだ、あんたが何言ってるか判るのにわかんねぇ!」
 ……こんなの二人が初対面とは、ラスティの異星人に対する認識が大変なことになっていそうである。
 なお、台パンというのは『台にパンチする』の略で、ゲームセンターの対戦等で気に入らないことが起きた際、ゲームの筐体や画面を叩くことだ。器物に対しての八つ当たりであり、立派な迷惑行為である。
 要は、仲間に入れなくて八つ当たりしたい気分だ、という意味だが……片言状態のアンノウンとは和気藹々としているのに、言葉が通じるみちるに意訳が必要とは、なんと奇妙な状態であろうか。
 ……と、酒場でそんな遣り取りを繰り広げている最中。
 不意に外が騒がしくなった気がして、ラスティは飲み掛けの杯を置き、卓から一番近い窓を開き、顔を覗かせた。
 横薙ぎの雪は、灰色の空からしんしんと大人しく。
 白く霞んでいた景色も、気付けば遠く見渡せる。
 それだけに。後方へ噴き出される空色と、漆黒の中央で淡い光を放つ紺藍色の色彩は、その巨影と相俟って、ラスティの黒い瞳に鮮烈に映り込んだ。
「おおおおおおおー!」
 自然と声を上げ、思わず背伸びしてみたりするラスティ。止んだ吹雪のお陰で、浮ぶ姿は窓からでもよく判るものの。実際はかなりの距離があり、更には空の上。そんな事をした所で見え方は何も変わらないのだが、もっとよく見たい気持ちの表れか、彼はついつい爪先立ちになって空を見上げていた。
「すっげぇなぁ、アレ、降りてこねーかなぁ」
 猫っぽいどころか、子猫のように純粋な眼差しで見つめる円盤型の機影。
 ……あれは確か、数ヶ月前のことだったか。目玉の二つあるもっと大きくて赤いラインの白黒した奴が、魔物狩りをスカウトにやって来たことがあった。酒場で飲んでたり、宿屋で寛いでた魔物狩りが一斉に飛び出していって、その時見た余りの大きさに面食らった覚えがある。
 でも、あの時のでっかいのは、街の方には降りて来なかった。ふわふわ浮ぶあの目玉の中に乗り込んで話をした――と、スカウトを受けた魔物狩り達が、酒場に集まってがやがやと話すのを聞いただけだ。
 今度こそ、話したり乗ったりしてみたい!
 そんな想い一杯で、窓から身を乗り出すラスティ……の、横。
 どうしたどうしたと杯片手に肩を組んだアンノウンが、浮ぶ機影を見上げて一言。
「あれ、テトラじゃねえ?」

『ネス、名無しが居るよ』
 くるくると円弧状の外装を回しながら進む機体の中心。ランドルト環状の装甲に填まった紺藍色のコアの中に、無邪気な声が響く。
 空模様は小康状態。視界のよくなった眼下、少し前までは吹雪に隠れてよく見えなかった街も、今は畑の位置や家屋の並びまで見通せる。
 野良仕事中に接近に気付いて手を止めた農夫やら、荷降ろし中の御者と商売人がこちらを見て口を開けている様子やら、これから例の森へ出かけるのか、重装備をした魔物狩りらしき人影が身構えているのやら……
 ……勿論、手を振りながら酒場から出てきた革ジャケットの二人組の姿も、それはもうよく。
「何やってんだあいつ」
 何故か現地人に溶け込んでいる不思議な異星人の様子をコアの内側から見遣って、煙草を咥える唇の隙間から白い筋を吐き出すダークネス。気付くと見地人の輪に混じり、現地在住に見えてくる、あいつはとんでもない一般人だ。むしろ、一般人過ぎるから馴染むのか……?
『みちるも居るね』
 ダークネスの逡巡は他所に、そんな事をごちながらテトテトラは段々と高度を落としていく。
 するとどうしたことだろう。アンノウンと肩を組んでいる青年の表情があからさまに輝き始めたではないか。瞳なんて特殊な画面効果が出そうなくらいきらきらしている。
 魔物狩り……にしては軽装だ。とすると、あいつはこの街の住人だろうか。徐々に雪の積もった大地へと近付く機体の中で、考えを巡らせるダークネス。何やら、こちらに興味津々で街の端っこまで出迎えに来てるようだし、話を聞くには丁度いい。興味津々というか、先程からすっげぇすっげぇを連呼しているのを見るに、大興奮と言うほうが正しい気もするが。
「よし。出せ、テトラ」
『はーい』
 元気の良い返事と共に、不意に光を帯びる紺藍の宝珠。
 そこからスポットライトのように細く伸びた光が、やがて地上――街を護る薄い結界の境目へと接すると、消え行く光と引き換えにして、黒い軍服に漆黒の翼の長身が姿を現した。
 そのやや後方で。
 結局、自分も一緒になって降りてきたテトテトラの円盤状の体躯が、真っ白い雪の中へと着地する。
 ぽすすもふぁ……と、テトテトラ的には軟着陸のつもりだったようだが、なにぶん、全長45m。家一件分を余裕で超過する体躯の着雪に、積もったばかりの表層の柔らかい雪が水のように跳ね上がり、挙句には波のように街の間際まで押し寄せていた。
 雪の波は街を護る障壁に堰き止められ、内側にまで入り込む事は無いが……流石にびっくりしたか、境目近くに居た何人かは、新たに自分用の障壁か何かを張っている。
 一方、そんな規格外な出来事にも大興奮、駆け付けたラスティはそれはもう黒い瞳をきらきらさせて。
「メナスへようこそ!」
「よふふぉお」
 アンノウンまで御出迎えしているのは如何なものか。
 しかし、そんな挨拶もそこそこ。すっかりひゃっほい状態で興味津々なラスティは、円弧外装から延ばしたサブアームの一本で街の外で雪遊び宜しく白いものを掻き集めているテトテトラを、きらっきらの眼差しで見遣る。
「なあ、アイツが機動生命体ってヤツ? アンタが……えーっと、パートナーとか言う人?」
「そうだ。あいつはテトテトラ。俺はダークネスだ」
「そっか、すっげぇ。あ、俺はラスティだ」
「ほののうあぬのう」
「通じなくても容赦なく会話に混じる名無し先生まじぱねぇっす」
 何故か十歩分くらい離れた位置から一行の遣り取りを見守るみちる。そんな彼の様子に……ああ、こいつも異星人か、と眼鏡越しの一瞥だけで確認し、ダークネスはちびて来た咥え煙草を指先に摘み取り、細い煙を明後日の方角に吐き出すと……再びラスティへと視線を戻した。
「お前さん、この辺には詳しいか?」
「酒場と宿屋ならばっちりだ。他ん所も大体なら分かるぜ」
 案内が必要なら任せてくれとばかり、ラスティは色白のおもてに、にっ、と笑みを浮かべて見せる。
 ダークネスは、ほう、と一言溢してちびた煙草を摘んでくしゃりと捻じ消すと、着崩した軍服の胸元から、新しい煙草を一本取り出した。
「近くに森が有るって聞いたが」
「魔物の森か? あれがそうだ。見えっかな」
 俺弱いからあんま深くまで行った事ねぇけど、と付け加えながらラスティが指差したのは、南西の方角。
「ああ、あれがそうか」
 こちらに来る時はまだ吹雪いていたからか、すぐ近くを飛んでいたのを見過ごしていたようだ。もう少し、魔力感知に意識を向けて置けばよかったなと思いつつ、咥えたばかりの煙草に火を灯すダークネス。余り吹雪くようなら、雲ごとどうにかすることも考えるべきか――
 紫煙を燻らせる脳裏、過ぎる思惑と共に示された方角へ向けた漆黒の眼差し。
 また風が出てきたか、少し白く煙り始めた景色の中。鼠色に濁る空と白い大地の境目に、黒々と沈む森が横たわっていた。

 北辺の港町。
 陽光はどんなに高く昇れども、南の地平線に近く。日がな一日、斜陽が人々や建物の影を長く伸ばして大地に映す。
 寂れた感のある、小さな北の玄関口。ジョナサンの曳航のお陰で、余程に航行日数が短縮されたのだろう。同じ日に二回も船がくるなんて! と、港の住人は人生で一度経験できるや否やという出来事に、やけに興奮気味だ。
 無事に曳航を終えた白地の銃身は、サブアームを仕舞いながら街の上空へと少しばかり高度を上る。
 ここからは、極地経由で奈落の口を目指すのみとばかり、ノーズアートの描かれた機首を旋回させる機影に、荷の積み降ろしをする船乗の皆さんが、眼下で手を振っている。
 そんな船乗達へは、最初は応じずに。ジョナサンは完全に旋回が終わり、その場を徐々に離れながら――背(?)を向けたまま振り向かずクールに、背面越しでサブアームの一基を軽く翻した。
(吹き荒ぶ雪の中、振り向かず肩越しに手を振る。大変絵になる光景です。煤けた背中があれば完璧ですね)
 私の背中は煤どころか白ですが。
 などと、さり気無いお茶目さを発揮し、ハードボイルド風味な別れの演出と共に、北へと進んで行くジョナサン。
 陽光は背後、南側から斜めに差し込む為、大地はそれなりに明るいが、大陸真上の空は、港が見え始めた頃合からずっと、曇天に覆われまま。渦を巻いて濃淡様々に濁る鼠色からは、雪が降ったり止んだり、冷たい風が吹き付けたり収まったりを繰り返している。
 今まで沿岸と辿り渡ってきた他の大陸に比べれば、北方大陸は随分小振りだ。
 風は強いが雪は無く、視界の割と良い今なら、もう少し高度を上げれば、大陸の対岸までを一望できるだろう。
(奈落の口まで、もう間もなくですね)
 お待ちかねの海の謎が、もう間近に。
 心持ち、噴気孔に灯す蒼白色を勢いづけて、滑らかに辿る北への進路。
 前方には、小さな山と、小さな街、その側に広がる森が見え――
(――おや。どなたでしょうか?)
 凡そで、ジョナサンの全長の十分の一程度だろうか。
 森の真上に浮ぶ円盤状の黒い機影が、コバルトブルーの二つのコアに、ちらりと映り込んだ。
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