東雲明星 |
第一節 |
東から昇る二つの光点。惑星ティーリア特有の青み掛かった太陽が、地平線をじわじわと白く染めていく。 朝日って、こんなに眩しかっただろうか。 銀縁の眼鏡越しに差し込む陽光が、やけに目に染みる。これも昨晩起きた騒動のせいだろう……アウィス・イグネアは紺色の瞳を少ししかめるようにして幾度か瞬いてから、慌しく動き出した街並みを見遣る。行き交う人々は大抵が妙に眠そうで、昨晩から殆ど眠っていないのだろうと、容易に察しがついた。 西方大陸西部、魔都スフィラストゥールに訪れる夜明け。大海洋を隔てる『奈落の口』を境目に、惑星ティーリアの中ではもっとも西に位置するこの大陸は、他都市に比べると必然的に夜明けも遅くなる。 今頃はもう、碧京(へきけい)の辺り――東方大陸は昼を過ぎ、朝一番で港を経った荷物が、中央大陸圏に差し掛かった頃合だろうか。それどころか、商魂たくましいグリンホーンやシェハーダタからの物資は、夜明け前に港に届いているかも知れない。 昨日、唐突に起きた襲撃。傷痕も生々しく……とは言うものの、スフィラストゥールは伊達に『世界一』を幾つも謳ってはいない。人口と都市圏の広さから、侵略者による攻撃を集中的に受ける羽目になったのは確かだが、もしこれが他都市であれば、間違いなく『壊滅』の憂い目に晒されていたことだろう。街が街として機能するに問題ない被害で済んだという防衛力の高さ、そして、狙われ易さを鑑みた結果、来訪者らの滞在地がスフィラストゥールの近くと設定されたのも頷ける話だった。 無論、還らぬままのものもある。夜通し使い続けた回復魔術の疲労感に、アウィスから無意識に零れる溜息。来訪者を直接スフィラストゥールに受け入れないのは、こういった被災者感情に配慮してのことなのだろう……手を尽せぬままに見送った者の面影がふと過ぎり、抑えて久しいアウィスの感情の奥に、もどかしい憤りが湧いてくる。これほどに感情が揺れるのは、いつ以来だろう。かつて経験した、魔物の大侵攻以来だろうか―― わずかに過ぎった思いと共に、滞在地へ向かうべく街をでる道を辿るアウィス。 入れ違いに、その頭上を羽ばたきと共に通り過ぎていく影。 明けて間もない陽射しを浴び、漆黒の翼の外郭だけが蒼白く光を貯える。二つの朝日を背に、ダークネスは東側から市街地の上空を横切り、被災地点へ向かう。 「派手にやられたもんだな」 日が昇り、夜間には判らなかった実態が露になると、この魔都が想像より痛手を被っていることが確認できる。 街中に一直線に走る破壊の痕跡。未だ片付けも侭ならず、生々しく残る瓦礫。何分、昨日の今日のこと、加えて、防衛に当たった騎士や魔物狩りの有志にも相当数の負傷者が出たと聞く。作業をしようにも人手が足りていないであろうことは明白だ。 何より、あの有様……眠い目を擦り片付けに集まってきた人々の傍にふわりと降り立つと、ダークネスは少しばかりずれた眼鏡の位置を戻し、どう手を着ければいいのかと瓦礫を見上げている人々の視線の先を見遣る。 空中に浮んだ、瓦礫。 ……下層階は半壊し崩れ落ちているのに、魔術に支えられた上層部だけがやわな壁一枚と共に残って、妙に芸術じみた様相を呈している。 こいつは、専門の術士がいないと取り崩せそうにない。かといって、もしも倒壊の影響で固定の術が切れるようなことがあれば、浮遊部分が一気に崩れてしまう。そんな万一を考えると、下の瓦礫を退けようにも退けられず。手を付けたいが付けられない、集まった人々のそんなもどかしさが伝わってくるようだった。 今はまだ、昨日の緊張と興奮で、表立って感情を露にする者は然程居ないが……何処かぴりりとした現場の雰囲気に、これがいずれ不満として表に溢れ出すやも知れぬと、ダークネスの既に抱いている懸念に確信めいたものが過ぎる。 「あれは後回しだ。道塞いでるのから退けていくぞ」 慣れた様子で咥え煙草に火を灯し、細く煙を吐き出すと、手近な人員にそう告げて。 ダークネスは着崩した軍服の袖を軽く捲り、自身もまた崩れた石材を拾って台車の方へと運び出す。 その頭上、遥か上空を。 丸く巨大な影が悠々と飛び去って行った。 オリーブグリーンの装甲を煌かせ、大地を見下ろす姿は、すごくまるい。 いや、今は少しだけ。内蔵型噴気孔二つの蓋を開いた大長老(だいちょうろう)のお尻側から、噴炎が角のように生えている。 どどどどど、とみかん色を景気良く吐き出し空を横切っていく塊に、地上から注がれる沢山の視線。 (今日のおさはおおいそがしだよ) 朝日に照らされた深緑のコアを瞬きするようにきらきらさせながら、大長老は一路、東へ向かって飛ぶ。目指すは中央大陸南部・始まりの街グリンホーンだ。 やがて遠ざかっていく丸いお尻。その様を、眩しさに軽くしかめた銀の眼で見届けてから、シャルロルテ=カリスト=アルヴァトロスは長身を翻した。あとはあいつが自分でなんとかするだろう、そんな事を考えながら、徐々に人の集まり始めた山の手へ向かって歩き出す。 異星人である自身らの滞在地と定められた場所は、険しく高い山の麓のようだった。聞く所によれば、あの山の向こうは『魔の領域』などと呼ばれる危険地帯で、凶暴な魔物が闊歩しており、迂闊に立ち入れば無事で済まぬらしい。幸いにして、領域を隔てる山脈は標高が三千を越える険しさで、余程の事がなければ魔物も直接山越えをしては来ないという。 「魔物って……バカじゃないの?」 生態系そのものからして違い、異形の生物しかいない惑星、というのならば、異星人の間でも然程珍しい発想ではない。実際にそういった惑星に立ち寄って、物資の補給を行った事もある。残念ながら、異形の生命体はどれも文明を持つに至っておらず、彼らとそれ以上の交流を持つことはなかったが…… ところが、主文明を人型の知的生命が占めているのにも関わらず、それを脅かす異形の魔物が実在し、そいつらとは戦うしか解決策が無い…… まほう、まもの、まじゅつし。 こんな創作文学みたいな世界があるなんて、この星を造るに至った宇宙の法則は気紛れにも程があるだろうと、シャルロルテは整った面持ちの裏側で溜息を零す。 幾度目だか知れないそんな思考を打ち切って、見回す周辺。海風は山に遮られるのか、吹き降ろされる風は乾いていて、腰を過ぎるほどに伸びた漆黒の髪を絡ませる事もなくざらざらと撫でていく。風に押されるままに振り向いた山の対面、平野部の草木は背も低くまばらで、岩石質の荒涼とした景色が広がっている。 だが、一見乾いた大地とは裏腹に、山の恩恵か地下水が豊富に沸くようで、滞在地では真っ先に、水場の設置が始められていた。 地道……に見えて、よくよく見ると何かがおかしい、惑星ティーリアの土木作業。 組み上げられていく石材。水の溜まり場を作って……なに、それだけ? 確か、作業員と話したときは地下水を汲み上げると言っていた。それなのに、周囲を掘ったような形跡がない。ただ積んだだけにしか見えない石材の上に早々と据え付けられている取水口。どう見ても地中と繋がっていないだろう、それ。 作業している地上人が疑問を抱かない所を見るに、この惑星ではこれが当然のことのようだが、シャルロルテからすると奇妙な違和感を覚える。しかし、その奇妙さに興味を惹かれるのも事実であった。 そんな作業場のすぐそばに、一際大きな円盤――テトテトラが浮遊しながら近づいていく。工作艦である手前機動生命体としては若干小振りだが、人家の一件分を余裕で上回る体躯にテトテトラを目の当たりにした地上の作業員達が思わずどよめきながら手を止めた。 (地下水? 穴空ける? レーザーでできるよ。いらない?) 二つある円弧状の外装、その片方から格納していたサブアームを一本伸ばして見せるが……どうやら、意思疎通が上手く行っていないようで、作業員は突然出てきたアームに驚き、戸惑ったように顔を見合わせている。 全く、何をしているんだか。つい、バカじゃないのなんて口走りながら、シャルロルテが仲介に足を向けた時。 (そっか。コアの中じゃないとお話できないね) ランドルト環を思わせる装甲の中央、紺藍色のコアがきらりと瞬いたかと思うや、一番近くに居た作業員がすうっと、中に吸い込まれてしまった。 一際大きくなるどよめき。シャルロルテはもう幾度目だか知れない口癖が口をついて出てくることに諦観めいたものを覚えながら、テトテトラの元へと足を早めた。 わいのわいのと聞こえてくる人の声。 すっかり昇った朝日に黒い瞳を瞬かせると、アンノウンはひょろりとした細い手足で伸びをする。ずれたギターを背負い直し、進んでいくのはスフィラストゥールの街並み。 ようやっと作業に勢いが付いて来た街……の一方では、当たり障りのない日常が始まってもいた。 まごうことなき大都市であるスフィラストゥールは、その都市圏の広さから全く被害を受けていない場所も沢山ある。アンノウンが居るのも、そんな場所の一つだった。 時に、彼が何故、滞在地でなくここに居るのかといえば。侵略者を撃退した後、異星人が最初に降り立った折、彼は気紛れにそのままその場に残り……なんと、昨晩は普通に現地の人々と酒を飲んで騒ぐという暴挙、もとい、快挙を成し遂げていた。 元々、初対面と会話すのは彼の得意技だ。知り合ったんだから仲良くしようぜ。そういって、戸惑う人々の輪の中に入り込み、普通に客として酒を飲み交わし、普通に皆に混じってあれこれと噂話に花を咲かせ、普通に酔っぱらい共と夜を明かした。 「ねっみい……」 幾度目だかの欠伸をしながら黒髪をがしがしと掻き、多少ふらつく足取りで進む街並み。ふと見遣った軒先に、採れたてらしい野菜が並んでいる。 店番してるのは、昨日、隣で適当に弾いてたギターに合の手入れてたおっさんではあるまいか。 ……昨晩。酒場には固唾を呑んで会談の成り行きを見守る人々が集まっていた。そこへ突然現れた見慣れない男に、人々は警戒したり、あからさまに不信な眼差しを向けたものだが。 実際のところ、何か大きなことが起きている、と言うくらいしかわかってはいないアンノウンの口振りは、どうなるんだろうなぁと見守る人々とそう代わり映えのしないもので。一緒になってあれこれと適当な推測を言い合っているうちに、すっかり盛り上がってしまったのだった。 行き掛けに軽く手を上げて挨拶してみると、おっさんはそれに応じつつ、果物を一つ投げ寄越してきた。どうせ何も食ってないんだろ、なんて言いながら。 この星の通貨なんて持ってはいないが、何か返せるものはないものかと、ジャケットのポケットを順番に探るアンノウン。しかし、ぺらぺらの革ジャケットのポケットをひっくり返しても、綿埃くらいしか出てこないのはおっさんも承知なのだろう、ツケにしといてやると、昨晩とは違うむっつりした表情で言ってきた。判った、このおっさん、酒が入ると陽気になるタイプだ。 貰った果物に早速かじりつくと、寝起きには良く効く酸味が口一杯に広がる。 「そいやあよ、この辺は普通みてえだが。困り事とかねえか」 昨日はずっと西側から煙上がってたしよ。そんな具合に、世間話宜しく店先で始まる会話。何気に街の景色に溶け込んでいるアンノウンに、行き交う人々がたまに気付いて、判り易いくらいの二度見をする。 そんな人々にもまるで近所の知り合いのように軽く手を振るアンノウンに、おっさんがそういえばと切り出したのは―― ――守護塔。 それは、都市外の脅威に備え建造された、防衛装置。 都市圏を覆うように『障壁』を張り、外部から内部へ向けての攻撃を遮断する効果を発する。 無論、惑星ティーリアにおける脅威とは、魔物のことだ。 同様の装置は大都市であれば一つ以上を保有し、外壁の代わりを勤めている。中でも、スフィラストゥールのものは魔の領域より沸き続ける魔物への対処も兼ねている為、他都市に比べれば大型で、出力も高めだ。それでも、製造元ともいえる機構都市ツァルベルを護る八本の守護塔には遠く及ばないのだが。今回の襲撃を受け街の被害が皆無であった都市はツァルベルだけで、それはまさにこの守護塔のお陰だった。 とはいえ、障壁そのものは無敵ではない。長時間の負荷や、強力な力を受ければ、いずれは破られてしまう。障壁で敵を食い止める間に態勢を整え、実際の撃退は騎士や魔物狩りなどが行う、それが各都市においての主な防衛戦術。 そして、この度の襲撃に措いて。スフィラストゥールの守護塔、通称『東の塔』は侵略者からの攻撃負荷に耐え切れず、魔力の逆流によって内部装置が破裂してしまっていた。大型で高出力の守護塔ともなると、建造には機構都市ツァルベルの職人魔術師の力と、多量の魔鋼が必要となる。修繕も同様だ。 通常は、障壁が破られても魔力補充の休眠状態に切り替わるだけで、破裂などしない。今回の守護塔機能停止はまさに前代未聞の出来事だった。 いつまでも沈黙を続ける塔に、近隣住人の不安は募る。既にツァルベルには職人派遣要請が出されているはずだが……そのツァルベルもまた、無傷で済んだのは『街』であり、守護塔そのものは八本のうち三本が襲撃の負荷で崩壊を起こし、機能しなくなっている。都市規模に対し騎士団錬度が低く、防衛の殆どを守護塔に任せていたツァルベルにとって、障壁の喪失は死活問題だ。スフィラストゥールに修繕の人手がやって来るのは、どんなに早くともツァルベルの守護塔に復旧の目処が立ってからになってしまうだろう。 素材である魔鋼の確保も問題になるに違いない。産出地である山岳都市ダスランへの交通手段が限られているからだ。無論、ダスランも救援物資を必要としているだろうし、考えれば考えるほど、今回の襲撃が惑星ティーリアにもたらした傷痕の大きさを浮き彫りにする。 ことに、目に見える形でそれがわかる被害地域や塔の周辺には、なんとも言い難い暗い雰囲気が立ち込めていた。 魔力の欠片も感じられない塔周囲を一巡り、ダークネスは何も手につかぬ様子で空を見上げている人々の近くへと、翼を畳み舞い降りる。 「心配すんな。魔物だってそうしょっちゅう来やしない」 咥えたままだった煙草に火を着け煙を吹きながら、不安げな住人に声を掛けるダークネス。 ……その頭上を、また巨大な影が過ぎる。 さっきのまるいのか? 思い、見上げた漆黒の瞳が真っ先に捉えたのは、機体を走る赤いライン。 それから数秒して、全体がモノクロのツートンカラーをしていることに気がつく。全容の認識が遅れてしまったのは、そのサイバーなカラーリングの機体、スゥイ・ダーグ MAX(-・- まっくす)が低い位置を飛んでいたからだ。 塔を砕いた怪物の登場に、無意識に身を竦めてしまう住人達。ダークネスはそんな人々を宥めるように、どうどう、と判り易く両手で押さえるような動作をして見せる。 「大丈夫だ、落ち着け。話着けてきてやるから待ってろ」 点けたばかりの煙草の火を始末し、無精髭に落ちた灰を軽く払うと、漆黒を羽ばたき上空へと舞い上がっていく長身。 巡洋艦にしては小振りだが、それでも守護塔よりでかいスゥイの体躯。段々と全容が判らなくなってくる巨躯を前に……あの真ん中あたりにある丸いのがあいつらの目か? そんな事を考えながらダークネスが近けば、ボディカラーと同化し易いスゥイの灰色のコアに、翼を広げた黒い軍服姿が映り込む。 「おい、お前さん」 呼びかけに、徐々に速度を落としてその場に制止するスゥイ。 「……聞こえてるのか?」 (聞こえてるぜ) だが、音声でのやり取りが出来ない手前、ダークネスの方にはそれが解らない。 暫し見つめ合う両者。 が、やがて。 ダークネスを映し込んでいた灰色が、きらりと光る。 『これで話せるぜ。で、何だ?』 「……中か」 急激に変わった景色。確かめるように眼鏡の位置を直し周囲を見回すダークネス。無重力による不可思議な遊泳感と、直接頭に再生される音声に、どうやらここがスゥイの内部であるらしいと悟る。 普通なら慌てふためいてもおかしくない所だが、話せるようになったのならそれでいいかと、ダークネスは短い逡巡をしただけだった。 「下に怖がってる奴がいる」 『それは悪かった。もっと高い所飛べばいいか?』 「そうしてくれ」 すると、スゥイは平たい身体を四半回転させ、噴気孔を下向きにして紫の噴炎を点す。 ごっ、と文字通りに火を噴くその音に、ダークネスはコアの内部から眼下を見遣る。 「出来るだけ大きな音出すなよ」 『難しい事言うな』 炎を絞り、ゆるゆると上がっていくスゥイの体。 次第に遠くなる街並み。やがて、東の塔が指先程の大きさになった所で、これだけ上がれば十分だろうと、ダークネスは翼を広げる。 「……どうやって出るんだ」 『その前に聞きたいことがあるんだが』 ――それから、程なく。 煌くコアから機外へと解放されたダークネスを残し、スゥイは西側の山手へと静かに動き出した。 |
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