東雲明星
第四節
 魔都の西、魔の領域と街とを隔てる山脈に、一箇所だけある谷間。
 必然的に魔物の通り道となってしまう渓谷と、それを塞ぐように鎮座する砦。
 その真上に、丸底フラスコの口に返しがついたような形状の巨体が浮んでいた。
『障壁分を補う為に、砦の防衛門に騎士が集められてたぜ。魔物狩りも自主参加してるらしい』
 そんなダークネスの言葉に従いやって来たスゥイ。砦の周辺に集まった者達はその姿を間近に、各自様々な意味で大興奮だ。
 艶やかに光る、二つのコア。
 俄に門の周辺が騒がしくなったのは、その直後のことだった。
 響き渡る獣の咆哮。
 10mを越すであろう体躯。牛なのか、馬なのか。駆け抜ける蹄が大地に点々と痕跡を残し、理性の欠片もない双眸が砦だけを見据えて突進してくる。
 防壁展開、砦上部より指揮官らしき人物の号令が響き、後列に居並ぶ魔術師が詠唱を開始する。
 次第に防護門前に張り巡らされる不可視の障壁と、真っ向そこへ突き刺さる異形の体。直後、弾けるような音と共に障壁が爆ぜ消え、押し返された魔物が反動で転倒する。
 迎撃、再び発せられた号令と共に、閃士らが各々の武器を手に防護門からまろび出た。
 起き上がる魔物の足元を狙い、氷を纏わせた刃を振るう者、顔面に目掛け炎の一撃を浴びせ掛ける者、そして、反撃に繰り出された獣の牙を盾に纏わせた空圧で押し返す者。
 規律の取れた連帯で魔物をじわじわと追い詰めていく騎士団。
 その一方で。
 砦のやぐらの上から、新たな敵襲を告げる見張りの声。
 歪な顎に生える骨のような翼……薄気味の悪い異形が、渓谷の空を越えて迫ってくる。
 と、今度は。いち早く射られた風の矢が、異形の身体を風圧に巻き込み地面へと叩き落す。かと思えば弓を射た当人は砦の上から風を纏って飛び降り、とどめを刺さんとして敵の落下地点へと駆け抜けていく。
(あれが『魔物狩り』ってヤツか)
 荒削りながらも、的確に敵を狙い撃つ風の魔術。加勢するように、別の魔術師が地面へと術を仕掛ければ、競りあがった大地が鉄槌となって異形の真上に叩き落ちる。
 上空より見守るスゥイの前で繰り広げられる地上の戦い。
 多少の負傷を負いながらも優勢に進んで行く戦況に……しかし、今度は上空に浮ぶスゥイにだけ、遠く山間を抜けてくる別の脅威が見えていた。
(こうやって次々敵が攻めてくるんだな)
 大群でやって来る気配は今の所ないようだが、確かにこれは人手がないと対処できなさそうだ。昨日の襲撃で負傷者が沢山出たというのなら尚更だろう。
 思うや、スゥイの装甲が音を立てて動き出した。
 鈍い駆動音を響かせて開く前方部。左右に別れた装甲は胴体よりも幅広く掻き開かれ、格納されていたレーザー砲が姿を現す。
 キィン、と。
 高周波を伴い、山間を迸る紫色の光。
 ようやく肉眼に捉えられた新たな敵影は一瞬で光の中に掻き消え、砦の上でそれを目の当たりにした騎士と魔物狩り達が呆気に取られたように立ち尽くす。防護門前では魔物を仕留めた者達が何事かとどよめきながら、再び駆動音を響かせながら武装を仕舞い込むスゥイを見上げている。
 不意に、装甲と同化して見えた二つのコアが、瞬くように輝く。
 途端に、スゥイを見上げていた魔物狩りの二人が……掻き消えた。
『よう。中々やるな、オマエ達』
 慌てふためく二人に、コアの中で話し掛けるスゥイ。
 その時また、やぐらから発せられる敵襲を告げる声。
 折りよしと、スゥイは格納した者達に誘い掛ける。
『力貸すぜ』
 再び、スゥイの装甲が動き出す。
 響き渡る駆動音。剥き出しになった二基のレーザー砲に集められたエネルギーが、発射口に光を灯す。
『だから、オマエ達もオレに貸してくれないか』
 一緒にこの惑星を護ろうぜ。
 言外の意志と共に解き放たれた光が、渓谷を抜けて、魔の領域を貫いていった。

 防護門付近が、妙に騒がしい。
 いや、騒がしくなる事自体は、さほど珍しくもない。魔都を魔都たらしめているのは防護門の防衛そのものだ。魔物が現れれば否応なしに騒がしくもなる。
 障壁の分だけ苦戦を強いられているのだろうか。それとも、さっきの白黒模様のあいつが何かしでかしたのだろうか。
 よもや、防護門周辺がその白黒模様大試乗会会場になっているなどとは露知らず。寸断され、使えなくなった大通りの上をゆっくりと舞っていくダークネス。部分部分、通行できるように瓦礫が取り除かれてはいるものの、そこまで大回りをしなければならない住人には、不便この上ないだろう。
 しかし、その不便を圧してでも、近道をしようとする者も居て。
「無理するんじゃない、危ないだろ」
 飛べるなり、浮遊の術を使えるなりするならともかく。普通に乗り越えていこうとする相手の肩をわっしと掴まえると、ダークネスはひょろりとした細身の身体をそのまま持ち上げる。
「お? お、すげ、飛んだ飛んだ」
 運ばれながら、ギターを背負った男は細い両腕をひらひら。どうやら浮遊感を楽しんでいる風情。
 ……何だろうか、この違和感。
 一先ず瓦礫のない場所まで送り届けると、ダークネスは多少草臥れた様子で着崩した軍服の襟元を軽く整えながら、今運んだ相手をまじまじと見遣る。
 男は訝しげな眼差しを気にした風もなく、旧友にでも会った様な素振りで自然に手を振って見せる。
「いやあ、険しい山だった。越えるだけで日が暮れるかと思ったぜ。ありがとよ」
「何処へ行くんだか知らんが、帰りは安全な所を通れよ」
 そこまで言ったところで、ダークネスはこの男――アンノウンに感じていた違和感の正体を知る。
 ……ああ、こいつが来訪者って奴か。
 機械でない奴に会うのは初めてだが、魔力を感じないこと以外は、取り立てて特異な点は無いように思う。変わった奴らだ、という印象はあるにせよ、ダークネスにとってはその程度だ。
 が、このアンノウンは、来訪者の中でも大分変わった奴かも知れなかった。
「助けて貰った礼って訳でもねんだけどよ。悩みとかあんなら聞くけど、どうよ」
「どうよと言われてもな」
 どちらかとえば、ダークネスは悩みに突っ込んでいく方だ。
 まさかそんな事を尋ねられるとは思わず。しかしながら、面食らうというほど驚いた訳でもなく。つまるところ、この男は暇しているということなのだろうかと、短い沈黙の間に過ぎっていく思考。
 やがて。
「手が空いてるなら手伝えよ」
 眼鏡越しの視線で周囲を見回し、無精髭を貯えた顎先をしゃくって見せるダークネス。
 瓦礫は御覧の通りで、怪我人が残っている場所もある。住人の不安も当分消えはしない。
 やることはまだ沢山、街中に転がっている。
 ……そういうつもりで、手伝えと言ったわけだが。
「飛ぶんだよな。見失うんじゃねえ?」
 いっそ運んでくれよ、などと、屈伸運動をしているアンノウン。着いて来る気だ。なにゆえ。
 悩みの答えが『手伝えよ』であると解釈したのか、或いは、得意の気紛れだったのか。
 有無を言わさずついて来そうな雰囲気に、ダークネスは結局。
「……まあ、いいか」

 ――紺藍色越しに見る景色は、何処か不思議だ。
『一緒に来た皆、地上に降りちゃった。地に根を下ろして赤くなるってやつだね。違う?』
「少し違いますよ」
 サブアームに建材を携えすいすいと移動するテトテトラ。そのコア内で、アウィスは幼さの感じられる声の主と、やりとりを続けていた。
「あなたはいつもこういったお仕事をされているのですか?」
『そうだよ。くっつけたり壊したり剥がしたりもするよ』
 灰と漆黒の機体をくるくると回し、携えてきた建材を迷いなく積み上げていく。
 シャルロルテは魔術を用いた建築を訳が判らないと評したが。アウィスや他の作業員にしてみると、こうして魔術の固定効果なしに組み上げただけで倒壊せずに構造物を維持できているのが実に不思議だった。壊れない建物を作るのがテトテトラの固有能力なのかと勘違いしてしまうほどに。
 興味は多大にあれど、積んだだけの建物の中に入るには覚悟が居るのか、地上人の作業員達は出来上がった外観を暫くの間しげしげと眺めている。
 とまれ、一先ずはこれで、宿舎になる部分は完成だ。
『次はどんなの? 教えてくれたら僕頑張って建てるよ〜』
「そうですね……」
 救護所と、備蓄用倉庫と……当面、自分のように外部から流入する者があると考えると、宿舎の類をもう少し用意しておく必要もあるかも知れない。
 アウィスがそんな逡巡をしている一方、テトテトラは外装と一緒に四方に伸ばしたサブアームをゆっくり回転させながら、資材置き場へと戻っていく。
『僕のサイズでも家って奴には入れないんだよね。残念』
 元々、機動生命体には睡眠や食事の習慣もなく、宇宙空間が活動の舞台である手前、特別に家を持つ必要もない。母星圏の待機格納庫や輸送艦内が、辛うじて宿舎に相当するか否か、といったところだろうか。
 今作っている建造物ももちろん、異星人や地上人用だ。宇宙空間航行中に異星人が生活に使っている輸送艦の内部構造は、テトテトラも知ってはいるが……玄関があって、居間があって、寝室があって、台所があってと、一所に一人分の生活スペースが纏まっている建造物は、自然と好奇心が沸くものらしかった。
「人と同じ大きさの家には無理でしょうけれど、造船ドックのような大きなものなら」
『大きくしたら入れる?』
「ええ。きっとあなたの専用の家になりますよ」
『僕の家。いらっしゃいました、儲かりますか。ってやるんだよね。違う?』
 たまにごちゃ混ぜになって出てくるテトテトラの知識に、珍しく吹き出しそうになるアウィス。
 もっとも、全長45mが住める一軒家となると相当な量の資材が必要だろうし、人類用が優先される現状、実現するにしても当分先の事になるだろうが……
 とまれ、出来る限り多くの機動生命体や異星人の事を知っておきたい。アウィスはそろそろ外に出たい旨を伝えると、物腰柔らかに礼儀正しく一礼をして見せる。
「有難うございました。またお話してくださると嬉しいです」
『いいよ〜』
 まるで手でも振るようにサブアームを回転させながら、テトテトラは作業の続きへと戻っていった。

【第三節】   <<   【第四節】   >>   【第五節】