東雲明星 |
第二節 |
日が少し進み、輝く太陽が中央大陸を真上から照らす頃。 見慣れた――と思っていた港の、随分と様変わりした様子に、勇魚吠(いさなほえり)は、ははぁ、と感心したような、呆れたような息を一つ。 始まりの街グリンホーン。別名たる海の交差点を象徴するような、大きく張り出た岬。岬を外郭に大きく楕円を描く湾の中央には、『大桟橋(だいさんばし)』と呼ばれる大構造物があり、大桟橋から放射線状に延びる小さな桟橋が、実質の船着場となっていた……のだが。 いつもなら湾の周辺には沢山の船舶が浮んで、混雑時には港湾の出入りに少し順番待ちをしなければならないというのに。小型船は臨時の船着場のほうに回されているらしく、跡形もなくなった『大桟橋』の付近には、浅瀬に接岸できない大型船がちらほらと浮んでいるだけだった。 もっとも、この街のことだ、桟橋の修復くらいは一週間と経たずに終えてしまうのだろうが…… ざんざと打ち寄せる波打ち際。残っていた護岸に顔を覗かせて、修繕作業をしている人影に声を掛ける。 「こっから上がって宜しい?」 ぬっ、と顔を出したざとうくじらに一瞬驚いて、しかし、吠が人外の徒であると判ると、構わないよと手招きを返す作業員。 不意に変わって行く輪郭。十メートル近い体躯は徐々に縮んで、尾びれは二股に、胸びれには五指が生じ、やがて人の姿へと転じた吠は、ひょいっと護岸の陰に飛び乗った。 袖なしのシャツに、腿丈のパンツ。動きやすく、その分着脱も楽な衣服にさっさと袖を通すと、ふわふわした毛質の髪――襟足から伸びた白とグレーのまだら髪を二つに分けて結び、こなれた様子で肩前へ。 「ほんま、派手な襲撃やったねぇ……」 なんて言ってはみるものの。侵略者の襲撃当時、吠はいつものように海を泳いでいて、直接の被害を目にしてはいない。ただ、空を横切っていく大きな影と、一直線に伸びる眩しい光、それから、陸地の方で上がる黒い煙を、揺れる波間から見かけただけだ。 しかし、こうして現地に来てみると。 くじらの姿の時、たまに引っ掛ける事もあるが、それ位ではびくともしなかった大桟橋が跡形もなく。それどころか……乗り上げた護岸から見遣っただけで、街中を抉る巨大な痕跡が確認できた。 剥き出しの地面に散らばる残骸、刃物で切られたように半分しか残っていない家屋。 「なんやの、なんにもあれへんやん」 ……あの時見た光には、これだけの威力があったのか。 ふっと沸いた想像に、妙な恐怖心が沸いてきて、思わず身震いをする吠。 時を同じくして。 別の場所から、その光景を眺める者があった。愛用の銛『鳴海』を手に、海風にマントを棚引かせる小麦色の肌の少年、もとい、青年――沙魅仙(しゃみせん)。 岬から続く小高い丘から見回せば、湾から少し離れた海岸線にずらりと並ぶ小型船が見て取れる。消失し使えなくなった大桟橋に代わり、小型の船舶がグリンホーン周辺の漁村を臨時の船着場に利用しているのだ。大型船舶に至っては接岸できる場所が余りに少なく沖に停泊したままで、受け入れをしている漁村の船舶が総出で岸辺まで荷物の中継運搬を行っているようだった。 「ふむ、予想以上に破壊されたものだな……」 海から陸地、陸地からまた海へ。巡る沙魅仙の黒い瞳に映し出される一連の光景。つい先程、街の住人よりもたらされた情報によれば、グリンホーンの被害自体は大桟橋の欠損と街中に出来た大穴程度で、街の被害そのものは比較的軽微であるらしい。 だが、あれを『軽微』などと見過ごすようでは、ロードの名折れ! ……そんな使命感もあり、沙魅仙は守るべき領民と疑って止まない市民を支援すべく、こうして立ち上がったのだ。 とはいえ、一人きりで出来ることには限りがある。先ずは人手を集めなければ。ロードとしての資質を問われるであろう重要な部分だ。 そんな折、丁度護岸に上がってきた吠の姿が沙魅仙の目に止まる。 「ふむ、あの者も海に所縁有る人外の徒か……よし」 一人頷くと、沙魅仙は金色のメッシュが入った赤い髪とマントを海風に翻し、吠の姿を追って丘を下り始めた。 最後の瓦礫を山裾の資材置き場に放り込み、利根川 るり(とねがわ るり)は軽く額の汗を拭う。 辺りを見回すついでに見上げた空、一層に眩しさを増した陽光に、ぱっちりとした紫の瞳を瞬く。 「わ、もう太陽があんなところに……お昼のお手伝いをしないと」 気合を入れ直すかのように、少し緩んできた髪留めを一度解き、えんじ色の長い髪を後頭部の……いつもより心持ち高いところに結び直す。それから、瓦礫を運んできた台箱――車輪がなく浮遊する荷車のことである――を引いて、一路、グリンホーンの街へと下り坂を駆けていく。 ……破壊された部分が綺麗さっぱり穴が空いたようになっているのは、光線に当てられて蒸発したわけでなく、こうしたるりらの手早い活動のお陰だったりするのだが、吠が気付くのはまだ少し先になりそうである。 昨日の襲撃直後。まだ会談も終わらぬ真夜中に、状況の把握を兼ねて真っ先に災害復興に動き出したのは、各地にあるナハリ武術館と、聖ジュディス教会だった。中でもナハリ武術館は門下生にいち早く市民支援を呼びかけ、瓦礫の除去、怪我人の搬送などに人手を回した。お陰で被害程度が割に小さかったグリンホーンでは、こうして昼前にはおおよその目処がつくに至っていた。 何か力になりたい、募る思いにいてもたっても居られなかったるりにとっても、ナハリ武術館の支援指示は良い追い風になった。元々、何もなくとも手助けをするつもりでいたのが、支部に集まる情報を活用することで、何処に人手が必要なのかを容易に知ることができたからだ。 だが、他にもまだ人手が必要な場所は沢山ある。例えば、スフィラストゥール――昨晩の会談直後、ナハリ武術館の魔都本部から各都市支部へ支援要請があったことは、支部の門下生であるるりも知っている。グリンホーンの状況がある程度落ち着けば、支部がスフィラストゥール行きの船を手配するらしい、という話は聞いているのだが……港の状態が状態だけに、いつ頃になるかは不明のまま。 何とかして、力になりたい。昼食の手伝いが終わったら、西方行きの商船に乗せて貰えないか聞いてみよう…… ……そんな事を考えていると。 不意に、暗くなる頭上。 空は青々として、雲はレースのように薄いものがちらほら浮いているだけだというのに。 丘から見下ろした眼下の街にだけ落ちる、空を切り取ったように弧を描く黒い影。 おかしいな、と見上げた真上。 西側の山を越え、段々と近づいてくるまるい……まるい、すごくまるい! るりは視界に映りこんだ大長老の姿に、紫の瞳を負けないくらい丸くして、思わず叫んだ。 「丸くて可愛いーー!」 どよめきと共に空を見上げていた周囲の人が、そんなるりの反応に思わず吹き出すのが聞こえる。 急に集まった視線に流石に恥ずかしくなったか、るりは台箱を引きながら再び駆け出す。しかし、視線は大長老に釘付けで、そのまるい姿が街の外れに降りていくのを、ずっと破顔したまま見つめていた。 そうして大長老が現れる直前。 無事に吠と接触を果たした沙魅仙は、ロードのたしなみたるマントを優雅に翻しつつ、早速勧誘を行っていた。 「わたしは沙魅仙。貴君は此処のものか?」 「どうも宜しゅう。ここの者やないけど、どないしはったん?」 「今、漁をする為に人手を募っている。手が空いているようなら力を貸してもらえぬか?」 元々尊大な性格だというのもあるのだが、数cmばかり吠の方が背が高いせいか、せめて気位だけは高く……というのが無意識に滲み出て、佇む沙魅仙の姿勢がいつもより心持ち偉そうである。 もっとも、吠は然して気に留める様子もなく。沙魅仙の手にする銛を目にして、ああー、となにやら合点が行ったように手を打った。 「港あんなやと魚獲れへんもんね」 何か手伝えることがあればと思っていた吠に、特に断る理由もなく。 ええよー、と返そうとした、頭上。 大長老が現れたのは、その時だった。 「なんやの? なんやのん!?」 山を越えてくる巨大な影に、思わず早口になる吠。 同じようにどよめく周囲。沙魅仙も暫し丸く巨大な姿を黒い瞳で追いかける。 街外れに降りて行く大長老。それを追うように、次第に流れていく人。 やがて落ち着いてきた吠は、初見のどきどきが好奇心に変わり、緩やかに飛ぶ大長老の巨躯に親近感を覚えていくのを感じていた。 「なぁなぁ、あたしらも行ってみやへん? 野次馬するてことは暇してるてことやし、人手も沢山集まると思うんやぁ」 「ふむ、それは名案だ」 ならば急ごう。沙魅仙は颯爽とマントを翻すと、吠を伴い街外れへと足早に歩き出した。 そんなこんなで、すっかり注目の的になった大長老。 遠巻きに見ると、ふさふさに見えていた大長老の装甲。艶消しがされているせいもあるのだろうが、近づくと毛に見えていた一本一本がしっかりと金属質で、それぞれが人の胴体ほどの太さがあると判る。何しろ、全長450m。小さな村くらいなら、すっぽりと隠れてしまう大きさだ。 (もしもし。おさはとてもおおきいけど、すごく安全ですよ) ゆっくりと高度を落としながらそう呼びかけてみるものの、やはり、精神感応はコア外に居る相手には届いていないらしく、ざわめきと一緒に人がどんどん集まってくるだけ。 それならと、大長老はまるい装甲板の一部を開くと、そこからサブアームをそっと伸ばした。 (おにもつ運ぶお手伝いに来たんだよ) 驚く人々を刺激しないようにゆっくりと、置いてある物資、自分、街とは別の方角を指し示す。 しかし、人々はまだ驚きの方が勝るのか。ゼスチャーとしては決して間違いではないのだが、大長老の伝えようとしている事が中々伝わらない。 (ううん、どうしよう) ちょっぴり困ってしまいながら、何度か動作を繰り返す大長老。 と、そこへるりが勢い良くやって来る。 「わーー、とても大きいですねー!!」 まるいもの、飛ぶものが大好きなるりにとって、大長老はまさに好みのど真ん中。溢れる感情にいつものにこにこ顔はより一層に崩れて、余程に嬉しいのだろうということが傍目にもまるわかりだ。 そして、そんなるりだからこそ、大長老が何かを訴えているのだということにも真っ先に気がついた。 「えっと、荷物を、自分、あっち……判りました、運びたいんですね!」 その言葉に、周囲に居た野次馬達から、おお、と感嘆の声が上がる。 きっと、この機動生命体さんは被害が大きな地域へ荷物を運ぶ為にやって来たに違いない。このまるくて大きくて可愛らしい方ともう少し一緒に居たいのも事実だが、それよりも、一緒についていけば船よりも早く現地に行けるのではないか。そんな思いがるりの中を巡る。 「ここにある荷物は全部ダスラン宛で間違いないですか?」 周囲の荷物番に確認を取ると、るりは大長老に手を振って、判り易いように荷物を抱えて近寄って見せる。 (やったぁ、通じたよ。ありがとう) 大長老はそんなるりの姿を確認し、応じるようにまるいハッチを開いた。続いて、するすると降りてくるタラップ。 再びゼスチャーで荷物を示し中を示しとやって見せると、るりは力仕事は任せてくださいと、率先して荷積みを始める。おっかなびっくり、と言った様子で後に続く荷物番の人々。大長老もサブアームを使って、自身の内部へ荷物をどんどん積み込んでいく。輸送艦としては最大規模の大長老艦内はまだまだ余裕があり、一杯になるには少し時間が掛かりそうだった。 (ごめんね、おさ、サブアーム一本しかなくてごめんね) しかし、そういえば、これは何処の荷物なのだろう。 真ん中の大陸の港に必要なものが集まり易いと、シャルロルテにまずそれだけ聞いてここへやって来たわけだが。 (詳しいこと、教えてくれないかな) どうにかお話ができないものだろうか。今までの宇宙の旅で、いきなりコアに入れてしまうと喧嘩になり易いというのは、大長老も心得ている。でも、さっきにこにこしていたあのこなら、ちょっとくらいコアに入って貰っても大丈夫かな? さて、そうして大長老への積載が進む周囲では、沙魅仙が人手になりそうな若者の勧誘を進めていた。世界随一の港街ということもあり、海洋を得意とする人外の徒も存外に多いようで、沢山とは言わぬまでもそれなりの人数が沙魅仙に応じて集まりつつあった。 「これもコウテイペンギン族の威厳の成せる業か」 満足げに頷き、海風にマントをなびかせる沙魅仙。その視線が、荷積みの大長老に留まる。 あの者の助力が得られれば、新鮮な食料を素早く内陸まで運ぶ事もできるのではいだろうか。 そんな逡巡をしているところへ、持参の塩おにぎりで軽く腹ごしらえをした吠が。 「結構集まったねぇ。早速始めるん? それとも午後から?」 言いながら、吠もまた大長老を見上げ……浮いてるあの子らは何を食べはんのやろ? ふとそんな事を考えた。 |