東雲明星
第五節
 始まりの街グリンホーンから、延々と内陸へ続く渓谷。
 両脇に聳える壁のような山の合間を進み、やがて辿りつく終点。天然の袋小路の正面、唯一なだらかな斜面を登った、山の中腹。
 抉り取られ荒々しい表情を見せる山肌、螺旋を描く逆円錐形の巨大な穴、そして、周囲に僅かに存在する平地に、点々と存在する街並み。
 その傍らに、まるくておおきなオリーブグリーンが浮んでいた。
(あのまるいところ、うちでも入れそうだよ)
 山岳都市ダスランの魔鋼採掘場を見遣りつつ、積荷をサブアームで下ろしていく大長老。
 その間、るりは到着した食料で急遽始められた炊き出しの手伝いを行っていた。
「お待ちどうさまです。熱いから気をつけてくださいね」
 料理はあまり得意でないが、それでもできることは沢山ある。あちらこちらと駆け回り、器を配り、できたてが入った鍋を手に、人々の間を巡る。特に、身体の弱い年配者の元には率先して足を運び、少しでも体に負担が掛からないようにと気を配る。疲れ知らずなのは、るり自身の性格と日々の鍛錬の賜物なのだろう。
 採掘場を要とする労働都市だけに、ダスランの住人は頑健な大人が多くを占めるが、引退した老齢の作業員やその家族、それらを相手に商売をする為に住み着いた者など、数は多くないにせよ様々な人々が暮らしている。
 そんな中、大人に混じって不安げにしているのが、数少ない子供達。
「遅くなってすいません。一杯食べてくださいね」
 にこにこと笑顔を向けて、心持ち大盛りに食事をよそうと、子供達は安心したような泣き出しそうな、とても複雑な表情を覗かせる。
 子供達をこんなに怖がらせるなんて。いずれ来るであろう敵に向け、必ず倒さなければとるりの中にふつふつと湧き上がる正義感。同時に、この子達を守らなければという義務感も沸いてくる。
 並んで食事を摂りながら、歌を歌い、地面に絵を描いてと、少しでもその心を励まし癒そうとするるり。
 一方で、荷降ろしが終わった大長老は、今度は採掘場周辺に散乱する瓦礫をサブアームで取り除き、艦内に収容していく。まるいハッチは空けたまま、すっと街外れまで移動すると、邪魔にならない場所に瓦礫を取り出して積み上げる。
 粗方、除去作業を終えた所で、大長老は再びるりをコア内へと呼び込んだ。
『それじゃあ、戻ってもっかい運ぼうか。こつはなんとなく解ったから、疲れたら先に休んでてね』
「疲れは大丈夫です。でも、もう少し子供達の相手をしたいので、残って居てもいいですか?」
『うん、わかった』
 すっとコアから伸びる光を辿り、地面へと降り立つるり。不安げな表情を向ける人々に大丈夫ですよと笑いかけるるりの姿を確認しながら、大長老はみかん色の噴炎を吐き出し徐々に高度を上げていく。
(それじゃあ、いってくるよ)
 おっかなびっくりな住人と一緒に手を振るるりにサブアームを振り返し、大長老は再びグリンホーンへと飛立っていった。

 傾ぐ日に連れて、長く伸び始めた影。
 二つ居並ぶ陽光は等間隔に並んだまま徐々に回転して、次第に中央大陸を貫く山脈へと向かって行く。
 その山の上空、やや逆光気味に飛び戻ってくる大長老の姿を波間から捉えて、吠はしゅっと背中から潮を吹いた。風に流れ消えていく霧の中に、薄く浮かび上がる虹。
「帰ってきはったよ」
 今度は遅れないように。姿が見えてすぐ、魚介類で一杯になった船と共に、街へと泳ぎ出す吠。案の定、沙魅仙は船首で風に吹かれている。
 次第に近づく岸辺と、街外れに降りて行く緑色。そこから視線を巡らせて、沙魅仙は手ずから仕留めた獲物を見遣る。
「ロード自らが食料調達とはな」
 だが、民の為には労力は惜しまない。付き従う……かどうかはともかく、賛同する若者らの助力もあり、荷の積み下ろしに手を取られてしまっている漁村の代打くらいは果たせたのではなかろうかと、妙な充実感を胸に抱いてみたりする。
 鮮度の保持に冷凍能力のある者の力を借り、ダスラン行きの荷物が集められている場所へと皆して魚介類を運び込む。
 沙魅仙は一足先に大長老の元へと訪れ……とりあえず一番高い場所を見上げるように、大袈裟に体をそらして巨躯を見上げる。
「貴公、わたしと若者らが用意した食料も運んではくれまいか」
(まだ大丈夫だからね、おにもつどんどんいれてね)
 受け入れの意思表示に、サブアームで示される艦内。沙魅仙はうむ、と満足げに頷くと、後からやって来た吠らに、後ろから前へと大きく腕を振って合図する。
「突撃〜、なんちゃってー」
 足取り軽やかに荷物と共に艦内へ進んでいく吠。長く伸びたタラップを伝い、入り込んだ内部は……広かった。外観からして大きいことは判っていたが、実際に入ってみるとそれはもう。この中に村の一つ位は入るのではないかというくらいに。
「いやなにこれすごい広いなぁ、あたしが元に戻っても十分泳げそうやぁ。どこやったっけあれ、魔都か機構都市か忘れてもたけどそこの大劇場より広いねぇ」
 横も広ければ、縦も広い。すごくまるい大長老ならではの積載空間。ぱっちりした黒い瞳で高い天井を眺め回しながら、吠は思わず早口でまくし立てる。
 そこへ、遅れて悠々とやってくる沙魅仙。
 その気配に気付き、吠はやや興奮気味に振り返る。元々少し童顔なのが、この時の表情はそれに輪を掛けて、少女のようにきらきらして見えた。
「今日はもう漁お終いなんやったら、このまま乗せってってもらおうやぁ」
 物資だけいきなり山ほど届いても、人手が足りなければ捌ききれないだろう。ことに、なまものともなれば。一応の保冷処理はしてあるとはいえ、早めに手を着けるに越したこともない。もちろん、単純に復興の助けになることをしたいという気持ちもある。荷物ですらこれだけ滞っているのだから、ダスランへの人の往来はもっと少ないはずなのだ。
「ふむ、民の為に炊き出しをしようというのだな。貴君の心意気、気に入ったぞ」
 流石はわたしが目をつけた人材だと、なにやら誇らしげにしている沙魅仙。
 そして、そんな艦の中での遣り取りを、荷積みをしながら見守っていた大長老は。
(やったね! 一緒にきてくれる人いっぱいふえたよ!)
 最後の荷を積み終えると、一同を乗せたまま閉じられるまるいハッチ。
 随分と傾いできた陽射しを浴び、輪郭を白く輝かせながらゆっくり浮き上がっていく大長老の艦内に、吠の機嫌よさそうな鼻歌が緩やかに響いていた。

 色づくまでには至らずも、日の翳りは西方大陸に落ちる影をも徐々に長く伸ばしていく。
 魔都随一、そして、世界随一でもある高層建築『東の塔』が街に拵える影も、傾ぐ日と共に西から東へと居場所を変える。
 そして、その塔よりも高い位置に浮かぶ、全長290mの巨影。
 渓谷の砦上空に鎮座するスゥイからは、迫り来る魔物に向けて紫色の風や炎や光がひっきりなしに迸っていた。
 二つのコアの内部には、順番に交代で希望者が乗り込んで、術を放ったり、技を放ったり。
 ……煽り文句を付けるなら。
 『機動生命体大試乗会開催中!』
 と、いった所であろうか。
(ふう、結構エネルギーが減ってきたぜ。術ってのは思ったより力を使うらしいな)
 粗方に希望者を乗せ終えたところで、防護の術に優れた術士が乗り込み、防護門の前に薄紫色の巨大な障壁を撃ち出す。
 それを最後に、長らく開いたままだった装甲を閉じるスゥイ。
 無論、あんなのに乗れるか、と反発する者も少なくはなかったが。魔物、ひいては、宇宙から来るであろう外敵への有効な対抗手段として、スゥイの誘いを真摯に受け止めている者も数多くいた。
 渓谷を塞ぐように垂直に聳える障壁。その分厚さと強靭さに、これなら一晩は確実に東の塔の代理を務められるだろうと、そんな声も聞こえる。
(このバリアがあれば暫く大丈夫なんだな。なら、他の場所にも行ってみるとするか)
 不意に、機体を四半回転させたスゥイの尻が火を噴く。
 噴気孔から吐き出される紫の噴炎。初めは緩やかに、そして、高度が十二分と判断した所で、スゥイは虎の子の高出力二基にエネルギーを送り込んだ。
 機体より長く伸びた火柱が、スゥイの体を押し上げる。十二分な高度があるにも関わらず、熱風が地上へ届くのではないかという勢いで噴出した炎は、巡洋艦ならではの加速力と相俟ってスゥイの巨躯を一気に成層圏まで押し上げた。
 青空は瞬く間に眼下へと消え、頭上に広がるのは真っ黒な宇宙空間。
 出力を絞り、一旦そこに静止するスゥイ。
 真下に見えるのは西方大陸と、上空からでも良く見える魔都の扇状の都市圏。そして、その中を横切る斬撃のような傷痕。
 それだけでも既に、スゥイには納得が行かない。機動生命体の本能に抗い母星から離反したのだから当然かも知れないが……新たにやってきたこの惑星を、自分と同じ機動生命体に蹂躙されてしまうなど、尚更に納得できるわけがない。
 なんとしても、この惑星と人々を護る。スゥイはそんな使命感と共に、再び噴気孔から紫の噴炎を吐き出す。
 一気に加速が起き、流星のように惑星ティーリアの空を突き抜けていくモノクロツートンカラー。
(北方大陸ってのは、アレだな)
 白く彩られた極地の雪景色が、灰色のコアに徐々に映り込んでいく……

 ……そんなスゥイの超加速に、砦に残った者達はまたもやぽかーん。
 数秒で天へ消えて行ったその姿には、襲撃の疲れで流れ星が逆さに見えただけに違いないと、街中から目撃した者の約半数が実際に見た光景を信じなかったという。
 などという話を、夕暮れ前に店を開けた酒場の中で、仕事帰りの現地人に混じって聞いているアンノウン。普通に混じってる。物凄く普通に混じってる。当たり前のように乾杯してやがる。
 初対面でもなんとなく上手くやってしまうのは、こいつの特技に違いない。うっかり臨時結成してしまった四十路前野郎ズの空を飛ぶ方、もとい、ダークネスは、成り行きで連れ込まれてしまった酒場の端で、軽く腹ごしらえをしながらそんな事を考える。
 当のアンノウンは、知り合ったからにはと、隣の卓の酔っ払いのグラスに酒を注ぎ、注ぎ返されて、ありふれた光景を作り出している。
 楽器があるんなら何か一曲、という声に応えて、早速ギターをかき鳴らしてみるものの。もう髄分と触っていない弦はたわんでチューニングは無茶苦茶、しかも余りの久しさに弾き方をすっかり忘れているものだから、音階は輪を掛けて滅茶苦茶だ。
「いっけねえ、弾き方忘れちまったよ」
 悪びれた様子もなく言うアンノウンに、馬鹿だなぁなんて笑い声がどっと起きる。
 だが、そんな彼も、歌いだすと印象が変わった。
 ギターの弾き方と同じく、一度は覚えたはずの歌詞はもう忘れてしまった。それでも、体そのものが記憶した癖というのは、無意識にでも出るものらしく。適当に口ずさんでいてもなんとなく音階になって、そこに適当な歌詞を付けて。
 最後には人類みんなを愛してるの歌に無理矢理変えて、また酒場のおやじ共を笑わせる。
 それにしても、普段の口調はぶっきらぼうなのに、歌う間の発音のよさといったら。
「お前さん、話し方の割に随分共通語が上手いな」
「……そうだった。こいつ付けっぱなしだ」
 ふいと、思い出したように呟くと。
 アンノウンは薄っぺらい革ジャケットの襟元に付けていた小さな何かを、ぺちりと外す。
「〜〜〜〜〜」
「なんだ?」
「〜〜〜〜?」
「急にどうした」
 突然、意味の解らない言葉を発し始めたアンノウンに、静まり返る酒場。
 すると、アンノウンは外した何かを、ダークネスの着崩れた黒い軍服の襟元に貼り付ける。
「〜〜〜? ……!?」
 ネスさんまでおかしくなった!
 ……という酒場に上がるどよめきも、今のダークネスには謎言語に聞こえる。
「どういうことだ……?」
「その小っせえのがよ、相手の聞き取れる言葉に勝手に変えてくれんだ」
 言いながら、小さな装置を再び自分の襟元に付けるアンノウン。ああでも、もう外しちまおうか。人類を愛する心があれば相手の言葉だってすぐ覚えられるさ。そんな考えがふと過ぎる。
 だが、それよりも。詠唱呪文から派生した単一言語しか有しない惑星ティーリアの者達にとって、訛りどころか全く聞き取れない言葉というのは、凄まじい衝撃だった。もっとも、ダークネス本人はそういうものか、で軽く流していたりするが。
 実に、変わった奴らがきたものだ。
 見回りの続きをしようと席を立った背中越し、また騒ぎ出す酔っ払い共の声を聞きながら、ダークネスは細い煙を朱色に染まった空へ吐き出した。

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