東雲明星
第三節
 中央大陸に差す陽が傾ぎ、夕暮れへと時が進み始めた頃。
 グリンホーン沖の海中を、流星の如く飛泳する影があった。
 白く棚引く泡の尾は、空を切り裂く彗星のように。電光石火に海中を駆けるその姿は、水棲生物であろうと最早目視することは敵わない。
 接近に気付いた時には既に。いや、気付く前にその姿を捉えたとしても、逃げ出すことは出来なかっただろう。
 繰り出した『鳴海』は狙いを違わず獲物の鰓を貫き、その身体を瞬く間に海面へと跳ね上げる。
 勢い良く上がる水柱。海中から海上へ、変わらぬ速度のまま飛び出した沙魅仙の体が、沖に浮かべた小舟の上に振り落ちる。
 ずだん、と勢い良く着地を決めたはいいが、少々高く飛びあがりすぎたせいで、振動にぐわんぐわんと揺れる船。わーきゃーと上がる悲鳴と共に、船縁で休んでいた若者が何人か海に落ちていくのが見えて、沙魅仙は慌てたように咳払い。
「ふ、ふむ、大物すぎたようだな」
 そして、鳴海を一振りして、仕留めたての獲物――彼の身の丈を上回る文字通りの『大物』を先端から取り外す。
 船上には既に皆して獲って来た大小様々な魚介類が無造作に積み上げられていた。その中に転がり込んできた大物に、またぐらぐらと揺れる小船。
 ざとうくじら姿に戻っていた吠は、落っこちた若者を背中で押し上げ船へ戻してやりながら、ぱっちりとした瞳を海面に覗かせて船の様子を見遣る。
「ほんまに大物やねぇ。船も一杯になってもぉたし、一旦戻ろかー」
「よし、頼むぞ」
 濡れないようにと脱いでいたマントを再装着、沙魅仙が風に吹かれるべく船首に立ったのを確認してから、吠はグリンホーンへ向かって鼻歌混じりに泳ぎ出す。
「せやけど、あそこはもう結構食料足りてる感じするんよねぇ」
 元々が物流拠点だっただけに、物資自体は潤沢にあるように思える。どちらかというと、大桟橋の損壊で沢山ある物資の『荷降ろし』が遅れている、というのが現状のようだった。
 それよりも、大陸奥地にある山岳都市ダスランのほうが食糧不足が深刻なのではないだろうか。港の人手はほとんどが沿岸部に集まる船に回され、奥地への輸送人員が圧倒的に不足しているように見受けられる。グリンホーン内ですら輸送が滞っている現状、あらゆる物流をグリンホーンからに頼っているダスランの状況が芳しいとはとても思えない。
 そんな懸念に、沙魅仙は船首で向かい風を浴びながら。
「わたしも考えていた所だが、どうであろう、あの来訪者の力を借りるというのは」
「ああ、さっきのまっるい緑の? そういや、ダスラン行きの荷物積んでる言うてたねぇ」
 ええかもしれへんね。続く吠の言葉に、そうであろう、と背筋を伸ばす沙魅仙。
 やがて近づいてくる港湾と、山を背にした街並み。
 二人の視線は、その端っこに鎮座する、巨大なオリーブグリーンを見つめていた。

(おぼふ……艦の中がパンパンだぜ。てかんじだよ。ごめんね。一度運んでくるよ)
 目一杯に積めるだけの荷を積み込んだ大長老は、作業していた者達が機外へ出たのを確認し、まるいハッチを閉じる。
 そして、ゆっくりと浮き上がりながら……意を決して、三つあるコアの一つを、きらりと瞬かせた。
「わ!?」
 途端に、るりの体が浮遊感に包まれる。かと思うと、るりは既に新緑色をした半透明で巨大な空間の中に居た。
 薄い硝子のようなものの向こうには、空と、海と、グリンホーンの街並み。
 そんなるりの脳裏に、直接呼びかけてくる優しい声。
『もしもし。びっくりさせてごめんね。おさ、こうしないとお話できないから。怖かったらすぐに出すからね』
 ……ひょっとして、ここはあのまるくてかわいい方の中だろうか。
 それが判った途端、驚きと感動と嬉しさと、交じり合いすぎて表現のしようのない感情が、るりの中に溢れてくる。
「わー! おささんっておっしゃるんですか? ここは荷物を入れるところとは違うんですね」
『うちは大長老っていうんだよ。きみが居るのはコアの中だよ』
「えっ? 長老さん? し、ししし失礼しましたーーー!!」
『そんなことないよ。おさでいいからね』
 長老と聞いてあたふたするるりに、変わらず優しい声を響かせる大長老。
 でも、怖がったりはしていないようだと判断して、大長老はなんだか安心――らしき、ふんわりとした気持ちを覚えた。
『だれか、運ぶの一緒にきてくれる人っていないかなあ』
「道案内ってことですか?」
 るりが直接でなくとも、誰か他に随行者が居ないか、代わりに聞いてはくれないか。
 そんな想いをそろそろと綴る大長老に、るりはぐっと拳を握ると、「判りました!」と元気よく応じる。
「私がご一緒します!」
『ありがとう! やったね!』
 途端に、大長老の心中に広がる『なんかいいよね』。
 ほんのりとした感情の動きが伝わってくるようで、るりは益々大長老をかわいいと思ってしまう。
「その代わり、後で私をスフィラストゥールまで運んで貰えませんか?」
『うん、わかった。じゃあ、その時もおにもつ一杯運んでいくね』
 こうして、るりを伴い大空へと浮き上がる大長老。
 山岳地帯へ遠ざかって行く、オリーブグリーンの丸い機影。
 少し遅かったか、とそれを見送る沙魅仙。しかし、周辺の荷物番によると、まだ滞っている荷物が残っているらしく、あの機体はまた後で往復してくるだろうという。
「ふむ、では次の便に積載を頼むとしよう」
「ほんなら、それまでにまたたんまり獲って来とかんとね」
 耳後ろから零れた髪を結び直しながらごちる吠に頷くと、沙魅仙は再び若者らを伴い海へと引き返して行った。

 他大陸に遅れ、昼を迎える西方大陸。
 滞在地に新設された取水口からは、滔々と流れ出る水。持ち上げれば動かせるし、地中とも繋がっていないのだが、これは『こういう道具』であるらしい。
 便利なのか、大雑把なのか。
 水場に集まり昼食を摂る作業員らを見遣りつつ、休息を取るシャルロルテ。テトテトラはまだエネルギーがあるのか、休まずに作業を続けている。いきなり作業員をコアに収容した時はどうなるかと思ったが、機動生命体の会話方法がそういうものだと判ると、人々は案外普通に受け入れているようだった。あの取水口と同じく『こういうもの』だとして納得できるのかも知れない。
 と、不意に、爆破音がして遠くで上がる土煙。どうやら、テトテトラが邪魔な岩を零距離射撃で粉砕したらしい。すぐに、破砕した岩石の欠片を器用にサブアームで拾い上げ、遠くへ運んでいく。最初は周辺の状況を見て、『レーザーで一掃しちゃ駄目?』なんて言っていたが、流石に地形が変わりかねないからと止められた。
 そんなこんなで、着々と準備の進む滞在地。整地の終わった更地には、スフィラストゥール方面から運ばれてきた物資が集められ、資材置き場のような様相を呈している。
(どんな『家』を建てるんだろ)
 テトテトラが知っている住居というのは、宇宙航行中に滞在する輸送艦や空母、あとは母星に居た頃の格納庫くらいのもの。他の惑星では人の住処は空から眺めることしかなかったし、実際に建築したり、内部構造を知るのは初めてのことだ。
 ぽい、と運んだ岩を放り出して、空色の噴炎を吹きながらすいすいと戻ってくるテトテトラ。
(地面綺麗にしたよ)
 作業員達は戻ってきたテトテトラに労いの言葉を掛ける。直接通じては居ないだろうが、それとなく通じ合っているような気がするのが中々面白い。
 今度は何をするのかな。サブアームと一緒に円弧状の外装をくるくると回しながら方向を転じると、休憩を終えた作業員が資材置き場の木材を整形しに掛かっているのを発見。早速、興味津々で近づいていくテトテトラ。
(木材? 切り刻むの? 細かいね)
 人には重労働だが、機動生命体からすると細かい作業。しかし、テトテトラは工作艦、この手の作業などはお手のもの。
 引かれた線に沿って、さっとサブアームが滑ったかと思うや、寸分の違いもなく寸法どおりに裁断される木材。石材も同様に、四本あるサブアームがてきぱきと動く度、あっという間に整形の終わった資材が出来上がっていく。
 余りに華麗で無駄のない挙動に、作業員の間から上がる感嘆の声。
 その中に、午前の配達物資と一緒にやって来たアウィスの姿もあった。
「こんなに細やかな作業もできるのですね」
 昨日のこともあり、純戦力として機動生命体を捉えていたアウィスには、テトテトラのような工作作業に特化した機体の存在は意外な発見だった。
 こういった機体が存在するのなら、自分のように回復魔術が専門の者にも適した相手がいるのではないか――作業員らに疲労回復の術を施しながら逡巡するアウィス。
 組織再生により、疲労部位は瞬く間に修復され、身軽に動き出す作業員。
 すると、今度はそんな光景に興味を示す者が。
「回復の術かい?」
 声を掛けられアウィスが振り返れば。
 ……眼鏡越しの瞳に映るのは、見上げるばかりの長身。華奢で折れそうなシルエットを包むのは、惑星ティーリアでも余り違和感のない貴族然とした意匠の着衣。人形のように整った面持ちは何処かひんやりとして……機構都市ツァルベルの貴族街から来た、と言っても通じてしまいそうな雰囲気だ。
 だが、感じ取れない魔力に、そこに立つシャルロルテが異星人であると、アウィスにはすぐに判る。
「はい。珍しいでしょうか」
「まあね。それを言うと魔術自体がだけど」
 アレなんかさっぱり意味が判らないし。そう言ってシャルロルテが巡らせた視線の先には、例の置くだけ取水口が。
 他にも、支えがないのに水平に立っている屋根や、骨組みが無いのに崩れない壁……訳が判らない物が一杯だと、呆れたように零す。もっとも、然るべき時間を掛けて解析を行えば、天上の民たるシャルロルテには理解可能な段階まで魔術理論を落とし込めるかも知れない。
「魔術ないと何にも出来ないんだね」
「誰でも使えますから」
 息をするように皮肉を吐いてくるシャルロルテに内心でむっとしながらも、アウィスの表情にそれが表れることはない。ただ軽く細い銀縁の眼鏡のつるを押し上げて、静かに返す。
「それより、あなたは何を?」
 てきぱき働いているテトテトラに比べると、一見して油を売っているようにも見えてしまうシャルロルテ。だが、よくよく見ると衣装にあわせて作られたであろう凝った意匠の靴が随分と砂にまみれていて、余程に歩き回っていたらしいことが窺えた。
「言付係。午後は買出しに行くけど、君は何か必要なものあるかい?」
「いえ。それより、お聞きしたいことが」
 告げるアウィスの紺色の瞳が、一軒目の設営を終え再び建築資材の裁断を行っているテトテトラへと巡る。
「あの方は、戦ったりはなさらないのですか?」
「あいつは工作艦って種類で……ま、直接聞いてみればいいんじゃない?」
 そういって、シャルロルテは機嫌よさそうに資材を分断しているテトテトラを呼び寄せる。この方、物言いは辛辣だけど、なにやら妙に親切な気もする。ひょっとして口が悪いだけなのだろうか。
 そんなことを考えているアウィスに、シャルロルテは妙にぶっきらぼうに。
「中入ったら話せるから。後は勝手にするんだね」
「はい。有難う御座います。……あの」
 そのままアウィスの返事も聞かずに踵を返し、街へ向かっていくシャルロルテ。結果的にシャルロルテ個人のパートナーの有無を聞きそびれてしまったアウィスだったが、聞かずにおいてよかったのではないか……遠ざかっていく華奢な長身の背に、不意にそんな思いが過ぎった。

【第二節】   <<   【第三節】   >>   【第四節】