子午金環 |
第二節 |
「ここにいらしたんですね!」 「あ、るりちゃん」 「おお、貴公か」 一気に駆けつけた割には息を切らせる風もなく、にこにこと変わらぬ笑顔でいるるりに、吠と沙魅仙も表情を緩める。 駆け込む勢いそのまま飛び込んで抱き付きたくなるのは一先ず抑え、しかし、気になって気になって仕方ない沙魅仙の姿を、るりは若干、いや、ばっちりと見つめて、顔をさらに綻ばせる。 ああ、皇帝ペンギンが微笑んでる……! 可愛い!! ……そんな思惑は一先ず置いて。 「良ければ私にもお手伝いさせて下さい」 ぺこり、と礼儀正しく一礼するるりに、沙魅仙は感嘆の声を一つ。いずれ再会した折には誘いを掛けようと考えていただけに、願ってもない。これもまたコウテイペンギン族の威厳の成せる業か……確信と共に湧く感慨深さに、一人頷く沙魅仙。 ……コウテイペンギン族であるが故、というのは、あながち間違いでもない。 るりには、沙魅仙の姿が、皇帝ペンギンに視えていた。 人型であろうと無かろうと、目の前に居るのは皇帝ペンギン。 流線型の愛らしい皇帝ペンギン! ……などと、るりフィルターによって、己の姿が自動的に皇帝ペンギンに変換されているとは露知らず。 「いや、ここはロードとして改めて問おう。貴君、わたしのもとへ来る気はないか?」 自然と得意げに、そして、より尊大に。 片手を差し伸べる沙魅仙に、るりはそれはもう溢れんばかりの笑顔。 尊大に胸を張る姿は、真っ白い羽毛を膨らませているようにしか思えないし、伸ばされたその手も、ペンギンの可愛いフリッパー(翼)にしか見えない。 「はい! 精一杯頑張ります!」 黄色い声を上げて思わず抱きつく! ……のは、妄想の中だけに留め、るりは両手で沙魅仙の手を握る。それだけで、結構幸せな気分。 無論、るりが彼を慕うのはただ可愛い姿に変換されているからではなく、人柄や思想など、人間的にも尊敬しているからだ。現にこうして賛同者が集まり、『ロードナイツセブン』として団結したのを見れば、頼るに値する人物として間違いないと感じる。 「宜しくお願いしますね」 律儀にも、一人一人、握手を交わしたり、お辞儀をしたり。 そんなるりの姿に、吠は感心した様子で。 「ええ子やなぁ」 どこかしみじみとした風にも零す吠。 面持ちこそやや童顔ではあるものの、るりからすると吠は素敵な大人の女性。彼女ともっと仲良くなりたいという気持ちが湧いてくるのも、ごく自然なことだった。 「鯨の姿で大海原を泳ぐのって、どんなに気持ちいいんでしょう」 泳げないものだから憧れます、なんてにこにこと話するりに、照れるわーと、二つに分けて肩から前に流した髪の片方を弄る吠。絡めるように指先をくるくると回す度に、ふわふわした白とグレーのまだら髪が捩れ、解けて、また捩れと繰り返す。 「でも、なんか判るわぁ。あたしもね、空とか宇宙とかどうなってるやろうって、最近とみに思うんやぁ。あのおっきな機械の子ら来たせいかも知れへんね」 「機動生命体の皆さんも気になりますよね。そうそう、来訪者さん達の滞在地に、パートナー仲介事務所というのができたそうですよ。街で聞きました」 「え、なになに。それなに」 青い瞳が、ぱちくりと瞬く。興味津々、思わず見開かれた瞳のせいか、吠の童顔がいつもより更に幼く見える。心なしかきらきら輝いている気すら。 マントをなびかせる姿勢はそのまま、沙魅仙も片方の眉を跳ね上げると、何事か思い巡らせる。 「ふむ、パートナーか」 「仲介かあ……」 ごちる吠の内心に、むくむくと湧いてくる感情。 上手く息を合わせられたら、自分でも空からの敵や魔物を迎撃出来たりするのだろうか。 修復や治癒も勿論大事だが、そも、やられる前にやってしまえば、その必要はなくなる。 そう、攻撃は最大の防御。 正確には迎撃だけれど……どうやって防ぐか、災いの元を断つかも、考えんとね♪ ……なんて、それらしい理由付けをしてはみるものの。 この機を逃す手はないぞとばかり、吠の好奇心は胸の内で力強くガッツポーズを決めていた。 さて、そんなできたてほやほや仲介事務所のある滞在地。 シャルロルテ=カリスト=アルヴァトロスの銀の眼差しが捉えるのは、人一人分程もある鉱石の塊。 そして、それが既に大小様々に粉砕されているのを前にして、開口一番。 「バカじゃないの?」 ……犯人はテトテトラ。 もっとも、テトテトラの無邪気さは今に始まったことではない。悪気も他意もなく、ただ好奇心が高じての行為なのだろう。が、いきなり貴重な資材を破砕するのは、幾らなんでも旺盛すぎるだろう好奇心。 割れ方を見るに、もう一塊、大きな欠片があるはずなのだが。付近を見回してもそれらしきものは見当たらず。テトテトラの姿も見えないし……さてはあいつ、何処かに持って行ったな。 整った顔の裏で様々な逡巡を繰り返しながら、拳大の欠片の一つを手に取るシャルロルテ。 「魔鋼、ね」 魔力を発するという、特殊な鉱物。 今日もまたおにもつ運びに出かけている大長老(だいちょうろう)が、精製したミサイルと交換で貰ってきたものだ。 見た目は、ほんのりと青みを帯びた黒っぽい鉱石でしかないが……アウィス・イグネアの話によれば、純度が高くなるほど黒っぽさが薄れて色味が濃くなり、最上級とされる魔鋼は宝石と見紛う程の透明感と輝きを放つという。なお、惑星ティーリアの住人は生まれながらに魔力を感知する能力が備わっている為、ただの宝石か否かは近づくか触れるかすれば直ぐに識別できるそうだ。 しかし、その話から察するに、この魔鋼は品質としてはいまいちという事になる。シャルロルテは華奢な両肩を揺らし、ふん、と鼻を鳴らして。 「新素材の対価に三流品寄越すなんて、舐められたもんだね」 「質は確かにそうですけれど、これだけ大きな塊は珍しいですよ」 ……まぁ、既にだいぶちっちゃくなってはいるが。 指先で軽く押し上げたフレーム。細い銀縁のアウィスの眼鏡に、シャルロルテの白い掌と、その上に鎮座する魔鋼が映り込む。 「純度を高める方法も皆無ではありませんから、三流品でも十分に貴重です。ただ、それを出来る職人は限られているので、魔術院では報奨を出すなどで優先的に人材確保をしていた……と記憶しています」 そういった加工済みの魔鋼は、ツァルベルの守護塔修繕に優先的に回されているのだろう――そこまで考えた所で、アウィスは不意に、紺色の眼差しに物憂げな色を滲ませる。 表情にも出しはしないし、受け答えも至極理知的ではあるのだが。もういつ起きてもおかしくはない魔物の『大侵攻』を思うと、気が気でないというのが正直な所だった。 魔都の守護塔『東の塔』が正常に機能していたあの時でさえ、沢山の犠牲が出てしまったというのに―― (中々詳しいな、相棒) 俄に、直接、意識に届けられる言葉。 事務所の外に浮んでいるはずの相棒――スゥイ・ダーグ MAX(-・- まっくす)の声に、アウィスは自身の意識が思考の海に迷い込んでいたと気付く。 すぐに我に返って、ええ、と小さく頷いて外へ視線をやると……返しのついた丸底フラスコにも似た、オメガ型のスゥイの大きな輪郭だけが、窓越しの地面に影を落としていた。 「魔都へ来る前は機構都市の魔術院に在籍していました。研究分野が違うので専門的な事は言えませんが、一般の方より知識はあると思います」 「畑違いの上に古い情報って。役に立つのかい?」 相変わらず、シャルロルテの口からは、息をするようにぽんぽんと…… 慣れてきた感もなくはないが、積み重なってくると流石にむっとする事もある……が、物言いとは裏腹に、シャルロルテは魔鋼に関する一連の遣り取りに、いたく興味を示している様子。先程から何か小難しい図形や文字を紙に書き付けている所からして、魔鋼を使って何かやるつもりのようだが…… これが、異星の学問なのだろうか。 全然、理解できない。こういうのを、『笑うしかない』というのだろうか。それくらい、訳が判らない。 もっとも、ここまで理解不能なのは、シャルロルテが天上の民だからなのだが。 「で、その古巣の魔術院に用があるんじゃないのかい?」 さっさと職人でも技師でも拉致してきなよ。バカじゃないの。 ……罵声は兎も角、この方は、冷ややかな外見に反して、案外アグレッシブなのかも知れない。アウィスふとそんな事を思う。 「はい。行って来ます」 一礼をして事務所を出ると同時に、真上で煌く灰色のコア。 刹那、身体を浮遊感が包み込み、周囲の景色が薄い灰色越しのものに変わる。 『よし、飛ばすぜ。腰抜かすなよ』 相棒をコアに乗せたスゥイの噴気孔が、紫色の炎を上げる。 ……巡洋艦のあいつが本気を出したら、どうせ見送る間なんてありゃしない。 最早、窓の外に視線を向けのすら無駄だとばかりに。シャルロルテは北東の方向へと一瞬で遠ざかって行った噴炎の残響を耳に、紙に筆を走らせていた。 人の足で歩けば一日掛かる距離も、乗り物を使えば数時間。 まして、機動生命体ともなれば。同種の中ではとりわけ移動力で劣る工作艦といえども、人や獣の足とは比べるべくもない。 空色の噴炎を悠々と吐き出し、滞在地から山沿いに進む事数分。紺藍のコアに徐々にスフィラストゥールの扇形の都市圏が映り込む。 好奇心赴くまま、何処かのんびりと都市圏上空を横切る機体。やや低空を飛んでいるせいか、円盤状の機体が落とす影は凡そ円形。頭上に差す大きな影に人々は、また双子星が巡ってきたぞと溜息交じりに空を見上げるが……そこにあるのは見慣れた暗い星でなく、テトテトラ。 灰と漆黒という、全体的に黒っぽい装甲である事も相俟って、見上げてみるまで案外気付かない者も多いようで。予想外の物体を目にして動揺した皆は一様に、テトテトラが頭上を通り過ぎていくのを、茫然と見送る。 そして、シャルロルテの予想通り。一本だけ出しっ放しになっているサブアームの先には、滞在地から持ち出してきた魔鋼の欠片が、しっかりと携えられていた。ランドルト環状の機体中心部をくるくる回しながら通り過ぎて行くのを見ていると、魔鋼入手を喜んで見せびらかしているかのようにも見えなくはないが。単に機体が収納スペースを備えていない為、必然的にこういう形での持ち運びになってしまっているだけである。 (守護塔? ってあれかな?) 街中に聳え立つ一番高い建物へ、真っ直ぐ近づいていくテトテトラ。 周囲には、不安げな表情で塔を見上げる人々。スフィラストゥールの有する『世界一』の一つでもある『東の塔』は、その機能もさること、主要なランドマークも兼ねている。街のシンボルと称して相違ないこの塔を心配する余り、つい様子を見に来てしまうという住人も少なくなかった。見ているだけではどうにも成らないと、分かってはいても。 そんな東の塔に、機動生命体が急接近。否応なしに高まる緊張感。 魔鋼を持ったでっかいのが塔に何かしようとしている! ……なんて話が瞬く間に塔周辺の住宅街に広がって、塔の下には続々と人が集まってくる。 その群集の中に。 不安げな人々とは対照的に、なんの不安もなさそうな顔で、細い両腕を振り上げている人影が。 「おーい。おうーーい」 遠慮なく空に呼びかける黒髪の男に、周囲の人々から続々と向けられる険しい眼差し。すっかり注目の的だ。 しかし、当のテトテトラは眼下の様子より、塔の方に興味津々。周囲を旋回したり、高度を上げ下げして壁の様子を確認したり。 別段、なんともないように見える塔の外観。それもそのはず、破裂を起こしているのは内部の装置。地上人であれば魔力の消失が感じ取れる為、外からでも異常があるのだと知ることが出来るし、そうでなくとも人間であれば出入り口を使って塔内に入り、直接確認する事もできる。 だが、全長45mもあるテトテトラが人と同じように内部へ入るのまず無理だ。外から見ただけでは、石壁に閉ざされた内部の様子を窺い知るのは難しかった。 (何処が壊れてるんだろ。もう直った?) 首でも傾げるかのように、外周に浮ぶテトテトラの円弧状の装甲が、右に左にと回転する。 そんな頭上へと、男は羽織っていたぺらぺらの革ジャケットを脱いで、旗のようにぶんぶん振り回し始めた。元々細い身体は、上着を脱ぐと尚一層ひょろっぺらい。背負っているギターが大層な重量物に見えるくらいに。 と、そこで漸く、テトテトラが呼びかけに気付く。 (あ、名無しだ) 思うが早いか、きらりと瞬く紺藍のコア。 その瞬間、地上に居た男――アンノウンの姿は掻き消えて、巨大な球体の中へと移動していた。 「やー、丁度良かった、手間省けたぜ」 全力疾走してきた甲斐があったなどと、本当に走ってきたのかどうか疑わしい穏やかな息遣いで言いながら、革ジャケットを羽織り直すアンノウン。 どうやら何か用事があるらしい。塔の観察も終わったしと、テトテトラは丁度目に付いた瓦礫を除去しようと、格納していた残り三つのサブアームを伸ばし、また悠々と移動を始める。 『なになに〜?』 「さっきの塔のことなんだけどよ。何か色々足りねえらしいんだよ。魔鋼とか、技師とか」 『やっぱり魔鋼無いと建てられないんだね』 そんな遣り取りをしている間に、コアの外ではまたまた人々が騒然。 瓦礫の山の上に突然巨大な機械が現れたかと思うや、器用に瓦礫を取り除いて行くのだから、作業中の人々が呆気に取られるのも無理はない。 「そんでほら、お前そういうの得意そうだし。あと、アウィスって魔術師が、修復系の? そういうの上手いって聞いてよ」 『事務所のあの人? 呼んでみる?』 相手が意図的に拒否している等でない限り、機動生命体同士であれば精神感応による意思疎通は基本的に距離を選ばない。パートナー関係を結んだ者同士も同様。 同種族のテトテトラとスゥイは無条件で精神感応できる。そして、そのスゥイとアウィスは既にパートナー。テトテトラからアウィスまでの呼びかけは、スゥイを介すことで存外に容易く実現できてしまうのだ。 『用事が終わったら来るって言ってるよ』 「凄え、話早え」 これはきっと、世界が俺の愛に応えてくれたに違いない。などと、何の疑いもなくそういうことにしておくアンノウン。魔鋼らしき鉱石も、少量とはいえテトテトラが持参して来ているし。まぁ、大分足りない気もするが。 さてはてしかし、これで大体の段取りはついたはずだが、待っている間はどうしよう。 一応、思案はしてみるが、余り深刻にも考えていないアンノウン。歌でも歌うか? 一方のテトテトラには、魔鋼と同じくらい、気になるものがあった。 『魔物って面白そうだよね〜』 コアの内側に響く、テトテトラの無邪気な声。その『魔物』という危険でへんてこな生き物は、山の向こうにある『魔の領域』という所に沢山居て、渓谷を通って街を襲いに来るらしい。 除去した瓦礫の廃棄にも丁度いいし、砦の方に持っていってバリケードにしてしまおう。 そんな発想と好奇心とで、テトテトラは三つのサブアームで器用に瓦礫を抱え込むと、空色の噴炎を吐き出して、物々しい雰囲気に包まれた渓谷の方へ向かっていく。魔鋼を掴んでいる四本目のアームが、なんだか尻尾みたいだ。 徐々に後方へと遠ざかる、困惑する人々の視線と、守護塔。 しかし、見れば見るほど。 「中身はどうだかわかんねえけどよ、ガワはすぐ出来そうな形じゃねえ?」 『魔鋼いらないなら、僕でも造れるよね』 途中、アンノウンは瓦礫がなくなり綺麗に更地になった場所でぶらり途中下車。 然程長い時間でもない、二人の邂逅。 そして、後に起きる二度目の遭遇が、予想外の事態を生むことになるのだが。魔都の住人や来訪者は勿論、当事者であるはずのこの二人ですら、知る由もない。 |