子午金環
第四節
 アウィスが気付いた時には、眼下の景色はもう、緑に囲まれた歴史情緒溢れる都市に変わっていた。
 機構都市ツァルベル。
 外周を囲むように八角形に配されているのは、ツァルベル護りの要でもある八棟の防衛装置。
 それらを対角線で結んだ中心地に、魔術研究で名高い『オルド・カーラ魔術院』本部が鎮座している。行政関連施設や貴族街を差し置いてど真ん中を陣取り、挙句の果てには魔術院関係施設だけで中心半径数キロを埋め尽くしている辺りに、この都市においての魔術院の地位と重要性が窺い知れる。
 その魔術院の研究の集大成とも言える、巨大魔器『守護塔』。かつて歴史を賑わせた八名の大魔導師の名をそれぞれに冠す塔は、彼らの偉業と共に、永世、この都市に君臨し続けるだろうと、誰もが信じて疑わなかった。
 だが……内部装置は破裂したものの、外観に大きな変化の無かったスフィラストゥールの『東の塔』と違い、ツァルベルの塔は外装が破裂の衝撃に耐え切れず諸共に崩壊、北東側の二本と、西の一本の胴体部は見事にばらばらになっていた。魔術で固定処理されている天辺、空中にぽつんと取り残された屋根の意匠だけが、守護塔の面影を残している。無残にも護りを失った今、魔術院の施設群の密集具合は、都市そのものが何かに怯えて身を縮こまらせているようにも見えた。
 この有様では、職人を貸し渋るのも頷ける。爆ぜた瓦礫の処理、中と外を作り直す膨大な量の素材、何より再生を早める為に職人魔術師は一人でも多く確保したいだろうし……ここに人手を貸してくれと申し入れるのは、不憫にすら思えてくる。
 だが、今もし魔都で『大侵攻』が起きれば、その被害程度は散発でツァルベルを襲ってくる魔物のものとは比べものにならない。
 迷いはしない。避けられない選択があるなら、活かすべき方を取る。『死神』と陰口を叩かれようが、アウィスはそうして戦場を潜り抜けてきた。
 でも、今は。今なら……
 逡巡するアウィスを乗せて、スゥイは細く絞った紫色の噴炎を吐きながら、都市上空を巡る。
『真ん中に降ろせばいいか?』
「いえ、もう少し北側の……あの銀色の屋根の近くにお願いできますか」
『任せとけ』
 機敏に旋回する、白黒二色の機体。
 よそ見した一瞬で上空に現れていたサイバーカラーの巨躯に、かなりの距離があるにも関わらず、街の人々が大袈裟なくらいに動揺しているのが判る。
 あんなに街をめちゃくちゃにして、あんなに人々を怖がらせて。同じ機動生命体がやったことであるだけに、スゥイの中に湧いてくる憤りも計り知れない。
 目的の建物の真上にまで来ると、スゥイは噴炎を消して飛行状態を浮遊に変える。
 同時に、機体と同化する灰色のコアから、一筋の光が伸び……地上と接する先端に、アウィスの姿が現れる。無事に地面に降り立った相棒を確認すると、スゥイは街の人を怖がらせないように静かに、浮遊状態のまま高度を上げていく。
 このくらいで大丈夫だろうか。ある程度の高さにまで上がったところで、スゥイはまた噴気孔に紫色を点す。
(オレは山の方で待ってるぜ。何かあったら呼んでくれ)
 そんな言葉が脳裏に響いたかと思うや、ものの数秒で、街の上から消えてしまうサイバーボディ。
 相棒の居なくなった空から、激励のような噴射音だけが、遅れて地上へやってきた。

 ――自分の姿が球面に映り込んだ、と思った瞬間。
 ダークネスの身体は、外の景色を透過する、巨大な紺藍の中に移動していた。
 前もこんなことがあったな。然程、気に止めた様子もなく、ダークネスがそんな逡巡をしていると、彼を呼び込んだ相手の声が、直接脳裏に届く。
『魔物は魔鋼の代わりにならないの? 魔法は使う?』
 とても幼い印象を受ける、テトテトラの声。
 先日遭遇した白黒ツートンカラーのあいつは、随分と男らしい雰囲気だったが。機動生命体は外見だけでなく内面にも、かなり個性があるのだなと、ダークネスは成程なといった素振りで……
「……おっと、魔物のことだな」
 不躾にも、いきなり拉致していきなりの質問だったわけだが。こいつはこういう性格なんだろうと、細かいことには拘らず。ここは禁煙なんだろうかと考えながら、一応、火は点けずに、煙草を咥えるダークネス。
「魔術のような物を使う奴は居るぜ。魔鋼の代わりは……聞いた事ないな」
『色んな形のがいるけど、共食いしたりしないのかな』
「どうだろうな、俺は見た事ないが。どの道、弱肉強食だろうし、奥地の方ならあるかも知れないぜ」
 面倒見の良さもあってか、ダークネスからさらりと帰ってくる答えに、テトテトラは興味津々にランドルト環状の機体をくるくる回転させる。コア内部は無重力様の何かに保護されているらしく、回転に酔うといったことはないが、天地がくるくると入れ替わっても体感に何も変化がないというのは、空を自在に舞うことの出来るダークネスには、逆に不思議な感覚だ。
『中調べれば食性が分るかな』
「中?」
 言うが早いか、ダークネスが問い返すよりも早く。
 先程、騎士らが倒した魔物の亡骸に近づくと、サブアームを二基使い、器用に魔物の体を解体し始めた。
 テトテトラの体躯にしてみれば、5m級でも十分的としては小さい。しかし、サブアームは迷いなくてきぱきと動いて、的確、かつ、迅速に、魔物の体を腑分けにしていく。
『素材や食料になる?』
「なるやつと、ならないやつがいるぜ。しかし、お前さん、中々容赦ないな」
 しっかりばっちり開封し、胃の中身を調べているテトテトラ。無邪気さは時に残酷な面も覗かせる……そんな表現を地でいく奴なんだなと、それだけで納得してしまう方もどうかとは思うが。
『骨? 何の動物だろ。知ってる?』
「俺には判らないな。骨だけで判る奴の宛てもない」
『でも、主食は肉みたいだね』
 とまれ、この魔物は素材にも食料にも適さないものらしく、テトテトラは見事に分割された亡骸を、拵えた壁の向こうの森の中に、ぺいっと返しておいた。
『生物って不思議だよね』
 片や、黒い星の魔鋼に影響され、魔力が強まったり。
 片や、群れで襲ってきたり……
『魔の領域に魔鋼はないの?』
「有るとは言われてるぜ。とびっきりのやつが沢山埋まってるってのが、よく聞く噂だな」
『沢山あるのに、黒い星が来たら、襲ってくるんだよね』
 ……ああ、言われて見れば。
 魔鋼や魔力が影響しているとは言うが。幾ら、双子星の魔力が強いにしても、何故、身近で豊富な魔鋼の眠る魔の領域から離れ、都市に攻め込むような行動を取るのだろうか。
『人を食べたいの? 魔鋼が目的?』
「お前さん、中々鋭いな」
 生憎、その答えは持ってないが。
 紺藍の半透明越し、ふと、東の方角に見え始めた巨大な暗色に、ダークネスはそろそろ戻るかと、慌しさを増す砦の様子を見遣る。
「おっと、そうだった。その壁、助かったぜ」
『そう? 僕、建物とか得意だから、必要なものあったら造るよ〜』
 そんな言葉を最後に、テトテトラはダークネスをコアの外へと出す。
 彼が砦の上へ戻っていくのを確認して……テトテトラは、サブアームに携えたままの鉱石を、光にでも翳すように、空に掲げる。おさから貰った、魔鋼の欠片。
(これ持ってたら、寄ってくる?)
 解らないなら、試してみよう。
 魔鋼を先端に、無闇に真っ直ぐ伸ばしたサブアーム。それを、円弧状の浮遊外装と一緒に大回転させながら、テトテトラは魔の領域へ向かって、渓谷を奥へと進んで行った。

 仲介所事務所の卓には、名簿用紙の他に、大小様々に砕けた魔鋼の欠片が無造作に置かれている。
 魔鋼――『魔力』を放つ、特殊な鉱物。
 一塊だったのがこんな有様になったときは、テトテトラに対して例の口癖が自動射出されたものだが。
 そのお陰でシャルロルテが扱い易い大きさになって、結果オーライではある。どの道、成分分析をするなら、幾らかは砕く羽目になるだろうし。何だかんだで、シャルロルテの好奇心さんもかなり旺盛だ。
 さて、妙に空想文学じみた名称である点は、この際何処かに置いておくとして。
 『魔力』がこの鉱物から放出されるエネルギーであるとすると、魔力は放射線の一種なのだろうか。同種の因子を持つ生物は、このエネルギーを任意で行使したり、感知したりできる。そう考えると、魔力と称されるこのエネルギーは、平時から放射状態であると考えられるが……
 今のところ、魔力を長時間浴びたことによる身体異常等は現れていない。より詳しく精査してみるまで、断定はするべきではないが……一連の簡易健康測定では、異常らしきものは発見されなかった。単純な放射エネルギーとは、また何か違う性質を持っているということか。
「手間が掛かるったらないよ」
 何しろ、この魔鋼を調べ、自分の知識の及ぶ範囲に落とし込むには、それ相応の分析ができる専門の装置が必要だ。
 だが、そんなもの、この惑星にあるはずがない。
 となると……装置から用意しなければならないという、なんとも遠回りな工程が必要なのだった。
 専門職ではない為、余り複雑なものになると持て余すのだが……時間が掛かるのならそれはそれ。暇を潰すには良いと、シャルロルテはそう考えている。
「この三流品、不純物多すぎじゃない? 高品質とかいうのが欲しい所だよ」
 投影板にでてくる曲線と数値を見遣りながら、誰にともなく吐き出す文句。
 主成分の解析ができれば、純度上昇精製を行うことが出来るかも知れない。だが、その前段階の分析部分が、少々難航中。一度、品質のいいものとの結果差分を取りたいところだ。
「それにしたって、この矩形。見覚えがあるんだけどね」
 何処で見たんだったか。パネルに投影された図形を、白い指先で操作して、出力部を上げたり下げたり。透明な箱の中、粉末化され金属板の上に盛られた魔鋼が、反応を示すようにちりちりと僅かな光を発する。
 ……などと、天上の民基準で作業しているシャルロルテの行動が、地上人に判るはずもなく。
 たまに事務所を訪れる者は、来るところを間違えたのかと、看板を二度見してから入ってくるという状況が頻発していた。分析用に拵えた装置が、そこかしこに置かれておるせいもあるとは思うが。
 ……もう既に、事務所が大分狭くなっているし。
「専用のラボが要りそうだね」
 家主が帰ってきたら提案しよう。装置の保管用の建物は、テトテトラが帰ってきたら作らせるか。
 整った貌の裏でそんな事を考えていると。
 また新たに、事務所の扉を叩く者が……?

 ……時は少し戻り。
 それは、グリンホーンでのこと。
『もしもし、おさです。こないだは協力とかいっしょにのりのりしてくれてありがとうね』
 発着場で荷下ろしをしていた所に現れた沙魅仙と吠を、大長老は三つある深緑のコアのうちの二つにそれぞれ招き入れ、そんな風に声を掛けた。
 先日は賛同者――今は『貴志』の名称を得た者達の人数の事もあり、乗ったといってもそれは荷物スペース用の艦内。会話をする為にと招かれたコア内は二人共初めてで、吠はそれはもう興味津々で見えるものを早口でまくし立て、沙魅仙は浮遊状態の初体験に感慨深そうな顔をしていた。
 そんな二人の目的が仲介事務所だと知ると、大長老はこないだののりのりのお礼も兼ねて、快く二人を滞在地まで運ぶことに。
 かくして、 東の空に浮かぶ、すごくまるいオリーブグリーン。
 ……その姿を見つけたるりは、明るい表情で、空を仰ぐ。
「おささん!」
 建物のない東側の空き地に降りてくる姿を追いかけ、駆け出するり。
 にこにこ笑顔、小麦色の健康的な両腕を振りながら近づいてくる姿に、大長老も直ぐに気付く。
『あっ、るりさんだよ!』
「るりちゃんもこっちきてたんやぁ」
 コア越しの景色、手を振るるりに吠も中から手を振り返して……あ、でも、これ、あっちからは見えへんよねぇ、なんて思ってみたり。
 深緑のコア二つから伸びる光を辿り、遂に滞在地へと降り立つ吠と沙魅仙。
 山から吹き降ろす乾いた風にマントを翻し、やっぱり尊大に礼を言っている沙魅仙に、るりの表情は一層綻ぶ。本日も対ロード専用高性能るりフィルターは絶好調のようである。
 一方の吠はというと、出番待ちか特に何をするでもなくまったりと停泊している大小様々な機動生命体らの姿に、やっと落ち着いてきた筈の好奇心が、心の中で激しくストレッチを始めているのを感じていた。
「このおさちゃんもかなりおっきいと思てたけど、もっとおおきなのんもおるんやね。色も一杯あるし、よりどりみどり、なんちゃって。仲介所ってあれかな? あ、るりちゃんはもう登録したん?」
 段々と興奮してきたのか、それに連れて告げる言葉も早回し。結局、まくし立てるように一気に言い切って、吠は街並みなどを興味津々に見回している。
「登録の用紙だけ貰って来ました」
 これです、とるりの取り出した紙に集まる、興味深そうな視線。
「所長さんがお出かけ中だそうで。スフィラストゥールに戻る前に戻って来られたら、直接お渡ししようと思って、下書きだけしてみました」
「ふんふん、相手の希望とかを出すんやね」
 なんかどきどきしてきたなあ、心の準備でもするように、項目を見つめる吠。ちなみに、るりの中では、シャルロルテは副所長である。
「よし、案内してくれぬか」
「はい! こちらです」
 何の疑いもなく尊大なロードに対し、何の疑いもなく家来のように道案内を始めるるり。なんだかんだで、この二人、息ぴったりだ。
 そんな三人の様子を、大長老は静かに見守る。
(るりさんは、なんて書いたのかな)
 うちはすごくまるいから、まるいこ好きな彼女がまるいこを希望していたら、なんかいいよね。大長老の中に、そんな思いがほんわりと過ぎった。

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