子午金環
第七節
 音もなく頭上に翳る、暗色の巨星。
 沸々と湧き上がってくるこの高揚感は、高まる魔力のせいなのか、群れ押し寄せる魔物への戦慄か。
 その巨星の姿すら、覆い隠してしまう巨躯。
 砦の上空に現れた赤いラインの機影の下で、ダークネスは漆黒の翼を羽ばたく。
「また会ったな」
 白い塗装部に紛れ、一見ではわかり辛い、灰色のコア。
 薄っすらと映りこむ己の姿と……その向こうに微かに見える人影を見つめて、ダークネスは手にした槍を、軽く翻す。
「頼りにしてるぜ」
 告げられた言葉に応じるように、ぼっ、と音を立て、一瞬だけ炎を噴く噴気孔。
 その音に、コアの中に居たアウィスが、軽く後方を振り向く。
『怖くないか?』
 大丈夫だ、オレが付いてる。意識に直接届く頼もしい声に、アウィスは無言で頷く。
 そんなスゥイのツートンカラーの装甲より更に上空に、彼に賛同し集まった辺境の荒くれ者達……を乗せた、機体がいくつか浮んでいた。相乗りも多く、数はさほどではないが……
(初陣は魔物相手だが……オレと相棒、オマエ達でどれくらいの力があるか試すには、絶好の機会だろう)
 僚機らを介して、コア内に搭乗している荒くれ者達へ精神感応で呼びかける。
(ココで怯えてる人々にも、オマエ達の度胸を見せてやれ!)
 平たい面を地に向け横倒しに浮んでいたスゥイの機体が、垂直方向へ直角に起き上がる。
 同時に、あらくれーずを乗せた機体が、渓谷の最前列へと思い思いに布陣していく。
 地上に既に布陣していた騎士や魔物狩りも、防護門を背に臨戦態勢を取った。
 ……出撃前、大長老から、ダスランでの採掘支援のお礼に魔鋼を幾らか貰えることになったと、連絡があった。パートナーが魔都で活動している事もあり、戦いが始まったら荷物と一緒にこちらへやってくるとも。
 スゥイらがツァルベルから連れて来た職人は、『東の塔』付近に待機して、十分量の魔鋼が手配されるのを待っている。
 巨大な星が、砦を跨ぎ、渓谷の真上へと差し掛かる。
 嵐の前の静けさか。
 疎らでも、さほど間をおかずに続いていた魔物の侵攻が、ぱたりと途切れた。
 ――この嫌な空気には、覚えがある。
「他に頼りすぎるなよ」
 奇妙な静寂。必要以上に力んでいた者達へ、ダークネスから届く声。
 ……直後に。
 敵襲を告げる警鐘が、砦の上で打ち鳴らされた。

 砦付近に響き渡る、鋭い鐘の音。
 それは、万が一の事態に備えての、避難指示信号。
 万一。それを防ぐのが騎士団の責務ではあるが……様々に重なった不測の事態を前にすれば、安全策は幾つとっても足りる気がしないものだ。
 るりは即座に、避難を開始する人々の誘導を開始した。足を挫いた人が居れば駆け寄り、迷子が居れば手を引き、目指すは一路、砂利の大通りの末端、『ふがしのとう』。
 今の所目印以外の効果はないが、それで十分だった。もう少しすれば、大長老が来てくれる。人々を導く『避難所』としてるりが思いついたのは、オリーブグリーンの無敵装甲に護られた大長老の『おにもつスペース』、つまり艦内なのだ。
 避難は順調、街側から砦への伝令に、騎士らの表情が更に引き締まる。
 渓谷を、重苦しい足音で駆け抜けてくる、複数の敵影。
 壁のように布陣し、堰きとめようと動き出す地上部隊。その動きを逐次確認しながら、ダークネスはぶつかる前線の上空を注視する。
「上からも来るぜ。気を抜くなよ」
 羽ばたきが聞こえ、砦の上に展開していた空中戦力が前進していく。
 ダークネスも戦線に合わせて前進しながら、しかし、率先して前には出ず。俯瞰位置で全体の戦況を見渡し……
 空中の包囲の隙間を、浮遊する落下傘のようなものが、不気味にすり抜けた。
 迎撃に回り込んだ人外の騎士が、何故か近づくことが出来ずに地上へ落ちていく。すかさずに、滑空でその身を浚い、振り向けば、放たれた炎や氷の矢が、落下傘の周囲で爆ぜ消えている。
 落下傘は等速で、不気味に侵攻を続ける。
 追従するように、あとからあとから高速で迫り来る異形。
 だが、後続が包囲の穴へ辿り着くより早く。落下傘の傘部分が、唐突にぐしゃりと押し潰された。
 耳のいい者や、低音域での会話に適性のある人外の徒であれば、その低く重厚な空気の波が、ダークネスの喉から発せられたのだと気付くことができただろう。
 無音の咆吼。丸めた紙のようにぐしゃぐしゃに潰れた異形は、体液を撒き散らしながら地上へと落ちていく。
 術を弾く障壁すら打ち破るその威力を生み出すには、相応の負担が掛かるのだろう。ダークネスはむせたように軽く咳払いを一つすると、再び俯瞰位置へと漆黒の翼を羽ばたく。
「余所見してる暇はないぜ、もう次のお客さんだ」
 弾丸のように、飛翔する敵影。
 小さすぎる的は、機動生命体が相手をするには適さない。範囲型の攻撃であれば、範囲にさえは入っていれば当たる訳だが……それはつまり、そこに居る味方にも被害が及ぶということ。
 馴れるには実戦あるのみ、手透きの駆逐艦と共に馳せ参じた吠は、まさにその的の小さな敵に翻弄されていた。
「や、これ、どこ狙ったらええん!?」
 小回りが利くといっても、戦艦に比べればという話。忙しなく動き回る敵だけを的確に射抜くのは、飛びまわる蚊を倒す時のような、絶妙な難しさがあった。
 前衛のほうでは、体躯を生かして通せんぼし、敵の進行ルートの限定を試みている機体もあるが……数百mを越す巨躯も形は様々で、人と同程度の大きさならば難なく抜けられる箇所もある。
「あの隙間、気をつけろよ。さっき通り抜けてるのがいたぜ」
 上空からの観察で気付いたことは、即座に伝達、情報の共有による勝率の上昇を図る。
 しかし、加速度的に増え始めた敵影と、比例して加速し始める負傷と疲労。反応が鈍り、各所で崩れ始める連携。
 ……その時。
 戦場上空から響く、駆動音。
 大きく掻き開いた白黒二色の巨影が、剥き出したレーザー砲に、紫色の光を点した。
『その力に期待してるぜ。頼むぜ相棒』
「はい」
 力強く頷き、アウィスは詠唱を開始する。
 猛る獣の叫び、傷つく者の悲鳴、士気を奮い立たせる仲間の雄叫び。
 墜落に翼を折る人外。膝を折って蹲る魔術師。流れる血に視界を失い、それでも、仲間のために最後の盾としてその身を魔物の前に曝す騎士。
 数年前は、皆、還ってこなかった。
 今日は、選ばない。
 全員、生還させる!
『いくぜ、必殺』
 言いながら、スゥイは大きく掻き開いた前方を、眼下、地上の方向へと向ける。
『……違うな、殺じゃ倒すほうだ』
 そんな逡巡の一拍を置いて。
 スゥイが地上へ向けた二門のレーザーが、まるで機関砲のように光を放った。
 戦場に降り注ぐ、紫色の雨。
 アウィスの術を貯えた光の雨は、眼下に居る全ての騎士と、全ての魔物狩りを包む。
 傷口は瞬く間に塞がり、失血は再生し体内を巡り、盛り上がり活性化した組織が、失った肢体を甦らせんと奮闘を開始する。
 駆動音を響かせ、スゥイは開いていた装甲を閉じると、何処か得意げに。
『必生・生命の雨。なんてな』
 オレの相棒を、二度と死神なんて呼ばせやしない。

 渓谷での激戦の喧騒が、固唾を呑む人々に微かに届く。
 双子星が海へ抜けるまで、あと数刻。
 じわじわと西へ進む黒とは別に、東の空に、オリーブグリーンのすごくまるい機影。
(もしもし、おさが魔鋼をお届けにきましたよ)
 魔都上空に辿り着いた大長老は、ゆっくりと、目印になっているらしい『ふがしのとう』へと降りてゆく。
 着地と同時に開く、まあるいハッチ。するすると降りてきたタラップを伝い、中への避難を促するり。その真上を、魔鋼の運び出しのために、テトテトラが往復している。
 ……あれは、それぞれの仕事をする為に、滞在地で一度分かれた時。
 荷台に揺られて魔都まで戻る間、遠くダスランへと向かう大長老と、交わした会話……

『うちの昔の同乗者は、何十年か前に故郷で『てんじゅまっとう』したんだって』
 人はそれをすると、とおいとおいどこかの星になれるのだと、大長老は聞いたという。
 姿も声もなくなって、触ったりもできなくなってしまうけれど、故郷を照らす光になって、ほかのこたちの『いのち』を育ててくれるのだと。
 その折に、『人ってすごいよね!』と言っていたのが、るりにはなんだかとても印象に残った。
『宇宙にはまだまだいっぱい、うちらの知らないことがあるんだよね』
 いっしょにそういうのを、たくさん探していけたらいいな――

 機動生命体は、決して危険な存在ではない。
 そのことを、もっと人々に知って貰いたい。
「大丈夫、テトラさんは精密な作業が得意なので、ぶつかったりしません」
 拳を握って力説する頭上、テトテトラはせっせと魔鋼を運び出す。
 運び出して……
 ……ふがしにつめる。
(沢山あるね〜)
 そのテトテトラのコアの中には、ツァルベルから連れて来られた職人が乗り込んで――

 ――黒い星が、西の空に差し掛かる。
 未だ勢いの衰えない魔物の侵攻。
 二足歩行する巨大な爬虫類の怪物が地響きを鳴らし、別の魔物を相手に戦線で団子状になって魔物狩りの中へと、突っ込んでいく。
 力任せに蹴散らされる。
 ……その一歩前で。
 魔物の足元が、ひび割れ、陥没した。
 振動する見えざる衝撃が、幾重にもなって地を揺るがし、砕け液状化した地面へと片足を飲み込まれる魔物。
 直後、固まっていた魔物狩りらが、一斉に散会する。入れ違うように、騎士がバランスを崩す敵を包囲、背面から一斉攻撃を仕掛けた。
 向かい風に混じる死臭。上空に静止して、ダークネスはこれでまた何度目か、息を整え、身構える。
 度重なる咆吼の行使に、喉から鳩尾にかけて生まれる、何かがつっかえたような違和感。
 警告を発しようにも、いよいよ潰れた喉から声が出ない。
 だから、彼は吼えた。無音のままに。
 振動する空気が織り成す不可視の壁に、全速力で飛行していた物体が空中でぱぁんと弾け、元の形がなんであったのか知られる事もなく、潰えていった。
 だが、一方で。
 違和感は鈍い痛みに変わり、次第に内側が熱を帯びて、焼けつくような感触を生む。むせ返りそうになるのを無理矢理押さえ息を止めれば、血潮が脈動する感触が妙にくっきりと感じられた。それから数秒遅れて、口の中に広がる、鉄の味。
 その体を、空から降る紫の雨が貫いてゆく。
 途端に、薄れていく痛み。
 違和感こそ残ったが……上の奴も、エネルギーが残り少ないのだろう。これだけの人数の回復をほぼ一機で賄っているのだ、無理もない。
 礼は後回し、ダークネスは視線を向ける事もせず、上空の機影に片手を軽く掲げるに止め、前方の景色に集中する。
 上空では、そんな彼の小さな挙動を認めつつ……スゥイが後部の駆動部を開き、サブアームを二基ほど準備し始める。
『残量がまずいな。途中で主砲使いすぎたか』
「主砲は使えますか?」
『一回だな。二回には足りない』
 レーザーの小回復で庇いきれない疲労や負傷を抱えている者も、そろそろ増えてきているはず。ここで一度、主砲による大規模な回復で、体勢を立て直したい。
 渓谷の向こう、左右に聳える山に徐々に隠れ始めた巨星を見やり……決めた。
「使いましょう」
『信じるぜ、相棒』
 幾度目だろうか。深い渓谷に響き渡る、駆動音。
 剥き出しになった砲が、紫の光を――
 ――その刹那。
 後方、砦よりも更に後ろ、魔都の方向から、強い魔力が迸った。
 機動生命体以外、魔力を感知することの出来る地上人は皆一様に、濁流のような強い圧力を感じ、動きを止める。
 そして、皆は見た。
 防護門の前方を薄いヴェールのように包む、魔力の壁を。

 障壁――守護塔の復活に、全員撤退の檄が飛ぶ。
 負傷者から迅速に、障壁の内側へと雪崩れ込む。
 疲労の浅い者は殿を務め、最後まで魔物の体力を削ぎ落とす。
 やがて、騎士も魔物狩りも全部が、障壁の内側への退避を完了させる。
 誤爆の心配のなくなった戦場。吠は漸く役に立てるとばかり、行く手を遮る障壁を力任せに殴りつけている魔物へと、光を解き放つ。
「これでレベル2くらいにはなったかな?」
 通り過ぎた光の跡には。
 消炭になった魔物の残骸だけが、取り残されていた。

 ――魔都スフィラストゥール騎士団、報告書。
 魔物大侵攻に対する、防護門前都市防衛戦、被害状況。

 軽傷・多数。
 重傷・多数。
 死者・なし。

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