黄昏幻日
第一節
 明け方、東の地平線が白む頃。
 魔都スフィラストゥールで随一の最高度を誇る高層建築、『東の塔』に灯されていた明りが、夜明けの光に役目を引き継ぐように、次第に弱まってゆく。
 今は、その近くにもう一つ。
 『ふがしのとう』という仮称を得た二つ目の高層建築――東の塔と同じ外観、同じ高さを有す、魔都の新しいランドマークもまた、昇る陽光と引き換えに明りを落とす。
 明りが消えた後も、東の塔は本来の役割……守護塔として、魔都を覆う障壁を張り続けている。対するふがしのとうは、外観こそ似ているものの、『ふがし』の名が表す通りに中身はすかすか。設置されている装置らしい装置といえば、比較的に用意の簡単だった『照明装置』だけで、今の役目は精々が特大夜間照明といった所だろうか。
 夜間に見間違わぬようにという配慮なのか、惑星ティーリアの太陽に似た白っぽい光を発する東の塔に比べ、ふがしのとうが発するのは柔らかな山吹色。
 東から差し込む本物の太陽二つの光に圧され、順番に消えていく明り。それをやや遠く見遣りながら……八百屋のおやじは、正面隣斜向かいの見慣れた顔ぶれ共と、朝一番の世間話。
 そういやあいつ、ここんとこ見掛けないが、何処をほっつき歩いてんだろう――ごちる視線が向けられた先には、すっかり光を失ったふがしのとうのてっぺんが、遠く屋根の向こうに覗いている……

 山越えの乾いた西風のせいで、雪こそ降らぬものの。魔都の位置する西方大陸は、気候としては比較的に涼しい部類。気温の上がる日中は過ごし易く、若干の乾燥が気に成らなければ、住環境としては良好な部類である。もっとも、魔の領域が山向うにあるという物騒さが、気候より気になる部分ではあるが。
 それでも、まだ気温の上がらぬ明け方に、絶え間なく吹き込む西風に身を晒せば、流石に寒く感じることもある。
 ふらり気侭に魔都を発ち、北へ向かう乗り合い馬車に揺られること一夜。
 蓑虫のように包まっていた毛布から、のっそりと顔を出すアンノウン
 程なくして、牽引していた馬が嘶きと共に動きを止める。車輪もなく、浮かんだまますいすいと動く荷台は、停止の折にも軋みなく、軽い慣性を残すだけ。眠っていたならば恐らく気付かないだろう、そんな安定した乗り心地。
 御者をしていた男が告げる到着の声に、ぞろぞろと起き出した乗客が三々五々。それに交じり、アンノウンも御者に「愛してるぜー」などと礼なのか何なのか戸惑うようなことを言いつつ、ギターを片手に荷台を降りる。
 眼前に広がるのは、ややこぢんまりとした佇まいの街並みと……まだ低い陽光を浴びて波を白く輝かせる海。
 西方大陸北岸、魔都の衛星都市の一つである港町。それが今、彼の居る場所だった。
 鼻先に漂ってくる磯臭さと、寝起きの身に染みる明け方の空気。細い腕を振り上げ、欠伸をしながら伸びをする身体が、俄にぶるりと震える。
「ぶえっくしょい!」
 その姿に、先から後から降りてきた昨晩の道連れらが、笑いながら軽く手を振り別れの挨拶。こんなところでも如何なく発揮された彼の特技のお陰で、出会って一晩しか経っていないはずの馬車の同乗者らとの遣り取りは、旧知の知人の見送りか何かにも見えてくる。なお、彼の発したくしゃみが、冷えによるものなのか、八百屋のおっさんの噂話のせいなのかは、定かでない。
 アンノウンは伸びの姿勢のまま、右に左にと身を曲げ手を振り返して、やがて去ってゆく人影を見送る。そんな脳裏に過ぎる、ぼんやりとした既視感。
「ああー、何だっけな。ここまで出掛かってんだが」
 手足同様にひょろりとした首元を揉むような仕草をしつつ、港の方へとふらりと歩き出す。
 が、やがて。
 本格的に覚醒してきた意識に連れて、閃きの如く浮上してきた記憶に、ぽんと手を打つ。
「そうだそうだ、あの感じ。寝台列車だ」
 合点がいったように呟き、擦れ違う人々にはまた適当に挨拶を交わしながら進む。突然、見知らぬ相手に挨拶されて、しかも、異星人であるが故に感じる違和感に、大抵の相手が驚いたように二度見をするのが面白い。
 かくして、魔都を離れやって来た見知らぬ街。
 別段、目的地があるでなく。どこかに出かけてみるか、とふらりと出歩いていたら、乗り合い馬車を見つけ、ふらりと乗り込んで、ふらりとここまで来ただけのアンノウン。そして、更に気の向くままにふらりと足を向けた港には、漁船とは違う大型の船舶が幾つか停泊していた。家畜や物資など、荷降ろしの行われているものもあれば、逆に荷積みが行われていたり客らしき人が乗り込んでいく姿が見えたりと、これから出航するであろう雰囲気を漂わせているものもある。
 昨日馬車で一晩を共にした乗客らの話によると、この港から出る船は、東回りで西方大陸沿岸を半周するものと、中央大陸の物流拠点・始まりの街グリンホーンへ向かうものしかないという。最終目的地が他大陸の場合でも、どの道、グリンホーンを経由することになる。極稀に、中央大陸以外へ直行するものもあるそうだが……本当に極稀で、まずお目に掛かれない。従って、この港から出る船の針路は、西方大陸東回りとグリンホーン行きの二つだけ、といって相違ないそうだ。
「国内線と国際線みてえなもんか」
 自身の有する文化知識に当てはめ、理解し易いように整理しておくアンノウン。
 それにしても、こんなに長く他所の惑星に居座るのは初めてではなかろうか。あちこち好きに行き来できる時間があるのは、気紛れな彼としては喜ばしいことだ。
 さてしかし、これは乗っとくしかねえだろ、なんて思う半面。乗船料なりなんなりが必要になるだろうなあ、とも思うわけで。ぺらぺらの革ジャンのポケットには、相変わらず砂か綿埃くらいしか入っていない。まさか大型船はヒッチハイクで乗せてはくれまいし。
 ……いや、それもありか?
「やってみりゃあいっか」
 港傍の商店街、海産物たんまりの汁鍋を朝食に頂きながら、アンノウンは桟橋を離れて東へ向かい始めた船影の一つを、遠く眺め見た。

 中央大陸に差す陽射しが、徐々に強さを増してゆく。
 始まりの街グリンホーンには、今日も多くの船舶がひっきりなしに出入りしている。
 港湾に渡された大桟橋(だいさんばし)の周囲、所狭しと浮ぶ船から、絶え間なく出入りする人と物資。その中には勿論、遥か東方大陸からやって来たものもある。
 吹き上げてくる温かい海風。弧を描き張り出した岬から、聳える山へとなだらかに続く傾斜の途中、山裾の小高くなった辺りで、街並みを見下ろしマントをそよがせる人影。
 ……掬い上げるように吹く海風は、マントを大袈裟に煽り、絶え間なく翻してくれる。それゆえに、この街に措いての彼にとってのベストポジションなのだろう。何か考え事をする時、余裕がある時、特に意味もなく、嗜みとして――理由はその都度様々あれど、街中で見かけないときは大抵、沙魅仙(しゃみせん)はそこで風に吹かれていた。逆に、山裾付近に住む人々からは、最近あの人良く見かけるなぁ、と思われているかも知れない。
 ロードを自称する彼が、領民と信じて止まぬ人々を護る為、呼びかけに応じ集まった有志らと共に立ち上げた組織『ロードナイツセブン』。初めは七人だった有志――『貴志』と命名された構成員らは、今では二十名を数える。組織規模自体の成長速度は、正直な所、亀の歩みといった印象が拭えぬが……それだけ、侵略者の襲撃による危機的状況から、人々の暮らしが元のものに近づきつつあるということだろうか。貴志自体の数が増え、人員募集を行う人手も回数も総合的には増えているはずなのに、それに対しての新規応募数が極端に減少したのは確かだ。復旧目処が立ってからは特に、その傾向が顕著に感じられる。
 しかしながら一見の規模には見合わず、山岳都市ダスランから機構都市ツァルベルへの大規模魔鋼輸送を成功させるなど、ロードナイツセブンの活動自体は目を見張るものがあった。
 集まった者の中に、或いは、それらから手繰れる伝手の中に、構想を可能にする人員や協力者が揃って居たことは、幸運だったという他にない。いや、その『ツキ』すらも、生まれながらにしてのロードが備え持った資質やも知れぬ……波打つマントと、風の音を聴きながら、沙魅仙は感慨深げにそんな事を考える。
 ……斯様な具合に、彼は彼なりに思考を巡らせているわけだが。
 端からはさぼっているように見えるというか、実質的にはさぼりも同然な事もままあったりするわけで。時折、執事役の貴志に釘を刺されては、誤魔化しの咳払いをすることもしばしば。
 さて兎角。彼が今、心を寄せているのは、遥か東の果て――東方大陸は、最果ての都・碧京(へきけい)。
 大規模輸送成功のお陰で、ツァルベルへ届けられる魔鋼の『量』自体は、必要十分が揃いつつある。となると、次なる目標は『質』の向上。
 今までの生活では、愛用の銛『鳴海』で不足だと思ったこともなし、沙魅仙自身は魔具や魔器の類には然程、造詣が深いわけではない。東方大陸については馴染みがなく、碧京の話も、『噂』程度の認識しかなかったが……
 碧京で採れる魔鋼の純度の高さや、それを用いた魔具の高価さ・人気の高さは、道具に拘りのある魔術師であれば大抵は知っており、また、いずれ手に入れたいと憧れるほどのものであるらしい。高名な職人の手に掛かろうものなら、完成した魔具の最終取引価格はとんでもないものになる。また、宝石の如く透き通った碧色の美しい外観は、宝飾としての評価も高く、意匠によっては天井知らずの値が付けられることもあるとか。財のある上流階級がこぞって手に入れたがる風潮も、価格高騰に拍車を掛けているらしかった。
 何はともあれ。碧京に馴染みが無くとも、目的を達する為にはロード自ら赴くしかあるまい。
「留守は頼むぞ」
 すっかり執事が板に付いて来た蟹人外貴志にそう告げると、沙魅仙は纏うマントと、金色のメッシュが入った赤い髪を風に掻き乱されながら、街が機動生命体用にと準備した専用発着場を遠く振り返る。
 だが、そこに目当ての相手の姿はなく……思う頭上に、ふいと差す影。
(お呼びかな)
 頭の中に直接響く声に応じ、沙魅仙が仰ぎ見れば。そこには、彼のパートナーであるオペレートアームが、小柄ながらも存在感ある機影を浮かべていた。
「うむ、東へ。目指すは最果ての都」
 沙魅仙が告げると同時に、きらりと瞬くコア。
 一瞬の間に転移した沙魅仙は、浮遊感に包まれた内部で、まだ陽の低い東を見遣る。
「いざ新たな力を求め、友よ全速前進だ!」
 次第に上がって行く高度。いずれこの空をも……幾度となく過ぎる想いに、沙魅仙の心もまた、次第に高揚してゆくのだった。

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