黄昏幻日
第五節
 人が掃け、大体いつも通りの静けさを取り戻した事務所内。
 再び元の並びに戻された卓の一つに腰掛けて、アウィスがせっせと訓練予定表を拵えている。時折、窓の外を見遣ったり、天井を見上げるような仕草で動きを止めているのを見るに、事務所の上空に浮んでいるスゥイと、精神感応で相談をしているのだろう。
 そんな様子を銀の眼差しに捉え、シャルロルテはふと。
 ……そういえば、この惑星の通信技術はどうなっているのだろう。よくよく考えれば、例の置くだけ取水口は、地下水を地上に転送して汲み出しているわけだし。この惑星に来た初日の夜にも確か、来訪者らへの対応を決める為の各都市代表会談がいきなり実行されたはずだ。一体どうやって?
「ちょっといいかい?」
「はい、何でしょうか」
「この惑星って、遠くに居る相手と話す方法あるのかい?」
 アウィスが手を止めたのを見計らい、直接聞いてみる。彼女は学術研究機関とも繋がりがある様子だし、当人が知らなくても、そういった分野に詳しい専門家に心当たりがあるかも知れない。
「結論から言うと、あります」
「なんだよ、あるんじゃないか。なんで早く言わなかったんだよ。バカじゃないの?」
 別にアウィスのせいではないが、社交辞令代わりに悪態を吐くシャルロルテ。まぁいつものことだ。
「それで、そいつはそういう類のものなんだい?」
「念話の術になります。術者の能力や習熟度によって、距離や精度は変わってしまうのですけれど。近距離の念話は学院で基礎の一つとして学びますから、都市部で術師課程を修了した人でしたら、大体は使えると思います」
 都市外、辺境部では各家庭による教育が成される為、修得の度合いは解らないが……ある程度便利な代物ではあるので、集落に一人くらいは使い手が居るのではないか、というのが、アウィスの推論だった。
「ただ、行使には、話したい相手の位置を特定した上で、念話中は集中し続ける必要があります。『得意』な方であれば、集中は発動時だけで、会話の終了まで効果が持続しますけれど」
 ちなみに、基礎で習う『近距離』は、向う三軒両隣程度の、極短い距離である。正直、そんな短距離では会いに行って直接会話すれば集中する必要もないし、魔力も使わずに済むし、何より圧倒的に早いので、街中で一般人が使っているのを見かけることはまずない。
「代表者会談はそういうのでやってたんだね」
「恐らくは。会談は幻像付きで念話のできる魔器を使っていたのではないかと。転送の術で直接会合を行った可能性も皆無ではありませんが……各都市共に、襲撃による被害が出ていましたし、そんな非常時に上層部の方が都市を離れていたとは、考え難いのです」
「何でもありだね、魔術ってのは。ふざけてるんじゃない?」
 これは確実に、通信端末に相当するものが存在している。しかも、絶対、あの置くだけ取水口のように、蓋を開けるとただの箱だったり板だったりするに違いない。精々、見間違わないようにそれっぽい装飾が加えられているか、魔力補助用の魔鋼がちょろっと詰まっているくらいだろう。そんな確信めいたものがシャルロルテの中を過ぎる。
 とはいえ、先の説明の通り、距離や精度が術者の力量次第となってくる為、通信魔器の性能自体も術を施す職人の腕前に比例する。ことに、各都市を結ぶ程の距離と精度を保障するには、『念話だけ』ですら相応の腕前を持つ職人が必要となり……それに擬似映像まで付いたものとなれば、希少性や有用さから考えて、間違いなく高価な代物だ。保有できるのは都市上層部か、余程に財のある上流階級、豪商くらいのものだろう。
「ま、でもそんなのあるんなら、一からやるよりは早そうだね」
 入手難度は兎も角、通信の概念とそれを体現した装置自体があるのなら、組み合わせ次第で容易に『おはなし装置』を実現できるはずだ。更に、魔鋼と機動生命体のエネルギー源が同質であるのを踏まえれば、相性も抜群だろう。
 大長老が言った『魔鋼の精錬所』も、実現すれば構想段階で留まっている色々なものに光明が差すのは間違いないし……これは一度、オルド・カーラ魔術院とやらを尋ねて、専門家の意見を仰いでみるべきか。
「なんで職人こっちに寄越さないんだろうね。気の利かない奴らだよ」
 遠まわしに、守護塔修理の折の職人をこっちまで連れて帰ってこればよかったのに、と言っているような気もするが。かくいいつつも、早速出かける支度を始めるシャルロルテ。この所、留守番や開発作業が多かったせいで、周囲には余り動かない人という印象を持たれてしまった感が拭えないが……別にものぐさなわけではないので、動くときは結構動く。
「一筆書いてくれるかい? とりあえず、門前払いされなければいいよ」
「判りました。魔都支部宛で宜しいでしょうか。それとも、機構都市の本部へ?」
(本部行くなら運ぶぜ?)
 片鱗から状況を読み取ったのか、不意にスゥイから届く声。守護塔再生時に、院生や教諭他、住人の多くがスゥイを目撃しているのは確かだし、二人の功績を考えれば、彼の存在自体を紹介状に見立てる事も可能に違いない。
「……と、言ってますけれど」
「まぁ、魔都でいいんじゃない?」
 機構都市の本部はまだ、残りの守護塔の再建で慌しくやってるのだろうし。話を聞きにいく程度なら、近場でも十分にだろう。
 頷きを返して、真新しい便箋を引き出しから取り出すアウィス。
 ……そういえば、これは所長(仮)が出かけて自分が留守番をする構図なのか。この事務所、偉い人ほど不在になってる気がするが、何か変な力でも働いているのだろうか。そんな事を、ふと考えてみたりするのだった。

 魔都スフィラストゥール、防護門。
 門の据え付けられた砦から見遣った先、西へと続く渓谷の合間には、組み上がった新生バリケードが鎮座していた。
 そのバリケードの前では、製作者たるテトテトラが、一仕事終えたあとの一服でもするかのようにじっと浮んでいる。
 いや、じっと、と言うのは語弊があるかも知れない。テトテトラは大体いつも、円弧状の外装か、コアの填まった中心装甲かを、くるくる回しているからだ。
 そして、そのランドルト環に似た装甲の中心、紺藍に煌くコアの中には、パートナーとなったばかりのダークネスが居た。
『パートナーになるといつでも何処でもどんな時でもお話できるんだよ』
「そいつは便利だな」
 ごちるダークネスの口元から零れる、白い煙。
 一応、禁煙ではないらしいということで、遠慮なくいつもの咥え煙草でいるものの。上も下もなく重力の影響から解放される巨大な珠の内部では、煙はなんとも不可思議に漂い、かと思えばいつの間にか何処かへ消えていく。内部に煙が篭るような気配もないし、掻き混ぜられて見えなくなっているのでなはなく、本当に何処かに消えてしまっているのだろう。こうして、常に清潔さが保たれるよう、なんらかの力が働いているに違いない。
『ネスが知らないソラも一緒に見れるよ』
 ソラ――宇宙。
 惑星ティーリアの外。
 大空を羽ばたく事の出来るダークネスでも、まだ見た事の無い世界。
 先日、魔都へ魔物大侵攻という一大事をもたらした双子星。遠く巡回し続ける二つの太陽。それよりもまだ遠く、か細く輝く無数の星々。それらが浮ぶ、暗黒の空間。
 遠い世界に思い馳せ心躍らせる……ほどには若くもないし、そもそも、そんな柄でもないが――
『あ、きた』
 響く声に、逡巡に内側を彷徨っていた意識が浮上する。
 さて、そんな二人、バリケードが完成したのになぜ未だここに居るかといえば……
 俄に動き出す、テトテトラのサブアーム。その先端が、バリケードの方向へ向かって突進してくる魔物の一体へと、精密な動きで駆動し、接触する。
 刹那、接触した先端が、仄かに空色の光を発した。
 蒸発するような音がして、今までがむしゃらに走っていた魔物の身体を、光が貫いた。サブアーム先端に格納されていたレーザー砲から、零距離で放たれた光線。遠慮なく相手を貫通した空色の光は地面にまで穴を空け、一瞬で事切れた魔物の身体が、弾かれたように前のめりに地面へと倒れ伏した。胴体に開いた焼け爛れたような穴からは、数拍遅れて白い湯気が立ち上る。
『これで二匹目だね』
 言いながら、今しがた倒したばかりの魔物を、サブアームで拾い上げ……て暫く、穴の空いた部位から千切れてしまう、魔物の身体。どさりと落ちた地面に、また一つ、赤黒い染みが広がっていく。
『あれ。半分になっちゃった』
「見た目より柔らかい奴だったんだな」
 動じる様子もなく、細く煙を吐き出しながら応じるダークネス。
 ……この二人、実は、魔物を集めているのだった。
 それも、『餌用』の魔物を。
 事の発端は、バリケード作成時。テトテトラがまた、知らない事を色々と、ダークネスに質問していた時のこと。
『食べ物にも魔鋼みたいに純度ってのがあるのかな?』
「ん? どういうことだ?」
『この間ね、奥まで行ってみたんだよ』
 先日、魔の領域の奥へ行った時に見聞きした事を交え、あれこれと話すテトテトラ。
 魔物が獣を食べていたこと。
 何事か、喧嘩をしていたこと。
 コアに入れてみた時のこと。
『にくとめしの違いって何だろね?』
 確かに、不思議な話だ。単に適当な言語になっていただけなのか、意味があって区別されているのか……
『魔法使える人を食べると力強くなるの? 人は試せないけど、魔物が魔物を食べた時に強くなるのか気になるよね』
「確かにな」
 魔物の生態云々については、ダークネスにも気になる部分はある。もし、発生の原因が判り、根本から絶つことが出来るのなら、それが最上だとも思う。
 そして今なら、それも可能かも知れない。テトテトラが居れば、おいそれとは近づけない魔の領域の奥へも、容易に辿り着く事ができる。何より、本人が興味を示している。保護者としてついていくのも、個人の興味としても、探索に出かけるのは吝かではない。
「ま、試してみりゃぁいい」
『そうしてみるね』
 かくして、共食い用の『餌』を用意するべく、こうしてバリケード前に張り込んでいるわけである。道すがらに探すのも悪くはないが、必ずここを通るのなら、待ち構える方が確実だと踏んだのだ。砦への侵攻も防ぐ事ができて一石二鳥。
『あ、三匹目。話題に上げれば影ってやつだね』
「噂をすれば影、だ」
 一応の訂正を挟みつつ、今度は飛行してきた敵影を、コアの中から見遣るダークネス。テトテトラは、今度は生け捕りにできたらいいなーとごちながら、再びサブアームを向かい来る魔物へ向けて精密な動きで肉薄させる。
『でも、僕、四匹しか持てないね。残念』
「突き刺して運べねぇのか?」
 何処か尖った所にでも……と、ダークネスは何の気なしに、漆黒の瞳でテトテトラの外装を見遣る。
 灰と漆黒で構成された、円盤状の輪郭。
 その外装の一部にふと、本来ならあるはずのない棘状の隆起物が、にょきにょきと発生した。
 ……テトテトラには、そういった稼動部位は存在しない。それ所かそもそも、無敵装甲が駆動なしで、流動物のように形を変えることは、本来ありえないことだ。
 そう、つまり。
 この棘は、ダークネスが生やしたものだったりする。
 しかし、どうやら変形を実行した当人は半分無意識だったらしく、急に出てきた都合のいい部位を見て。
「ほう、いい所にあるな」
 と、他人事のように感心。
 だが、すぐに。
『ネス凄いね。こんなの出せるんだ』
「なんだ、俺がやったのか」
 テトテトラの言に、どうやら元々付いている装置ではないらしいと察し、試しに棘に意識を集中してみると……
 出たり、引っ込んだり。伸びたり、縮んだり。太くなったり、細くなったり。
 思う通りににょっきにょっき形を変える棘に、ダークネスは呼吸と共に、薄く紫煙を吐き出して。
「……ああ、成程、本当だな」
 などと、自分がやった割に、然程驚くでもなく。相変わらずの達観振りで、こういうものか、と淡々と受け入れてしまうのだった。
 そんなこんなで、都合よく生えた棘に、早速、倒した魔物をさくさくぐさぐさ。倒したて新鮮な魔物だったがために、棘の根元から滴った鮮血が、テトテトラの漆黒の装甲に薄っすらと赤黒い筋を描き出している。
 実に物騒な光景ではあるのだが、ダークネスとしては余程に不味いことでも起きない限りは放任するつもりでいる。相手が魔物となれば尚更、気に掛ける要素など微塵も無いわけで。むしろ、倒すついでに実験に使えるのなら都合よし。そんな風にすら考えていた。
 この親にして、この子あり。
 保護者の方も中々に、容赦ない御様子である。

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