黄昏幻日
第二節
 パートナー仲介事務所が置かれている宿舎、その室内を、小さな物体が浮遊している。
 拳一つ分、掌に乗るほどしかない、金属の体躯。壁に張り付いてみたり、室内照明に興味を示して周囲を何度も旋回したり、卓上にあったティーカップの上で蓋のようになってみたり……そんな気侭な動きを、勇魚吠(いさなほえり)がぱっちりした青い瞳で、何やら嬉しそうに追いかけている。
 その様子に、飽きないね、なんて嘆息交じりに零す長身――シャルロルテ=カリスト=アルヴァトロス。今、事務所内をうろうろしているこの小さな浮遊物は、シャルロルテが先日、魔鋼から作ったという手製の機動生命体だ。
「だって、可愛いやん? ね?」
「はい、とっても可愛いですよね」
 丁度、お茶を淹れてきたところを吠に問いかけられるも、利根川 るり(とねがわ るり)は慌てる様子もなく、にこにこしながら頷いて見せる。
 その脳裏に過ぎるのは、先日、パートナーになったばかりの、大長老(だいちょうろう)のこと。パートナー関係の締結に際して、身体的や精神的に何か変化があるわけではなく、実感として変わったことと言えば、いつでも話ができるようになったことくらいだが……
『ちっちゃなまるいこだよ! おぼふって言ってるよ! おそろいだね!』
 ……そういって喜んでいる大長老と、ほんのりと伝わってくるなんかいいよねに、るりも嬉しい気持ちになったものだ。
 当の大長老は、流石に事務所内には入れない為、滞在地東側――発着や待機に都合がいいため、機動生命体の多くが未だ手付かずの荒野側に停泊している――で、おにもつ運びで消耗したエネルギーの回復に、オリーブグリーンのすごくまるい機体を休めていた。
 正式名称もなく、今は『試作一号』とだけ呼ばれているちっちゃな新入り。まだほんの生まれたてだからというのもあるが、誕生の過程が本来の機動生命体と根本的に異なっているからだろう、精神感応から読み取れる思考能力や判断能力は、本来の機動生命体と比べても随分劣っているように思える。
 それだけに尚更、いろいろ連れて行って、教えてあげたいが……
(このこはうちのコアで『どうちょう』して、おぼふを覚えたんだよ。だから『うちのこ』なんだよ。壊れたら、なんかやだよね)
 無敵装甲のない剥き出しの機体、しかもあんなに小さいとなれば、流石に心配だ。
(うちみたいな装甲をつけて上げられないのかな)
「……って、おささんがおっしゃってます」
 卓にカップを並べながら、伝言するように告げるるり。
 シャルロルテは置かれたカップを銀の眼差しで一瞥して後、再び手元へと視線を落とす。
「無敵装甲かい? それなら無理だよ。あの装甲は工作艦以外には弄れないからね」
 姿勢を変えずに零す手元には、予定や設計、考察の記された紙。それは、引き続き続けられている、魔鋼の解析と、可能性探求の痕跡。現段階での目標は……とにかく、この伝言ゲーム状態を解消する為の、『おはなし装置』の開発だ。
 紙に筆を走らせる一方、卓の上には掌二面分程の金属製の板が置かれて、表面にはめ込まれた液晶版には、様々な図形や数字が表示されている。
 いでたちからして、貴族然としたシャルロルテ。羊皮紙と羽根ペンを片手に、整ったおもてを伏せ目がちに思案に耽る様は、物語に出てくるいずこかの王子様の肖像さながらだが……当たり前のように操作される液晶媒体の存在が、シャルロルテが異星から来た者であることを再認識させる。
 しかしながら、如何な天上の民といえども、こういった開発業務はシャルロルテには専門外の分野。時折、整った眉の合間に薄っすらと皺を刻んで、険しい表情を覗かせているのを見るに、結構無理をしているのかも知れない。
 意思疎通の簡易化は、るりにとっても大賛成の案件。期待感がある半面、技術的な協力が出来ない事もあり、それ以外のことでシャルロルテを煩わせてはいけない、せめて身の回りのことくらいは! と、滞在地に居る間は、給仕をしたり買出しを代行したりと、あれこれ積極的に世話を焼いていた。
 そしてまた、そんなるりの姿に、吠は「ほんとにええ子やぁ」とほのぼのとした笑みを浮かべるのだ。
 さて、吠の方はここで何をしているかといえば。
「あの機体はんと魔術師はんは見事やったなぁ……」
 試作一号を愛でつつ、ごちる脳裏に過ぎるのは、先日行われた大侵攻迎撃戦。吠が『あの』として思い浮かべているのは、スゥイ・ダーグ MAX(-・- まっくす)と、その相棒、アウィス・イグネアのことだ。
 お互いの能力を把握し、うまく力を合わせて戦っていた二人。対して自分は、臨時タッグだったとはいえ、まごまごするばかりで役に立てた気はしない。
 それに、生身のままであっても、ダークネスの活躍も見事なものだった。彼が血を吐くほどに音無き『咆吼』を繰り返すのを見て――吠もざとうくじらの人外だ、彼とはまた異なるが、超音波を発する能力を持っている。自分も何か独自に、ああいった技を生み出せないものか、肩から前に回したふわふわの後髪の片方を指先で弄りながら、そんな考えを巡らせる。
 しかし、吠の発する超音波はダークネスほどの直接的破壊力はない。単に効果を増幅しただけでは、うっかり付加された癒しの作用まで相手に届ける事になってしまう。
 何か、もう一捻り……るりが淹れてくれたお茶を啜りながら、きりっとした眉を更にきりりと吊り上げ、重ねる思考。
「……あ……上手く相手の心に作用させて催眠、誘導とか……?」
 できるだろうか、やってみたいな……でも、機械が相手だと効果はどうなのだろう。
 そのまま更に思考は深く沈み、ぶつぶつと、暫く続く吠の一人反省会。
 一方、集中力が途切れたか。シャルロルテは不意に、ふっ、と華奢な両肩を揺らし溜息を一つ。それでも、視線は手元の紙に向けたまま、卓の上に置かれた紅茶のカップに手を伸ば――おや、カップに蓋が。
「またかい? 邪魔だよ」
 いつまでもティーカップの上でぬくぬくしている円盤状の物体を、ほっそりした色い指先で軽く弾くシャルロルテ。試作一号は、かつん、と硬い音を立てて数cm弾かれると、暫くその場に空中静止していたが……そのうち、紅茶の湯気から生じた水滴をうっすら付着させたまま、何処かへと動き出す。
 その姿に気付いた吠が、笑みを浮かべながら手招きをして。
「濡れてるやん。拭いたげるからおいで」
(おぼふ。まだいた。じゃま。おぼふ。なんで。おいで。おぼふ。ぬれてる)
 相変わらずおぼふがお気に入りらしい試作一号。
 今はまだ、気に入った単語や、聞いたばかりの言葉を繰り返しているだけの様子。さっきからティーカップの上に鎮座する事を何度か繰り返しているのを見るに、何かしら気に入っている素振りはある。となれば、喜怒哀楽じみた感情自体は、ある程度備わっていると仮定できるが……その感情が覚えた言葉とどう繋がるのか、よく判っていないようだ。
(『おぼふ』っていうのはね、演算結果と実際の結果が違ったときに発する波のこと。『想定の範囲外』って意味なんだよ)
 精神感応で送り込む波長も直感的で判り易いものにして、丁寧に説明をする大長老。試作一号はそれを聞いて暫く、思案しているのか黙りこくっていたが。
(おぼふ!)
(おぼふ。その用法はおさがおぼふなんだよ)
 肯定の返事代わりに使われてしまったおぼふに、大長老もおぼふ。
 そんな遣り取りがあったとは露知らず、ありあわせで作られた外観を吠にきゅっきゅと磨かれている試作一号を見遣り……ああ、でも。あいつに言葉を叩き込めば、あいつ自身を通訳機械にできるのではなかろうか。シャルロルテの脳裏にそんな考えがふと過ぎる。そうすると確かに、多少の強度は必要か。
「そう、さっきの話。耐衝撃性の緩衝カバーくらいなら、つけてやれるよ」
(そうなんだ、やったね!)
 るりを経由して届いたお返事に、大長老の中を過ぎるなんかいいよね。惑星内をお出かけする位だったら、日常行動に耐えられる程度の強度があれば一先ずなんとかなるだろう。
 しかし、いつまでも試作一号というのも、なんかやだよね。名前をつけてあげたい、大長老の逡巡を表すように、深緑色した三つのコアが瞬くように煌く。
 【小】さな【大】長【老】で、『こたろう』なんてどうだろう。或いは、今は円盤状の簡素な形状をしているが、自分のような外装をつけて貰えるのなら、『くり』とか……
(ちっちゃいこは、どっちがいいかな。ほかのがいいかな)
(こたろう。くり。おぼふ。ほかの。……くり)
(くりがいいのかな? じゃあきみは『くり』だね!)
「……バカじゃないの?」
 数分のち、「名前が『くり』に決まった」という伝言に、迷わず口癖をお見舞いするシャルロルテ。
 動物型か人間型に出来たら皆喜ぶだろうか、なんてぼんやりと考えていただけに、『くり』はかなり意表を突かれた。まさかの植物。
 これは、外装をいがぐり状にするべきなのか……?

 そんな遣り取りが成されている所へ。
 事務所所長でもあるアウィスが、滞在地に留まっている参戦希望者、そのうち数名を引き連れ戻ってきた。概ね、一度は見た顔であるが……中に数人、見慣れない者も混じっている。
 戻ってすぐ、アウィスは色々と作業をしているシャルロルテに。
「少し騒がしくなるかも知れませんが、大丈夫でしょうか」
「ここは君の事務所だろ。何を気兼ねしてるんだよ、バカじゃないの?」
 絵に描いたように不遜な物言い。
 初対面ならむっとするところだろうが、慣れてくるとこれが、ああ、いつものシャルロルテだなぁ、なんて思えてくるから不思議だ。
「はい、ありがとうございます」
 アウィスも慣れたもので。品の良い会釈を一つ返すと、何やら、やって来た者達と一緒に卓の並び替えを始める。力仕事ならお任せとばかり、るりも直ぐに手伝いに回る。
 やがて、受付用と、雑務用の物を残し、円を描くように並べ直される卓。椅子は卓を更に囲むように配置され、全員が内側に向いて席に着く形が出来上がる。
 早速、アウィスが着席を促すと、どやどやと好き勝手に埋まっていく座席。しかしながら、対立とまでは行かずとも、互いに自尊心や対抗心があるのか、誰の対面に座るかをさりげなく吟味していたり、席と席の間に微妙な隙間の差が生まれていたり。
 とりわけ、新顔で少し雰囲気の異なる二人組を、席に着いた誰もが気にかけている様子。それもそのはず、彼らは魔都の騎士団から出向してきた現役の騎士。守護塔が復帰した事によって防衛負担が緩和されたことを受け、手透きになったところを志願してこちらにやってきた者達なのだ。一度は有事を共に切り抜け、祝賀会で一緒に騒いだ仲とはいえ、魔物狩りからすると「負けてられねぇ!」といった意識が働いてしまうのだろう。それが、互いの座席位置や、着席時の微妙な距離差に現れている。
 水面化で静かに飛び散る火花に、何故か傍観位置なのに緊張してしまう吠。
 一方、渦中のアウィスは気にした風も無く。すっと立ち上がり、細い銀のフレームを指先で押し上げ位置を整えると、眼鏡越しの視線で一同を見回す。
「先ずは呼びかけに応じて頂いた事に感謝します」
 育ちの良さが垣間見える上品な一礼。着席のまま礼を返す者もあれば、腕組のままふんぞり返っている者もあるが……数年間、魔都に席を置いて魔物と戦ってきたアウィスにすれば、騎士と魔物狩りの威圧対決は割と見慣れた光景だったりするわけで。あからさまに挑発したり罵声が飛んだりしない限り、進行に支障はない。
「本題に先立ちまして。業務拡大に伴い、当パートナー仲介事務所を、本日より、正式な侵略者対抗組織として立ち上げる旨を宣言したく思います」
 穏やかながらも堂々としたその物言いに、沙魅仙とはまた違う威厳を見た気がして、吠は素直に感心して思わず拍手を送る。
「あんた凄いなぁ! こないだの戦いもお見事やったけど、なんとか塔やっけ、それ直すときも相棒はんと頑張りはったんやってね? それに、こういうのんて、思いついても中々できへんやん。凄いわぁ!」
「ありがとうございます」
 段々と早口になっていく吠に、物腰柔らかに応じるアウィス。そんな彼女へ、自主的に、或いは吠に釣られてと、集まった者達からもばらばらと拍手が送られる。
 直接見えはせぬまでも、事務所上空で内部の様子をなんとなく察したスゥイは、相棒の手腕に誇らしげな気分だ。
 さて、些か仰々しい組織設立宣言をしてまで、何を始めるつもりなのかといえば。
(集まったヤツらと、訓練をやろうと思ってるんだ)
 いずれ来たる、侵略者との戦い。時期は定かでないにせよ、文明を破壊し、蹂躙する者達との対峙が避けられないのは、機動生命体であれば誰しもが知っている。何故なら、彼らは本来『そのため』に生み出された存在なのだから。
 また、宇宙放浪中に幾度となく退けた追跡者らとは違い、惑星襲撃には相応な戦力の投入が予測される。蜂や蟻の如く、上位系統から一貫して統率された動きを取る機動生命体の『部隊』に対し、スゥイらのような離反勢力は各個人の意志で個別に行動している。まぁ、敵の中にも、隊から外れてスタンドプレーを始めてしまう自我の強い奴も居たりはするが。
(いきなり実戦だと、危なっかしいヤツも居るからな)
 オマエ達も協力頼むぜと、滞在地東側で休んでいる機動生命体らに、精神感応で呼びかけるスゥイ。
(やる気のあるヤツを見つけたら、どんどん訓練に誘ってみてくれ)
(わかったんだよ。がんばりたいこ見つけたら、おにもつといっしょに運んでくるね)
(いいよ〜)
 今は何処で何をしているのか、滞在地に姿の無いテトテトラからも、軽く返事が返ってくる。
 そんな具合に、スゥイが同胞に根回しをしている間。
 定期的な実施による錬度の上昇は勿論、集団での共闘を想定していることや、指導者を割り当てることで効率化を図るなど、現段階で構想している様々な提案をアウィスが皆へと説明する。
 そして、出された提案の中、特に注目を集めたのは。
「当面は、私のパートナー機が実習教官を努めますが……訓練内容や資質を考慮して、自選他薦、または組織の内部外部を問わず、有能な方を積極的に『指導者』として抜擢採用していきたいと考えています」
 今ここに着席して話を聞いているのは、「今後行う訓練について話があるので、代表で何人か付いて来てください」、そんな呼びかけに応じて集まった者達で、滞在地で過ごすうち自然と出来上がった有志らの小集団、そのリーダー格が半数を占める。残りはやる気のある一匹狼であったり、興味本位で着いてきたり、騎士と同じく何処からかの出向であったりと、ばらつきはあるが……
 リーダーになるような気質を元から持っている者にとっては、箔がつくのは願ってもないこと。他の者より優れている事が容易に判別できる『指導者』という立場が、魅力的に映らぬはずも無い。
「指導者を交代制にすることで継続的な訓練の実施が可能となり、実施回数が増えることによってスケジュール調整が容易となれば、より多くの参加者が見込めるはずです」
 そんな説明の間中、会議を始めた当初より断然目つきをぎらぎらさせ、真剣に話を聞く者が続出、やる気になっているのがありありと伝わってくる。最初の訓練で格の違いを見せ付けて、指導者一番乗りを果たしてやるぜといわんばかりだ。
 流石に、そこまでのぎらぎらしたものは無いにせよ、実践的訓練実施の話は吠にとっても願ったり叶ったり。何ができるのかという悩みはあるにせよ、湧いてくる好奇心と高揚感に胸が躍る。
 そして、一頻りの説明を終えた所で。
 アウィスは不意に居住まいを整えると、改まった様子で告げる。
「今後の有事の際は、私も戦闘員として前線へ出る覚悟でいます。訓練計画の管理や平時の雑務は今までどおり行いますが、組織の長としての立場からは退き……新たに、最高責任者として、そちらのシャルロルテさんを推挙したいのですが、いかがでしょう」
 整った所作でアウィスが掌で促すと同時に、一斉にシャルロルテへと集まる視線。
 まさかの突然の名指しに、当人は珍しくきょとんとした様子で、銀の瞳を瞬いている。
 ……確かに、今までを振り返ると。
 アウィスが出かけている間は、事務所で留守番をしていたし。
 魔鋼解析などの後方支援的な性質の作業を行っている手前、有事の際でも前線に出て不在、ということはなさそうである。
 滞在地に駐留している者達には、シャルロルテのそういった状況は周知であり、列席者からはそれは適任だと言わんばかりの雰囲気で以って、一様に歓迎の拍手が……!
 己より優れたものは無いと豪語するシャルロルテからすると、褒め称えられるのは悪い気分ではない。期待されているなら尚の事、やってやらなくもないという気にもなる。
 だが。
 こんな状況でシャルロルテが発する言葉は、一つしかない!
「……バカじゃないの?」

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