黄昏幻日 |
第三節 |
一先ず、話の内容が具体的な訓練計画へと移り変わる頃。 魔都防護門のある渓谷、魔の領域の入り口でもあるそこで、灰と漆黒の巨大な円盤状の体躯が器用に瓦礫を積み直していた。 渓谷を塞ぐ、瓦礫で出来たバリケード。先日の魔物大侵攻の際に構築したものだが、襲撃に際して穴があけられ、そこから崩れたりと、物理防壁としては既に機能しなくなっている。 その残骸を回収して、せっせと修繕しているのは……バリケードを拵えた当の本人、テトテトラだった。 後方、砦で哨戒にあたっている騎士らが向けてくる視線を浴びながら、形の替わった瓦礫を入れ替え組み換えと、順調に作業を進めていく。絶え間なく等速で動きつつも、行う作業は各自ばらばら、見ていて飽きない動きを見せる四つのサブアーム。 (この間の人来ないかな) そうして作業しつつ思うのは、先日バリケードを作った折に出逢った一人の男。 漆黒の瞳に眼鏡を掛け、無精髭を生やした口元には咥え煙草。着崩した黒い軍服の背からは、艶やかながらも夜に沈む深い色を備えた漆黒の翼。短い髪を向かい風に掻き乱しながらも、広げた翼に風を受け、滑らかに宙に浮かぶ長身――が、紺藍のコアの表面に映り込む。 (あ、きた〜) 回想している間にやって来た、『この間の人』ことダークネスに、テトテトラはご機嫌な様子で、コアを囲うランドルト環状の中心装甲をくるくる。 滑らかな回転は、遠巻きに見ればどこか可愛らしくもあるが……45mの体躯を支える装甲の駆動は、間近で見るとかなりの迫力。しかし、どこか達観した感のあるダークネスは、別段驚くでもなく、どちらかというと感心したような眼差し。 が、それは然程長い時間でもなく。黒衣の長身を映す紺藍の球体が瞬いたかと思うと、ダークネスの姿はコアの内部へと、一瞬で移動していた。 こいつには毎回、声を掛ける前に収容されてるな。ダークネスがそんな事を考えていると、先日聞いたあの幼さを思わせる声が、紺藍の球体内部に響く。 『助かったって言ってたよね。復活しておくよ』 「俺も丁度、新しいの頼もうと思ってた所でな。手間が省けた。助かるぜ」 相変わらず唐突な物言いだが、先日同様、ダークネスは動じる事も無く。むしろ、二度目ともなると想定の範囲内。それに、彼自身が幾つか思うところがあって、機動生命体、ではなくテトテトラ個人を探していた事もあり、今更動じる要素は無いに等しいのだった。 さて、彼のその『思うところ』なのだが…… ……不意に、組まれたバリケードの上に現れる気配。飛行型の魔物だ。 『上は駄目だよ』 ごちながら、サブアームの一本をくねらせるテトテトラ。動き自体は、人が羽虫を叩き落とす挙動を髣髴とするが……その威力自体は、戦闘経験がそれなりに豊富なダークネスですら、滅多とお目に掛かれない程のものだった。 真上から、真下へ向けて、振るわれたサブアーム。ぺちん、などといった擬音が似合う有様でバリケードの向こう側へ、文字通りに叩き落とされる魔物。その身体は凄まじい速度で地面と衝突、余りの衝突に耐え切れず「ぱしゃっ」という水音を立てたかと思うや、一瞬で真っ赤な液体へと姿を変えていた。 『柔らかいね。硬いのもいる? ふしぎ不思議〜』 そう、これが。 この、無邪気故の残酷さこそが、ダークネスの危惧するところだった。 好奇心の塊のようなテトテトラ。先日も魔物を解体したりと、興味の趣くままの行動を見せていた。こうして言葉を交わしてみても、何処かしら危なっかしさを感じるのに、物言わず物騒な行為に及んでいる姿は、脅威以外の何物でもないだろう。一般人なら尚更に。 「お前には、躾が必要みたいだな」 『じめじめ? お水必要? 濡れてたほうがいい?』 「……それは湿気だ」 本当に、どでかいお子様だ。実年齢を知れば、また印象も……否、細かい事には拘らないダークネスのこと、知ったところで「そういうものか」と思う程度だろう。 「保護者になってやる、といえば判るか?」 『じゃあパートナーになるんだね。いいよ〜』 なんとも緊張感の無い流れで、さらりと結ばれるパートナー契約。 テトテトラとしても、いきなりコアに招いてもそわそわおろおろせず、質問に的確に受け答えをしてくれた彼には、大変興味があった。また色々と話が出来れば良いと思ってもいたし、バリケード作成も半分は彼が来ないかと期待してのものだっただけに、ダークネス側からの申し出は渡りに船だ。 『そういえば名前聞いてなくて、言ってない? 工作艦のテトテトラだよ。よろしくね』 「俺はダークネス。ネス、と呼ぶ奴も居る」 そう、彼が告げた直後。 軍服を纏うダークネスの輪郭が、俄に変化を始めた。 無精髭をそなえた面持ちは、鈎の如く曲がった鋭い嘴を具えた鷲のものへと変わり、肩や胸に生え揃った翼と同じ漆黒の羽毛が、着崩した軍服の胸元から零れ出る。両腕は鈎爪を具えた猛禽類の脚へと変化を遂げ……靴を履いている手前、少し判り辛くはあったが、元々筋肉質な両脚は、更に力強さを感じさせる獅子のものへと変わる。 物心ついた頃から、人型で生活してきたダークネス。その本来の姿を知る者は、然程多く無い。 この姿へと立ち戻るのはいつ振りだろう――逡巡と共に、着衣の裾から伸びる獅子の尾を揺らしつつ、其処に姿を現したのは、漆黒のグリフォン。 「これが俺の本当の姿だ。ちゃんと覚えとけよ」 『うん、覚えた』 ほんの一瞬の出来事。テトテトラが応じる頃には、ダークネスの姿はいつも見る眼鏡と無精髭の長身に戻り、漆黒の翼だけがその名残を物語る。 何事もなかったかのように、ダークネスはいつものように煙草を咥えると……はたと、思い出したように。 「中は禁煙か?」 ところは再び、新所長(仮)が誕生したような気がする事務所。 訓練日程などを話し合っているのを横目に、シャルロルテは自身の作業を続ける。遠隔操作しているのか、卓に置かれた液晶版の画面を触るたび、事務所隣に建てられたラボという名の機材置き場から、音が聞こえたり、聞こえなかったり。 隣のラボや、今居るこの事務所は、テトテトラが建てたもの。器用でお仕事も速くて素敵です、と感心したように零するりの脳裏に過ぎるのは、そのテトテトラが魔都に拵えた『ふがしのとう』のこと。 「あれにも魔鋼を設置すれば、守護塔として活動できるのでしょうかね」 先日、ダスランから大長老が運んだ魔鋼は、東の塔の修理に回されて殆ど残っていないらしい。一旦はテトテトラがふがしに詰めた加工前の魔鋼も、街の他施設再建に回される予定で運び出されてしまったらしく、ふがしのとうが正式稼動に漕ぎ付ける目処は立っていない。もう一度ダスランから運んでくるのも悪くは無いが……純度の高いものが用意できれば、もっと素早く完成に近づけることが出来るのではないだろうか。 それに、そういった純度の高いものが手に入れば、シャルロルテの魔鋼解析もより進んで、見えない所で関連があるらしい機動生命体達のことも、もう少し詳しく判ったりするかも知れない……そんな期待と展望が、るりの中にはあった。 大長老も高品質な魔鋼の入手には思うところがあるようで。 (魔鋼の精錬所とか作れたら、この先みんな便利なのにね) 職人さんの『必殺技』で、精製はできないのかな。そんな風に言う大長老……の言葉をまたるり経由で聞いたシャルロルテは、何か閃きかけたのか暫しの長考に入る。 (あっ。るりさん、おでかけできるよ。おまたせなんだよ) 「はい!」 エネルギー充填が終わった事を告げる大長老に、るりは大きな頷きを一つすると……思案中のシャルロルテを邪魔をしないように、そっと新しい飲み物とお茶請けだけを用意して、事務所を後にする。 くりも気紛れにふわふわと後を追いかけようとしていたが。 「きみはお留守番。お出かけは外装ちゃんと着けてからにしときね」 (おぼふ) 吠にひょいと捕まって、思わず発せられたおぼふに、大長老の中に広がるなんかいいよね。 『おぼふちゃんと使えたよ、えらいね!』 吠に捕まったことを「予想外」と感じ、おぼふを使ったくり。 そして、そんな大長老から感じる、柔らかく温かい感情に、るりはまた顔を綻ばせる。 『人がよく言う『親』って、こういうかんじなのかな。よくわかんないけど、なんかいいよね!』 「早く一緒にのりのりできるといいですね!」 『るりさんのお手伝いもいっぱいするよ。だって『うちのこ』だからね! おさといっしょに、もりもりがんばろうね!』 そんな会話を交わしながら、みかん色の噴炎を吐き出し、上空へ浮上していくすごくまるい機体。 目指すは東、最果ての都・碧京。 地図上で見る限りは、ごく近い位置にすら見える、魔都と碧京。 しかし、惑星ティーリアの住人にとっては、『西回り』の航路は常識の範囲外。西方大陸よりも西、そして、東方大陸より東には大海洋が広がり、その大海洋に存在する『奈落の口』と呼ばれる海の裂け目が、両大陸を隔てているからだ。 惑星ティーリアを南北に極地から極地まで貫き、線でも引いたように黒々と沈む大海溝『奈落の口』。深さが知れぬのもさること、周辺に発生する不可思議な潮流によって、そこを超えようとする船舶は瞬く間に黒い裂け目の中に吸い込まれてしまう。その勢いたるや、海洋生物ですら抗う事が難しいらしく、海生の人外の徒であっても『奈落の口』がどうなっているのか知る者はないという。 また、地図上だけなら、海を跨いで真っ直ぐ行けば良いように見える各大陸間にも、複雑な潮の流れが存在している。気流も横断航路には適さないものが多く……これらの奇妙な現象は『奈落の口』の異常な吸水力に起因しているに違いない、というのが船乗の間での定説だ。もっとも、実際の関連や詳細は明らかになっていないのだが。 兎角、流れに逆らうには潮流や風の影響を受けない特殊加工の船を用意せねばならない。そういった特別製は極端に値が張り、伴って、数も極僅か。素直にグリンホーンを経由する航路を使う方が、安全かつ安上がりなのである。 だが、空どころか、宇宙すら自由自在に航行が可能な大長老ならば、潮流や多少の気流など無関係も同然。魔都からの『西回り』で、碧京を目指す事は容易い。 それだけに、空を使って各都市を繋ぐ航路があれば、きっとみんな便利だろうにと、大長老は思う。 ロードナイツセブンが請け負っている、ダスラン・ツァルベル間の大規模輸送も、実の所は大長老の『おにもつ運びのおてつだい』が生命線。採掘量の飛躍的増加は、沙魅仙がパートナーとして選んだオペレートアームが工作艦であったことに由来するし、ダスランでの採掘許可等交渉が上手く行ったのも、事前に救援物資として魚介類を届けた実績から、現地の人々からの感情が好意的に転じていたという側面もあり、『交渉』や『準備』の部分についてはロードのお手柄と言って相違ないが……大長老による輸送はどちらかといえば外注に似た性質。艦内積載量がかなり大きいこともあり、ツァルベルへの『おてつだい』は一日ないし二日に一回くらいで十分とはいえ、大長老本人としては自分が宇宙に出るなどで『留守』にする場合でも、みんなが不便にならないようにできればいいなと思う。それは、おにもつ量の多いグリンホーンや、砂漠商都シェハーダタに対しても同じ。 『空の定期船って、どうやったら作れるんだろうね?』 「空の、ですか?」 深緑のコア越し、初めて見る大海洋の景色にぱっちりした紫の瞳を輝かせていたるりが、後ろで結んだえんじ色の髪を揺らして首を傾げる。 「台箱でしたら、私も良く利用するんですが」 惑星ティーリアには、車輪の無い浮遊する荷台が普及している。が、牽引には馬や牛など、地に脚をつけて移動する動物が使われるのがもっぱら。単に浮んでいるだけなので、押したり引いたりで簡単に動かす事が出来る分、強い風には弱いという欠点もあった。 つまるところ……それらを克服した、大型で、自走し、風に強い乗り物とは、先の潮流と気流を受けない特殊加工船と同等のものとなり、採算等諸々の問題から普及に至らず、という具合なのだ。これに加え、山越えまで出来る高度航行能力を付与するとなると、実現難易度は更に上がることだろう。 なお、『個人』が己の術を駆使して一人で山を越えたり海を跨いだりは、然程珍しいものでもない。腕の立つ魔獣狩りの中には、そうやって世界を渡り歩く者も居る位だ。もっとも、距離に比例して魔力の消費も大きくなるため、実行可能なのは移転系統の術を『得意』とする者に限られてくるが。 「やっぱり、大きな物になってくると、守護塔のように専門の職人さんや、沢山の魔鋼が必要なんじゃないでしょうか? 乗り物ですから、操作をする人もですね」 『そっかあ。おさができるのは、魔鋼いっぱい運ぶおてつだいだから、ほかのことはできるこを探さないといけないね』 「私も、そういう人を見つけたら、おささんにお教えしますね」 『ありがとうなんだよ!』 シャルさんにも、後で相談してみよう。おにもつ運びのおしごとを引き受けているシャミーさんも、何か知っているかも。 そんな考えを巡らせているうちに。 広い海原の中にぽつりと浮ぶ、断崖絶壁に囲まれた小さな大陸――碧京のある東方大陸が、オリーブグリーンの真下に近づきつつあった。 |