黄昏幻日 |
第九節 |
海鳥飛び交う、中央大陸南端の風景。 すっかり親睦も深まったアンノウンは、執事役らしい蟹人外に連れられて、貴志の活動ついでに、観光案内宜しくグリンホーンの街中をあれこれ散策中。 「へえ、山の上にも街あんのか」 山岳都市ダスランの話を聞き、細い身体を少し大袈裟に逸らせて、聳える山並みを見上げる。 そこから、山の向こうの街――機構都市ツァルベルへの荷物運びの仕事を請けているのだと、蟹人外は北東の方角を示しながら言っていた。 「こっからじゃあ山しか見えねえや」 地図上で見れば、一塊に見えてしまう、中央大陸と北東大陸。互いが接触し押し合って作り上げた巨大な地形は、惑星ティーリアに存在する山岳の中でも最高峰。 それを除いても、中央大陸南端の山裾から、大陸の殆どを占める山岳地帯の全容が見えるはずもなく。グリンホーンの街中から判るのは、大地が傾斜を増しながら空へ向けて続いている、ということだけだ。 碌に見えもしない山並みを辿り、視線を巡らせると、遠慮なく盛り上がった山と山に挟まれ、北へと続く巨大な谷間が見て取れる。大桟橋のある港湾――沿岸部をグリンホーンの正面だとすれば、それは丁度、背面に当たる内陸方面。ダスランへと続く唯一の道。 山裾を少し登り見下ろせば、積荷を載せた荷台を動物に牽かせ、谷の奥へ進んでいく商隊の姿を、頻繁に目にする事が出来た。どの商隊にも大抵一人は物々しいいでたちの者が同行している。護衛というやつか。 傾斜が在るにせよそこそこに緩やかで、多くの人々の居住を許している山裾沿岸部とは異なり、根元から急な角度で天へ聳える山脈は、巨大な天然の壁のよう。そのうち両側から迫ってきて、押し潰されてしまうのではないか……そんな錯覚を覚える程の、威圧感を持っている。 とはいえ、まさか、錯覚に対して護衛が必要な訳もない。彼らの役割は、時折出没する魔物から、積荷と商人らを護ることだ。稀に、夜盗なども出てくるそうだが、主には魔物相手が仕事だという。 「魔物って何処にでも出んのな」 先日は双子星云々でスフィラストゥールが大変そうだったしと、少し前の事を思い返すアンノウン。魔都ほど頻繁に魔物が襲ってくることはないが、それでも、目撃情報が出たり、街の指示で討伐隊が組まれたり……そういったことが毎月数回はあることから、グリンホーンでも魔物そのものは珍しい訳ではないようだ。 倒すか倒されるか、でしか話に上らない魔物。しかし、相手は何か考えがあって襲ってきているわけでもないらしい。自然災害みたいなものか。 「やりようによっちゃ仲良くできるのかもしんねえよな」 そんな事をごちるアンノウンに向けられる、不思議な事を言う奴だ、と言った視線。 魔物は倒すもの、と頭から考えて育ち、生活してきた者達には、随分奇妙で突飛な考えに映ったことだろう。貴志の中には居ないが、魔物に親しい誰かの命を奪われてしまった者が居れば、仲良くなんて冗談ではない、と反発すらしたかも知れない。それ程に、魔物は『敵』として惑星ティーリアの人々の認識に根を下ろしてしまっている。 どの道、本腰を入れるにしても、今後の課題として後回しになるのは必定。 なお、気紛れなアンノウンが、唐突に思いついたこの件に取り組むかどうかは、また別の話である。 さてそんな、魔物山盛りの魔の領域では。 物騒な親子が、自由研究宜しく生態観察中。 眼下で騒ぐ魔物の頭上へ、漆黒の翼を羽ばたき少しずつ近づいていくダークネス。更にその上を、円盤状の巨大な機影が同じ位の速度でゆるゆると付いて行く。 (コアに入って無くても一緒に空飛べるって面白いよね) 羽ばたく脳裏に直接届く、テトテトラの声。 成程、こうやって距離に無関係に会話ができるのか。これは確かに便利だ、などと考えつつ……他所の惑星とやらには、飛行できる人種は殆ど居ないのだろうかと、ダークネスは言葉の意味に少しばかり逡巡する。 惑星ティーリアに措いても、先天的に浮遊、或いは、飛行する能力を持つ者は、少数派ではある。しかし、然るべき学術機関で魔術師課程を経験すれば、浮遊系の術も基礎魔術として習う場合が多く、ちょっと浮ぶ、くらいのことは市井の民の間でも不可能ではない。ただ、基礎しか知らない場合は――アウィスが念話の術に対して行った説明と同じく――行使に相応の魔力と集中が必要になる為、それを得意としている術者でない限りは、頻繁に使用することはない。 「他所じゃあ、飛ぶ奴は珍しいのか?」 (乗り物が無いと落ちるよ) 「乗り物か」 魔術や人外が当たり前のこの惑星からすると、何かするのに必ず道具が必要になる他所の惑星の話は、少々不思議なものに聞こえる。 とすれば逆に。異星からの来訪者らにティーリアの『常識』が奇妙に映るのも当然かと、眼下に近づいてきた異形の争いを見下ろしながら考える。 がつがつと、新鮮な遺骸に群がり、その肉を食い千切る魔物達。俄に、そのうちの一匹が、近づくダークネスに気付いて、血走った双眸で空を見上げる。喉まで裂ける歪で大きな顎に、不揃いに居並ぶ鋭い牙。滴る血肉を歯の隙間や喉に引っ掛けたまま――唸る喉の奥に不穏な空気を感じて、ダークネスの背中にちりちりとした戦慄が奔る。 咄嗟に翼を翻し、旋回して魔物の射線上から退く。その直後、吐き出された炎の帯が、先ほどまで彼が居た場所を通り過ぎて行った。 「近づき過ぎたか?」 頭上を舞う黒衣の姿を、引き続き、視線で追いかけて来る魔物。と、そんな魔物とダークネスの間を遮って、ぬっと大きな影が差した。 (ネスは駄目。餌はこっち) 伸ばしたサブアーム一本の陰にダークネスを隠すようにしながら、別のサブアームをくねらせ、持参した『餌』を魔物の前に投げ落とすテトテトラ。 (ネス達は僕らよりも短くて脆いんだよね) パートナーと居るのは面白いから、少しでも長く続くように大切にするんだ。そんな無邪気な感情を精神感応と共に届けながら、テトテトラは中心装甲をくるくると回転させる。 ……この物言いからするに、どうやら、テトテトラには過去にもパートナーが居た様子。 「前の相手はどうした?」 (天寿まっとうしたよ。体はあるけど反応が無くなるんだよね。残念) 「……そうか」 然程、様子が変わるでもなく、右に左にと装甲を回転させながら告げるテトテトラに、ダークネスは短くそれだけ返し、壁になるように動くサブアームの陰から、眼下を見下ろす。 ダークネスを見失った魔物は、新たに与えられた餌へと素直に食いついていた。身を裂き、食い千切り、咀嚼し、飲み込んでと、そこまではコアの中から見ていた時と特に変わった様子もなく。 (どう? 強くなってる?) 「特に魔力に変化は感じねぇな」 魔力感知に一層意識を集中してみても、感じ取れる魔力には別段変化は見られず。 単に、この混沌とした有様が、魔物にとっての弱肉強食の生態系なのだろうか。それにしては、今まで出会った魔物はどれも形状がてんでばらばら、全く同じ容姿と能力のものを見た記憶が殆どない。形状だけ、能力だけ、という分類でなら、合致するものも増えるが……種ごとの個体差、で片付けるには、類似件数が少な過ぎる。そこがやはり、腑に落ちない。 種が違うとすれば、繁殖は出来ないだろうし。それとも、こいつらは全部、形が違うだけで一個の種族なのだろうか。逆に、個々個別に発生しているなら、どこから、どうやって? 次第に深く沈んでいく思考。ふむ、と零した息と共に、咥え煙草の口元から溢れた煙が、流れる風に乗って後方へ吹き散らばっていく。 一頻りに考えを巡らせて後、場所を変えてみるか、と思い立った矢先。 不意に、眼下から駆け上ってくる妙な魔力のうねりに、漆黒の眼差しが険しさを増した。 めきめき、ぱきぱきと、明確な音を立てて、先ほどまで死肉を食らっていた魔物の体が、急激に変化をし始めたのだ。 (形変わったね。他に変化はある?) 「魔力量も少し変わってるぜ。一応、増えてる、か」 (じゃあ、強くなるから共食いしてたんだね) 「かもな」 だが、単純な魔力の吸収ではなく、形状の変化を伴うのは、未知の情報だ。 人外の徒であれば、自身の望む範囲で、元の姿と人型とで自由に変身することが出来るし、単なる変身であれば別に珍しいものでもない。ダークネス自身、翼だけを残して人型を取っているのだし、その気になればいつでも、どちらでも好きな姿を取ることが出来る。 しかし、今、眼下に居る魔物はそれとは様子が違う。もがき苦しむように暴れ、時には痙攣を起こし、のたうち回りながら形を変えてゆく様は、己の意志で変身を起こしているとは到底思えない。 それに、先ほどは炎を吐くだけだった魔物が、今度は体に炎を纏って、挙動の度に腕や脚から火炎を撒き散らすようになっている。これはもう変身よりも、別の姿へ生まれ変わったと言う方がしっくり来る。 「共食いが変化を誘発するのか」 だが、眼下で起きる変化は、それだけで終わらなかった。 なんと、食い散らかされて骨と皮だけになった遺骸までもが、突然魔力を発し、新たな魔物として動き出し始めたのだ。 「成程な。時々見かける、妙に生物離れした魔物は、ああやって発生してた訳だ」 (不思議ふしぎ〜) 動き出して即、骨だけの魔物と、炎の魔物とか新たな争いを始める。 骨だけで肉を食えるのか。という新たな疑念も湧いてはきたが……哀れ骨は粉々になって焼き尽くされ、奴がどうやって餌を摂取するのかは、解らないままに終わってしまった。 「にしても、遺骸まで変化するってことは、共食いが直接的な原因じゃないのか?」 一人ごちて、眼鏡越しの視線で周囲を見回すダークネス。 怪しいのはやはり、地形から感じる強力な魔力だ。 一方で、テトテトラは、一度は食い尽くされ動かなくなったはずの魔物が、再び起き出してきた事が、気になっていた。 (ネス達は、その体自体がコア? コアは心臓?) 右に、左に。首でも傾げるように、中心装甲を交互に半回転させているテトテトラ。 (自己再生能力があっても、欠けたら駄目なんだよね) 機動生命体の心臓とも言えるコア。機体部分の状態と無関係ではないが、コアさえ無事であれば体躯は幾らでも取替えが利く。それ所か、コアを複数持つ機体であれば、どれか一つさえ残っていれば、他が破損しても――稼動部が制限される場合はあるにせよ――活動そのものに支障はないし、修繕などの際に交互に一個ずつ取ったり付けたりなんて事も出来る。 しかし、生物ははそうは行かない。 脳や心臓は損傷すれば即死、なくてはならないものだ。だが、出血多量や、重度の火傷などでも死に至ることを考えれば、身体の状況そのものがコアに相当するといえなくもない。 「そうだな、どっちもコアたりうる、って感じか」 無精髭の生えた顎を軽く指先で擦りながら逡巡するダークネス。その姿を紺藍色のコアに映しながら、テトテトラは中心部の装甲をくるくる。 (死ってよくわからないけど、二度と話さないんだよね) 反応がないなぁ、どうして返事しないのかなぁ、と思っているうちに。 最初のパートナーは、骨になってしまった。 その骨も、起き上がったり、返事をしたりは、しなかった。 (魔物は骨でもまた動くんだね。この星だけ? 人も? ここに連れてきたら、また起きる?) 「起きるかも知れないが。その時のそいつはもう、『魔物』に変わっちまってるだろうぜ」 (そうなんだね。残念) 脳裏に届く無邪気な声は、いつもと変わらない。 ただ単に疑念として、死という現象に興味があるのか。それとも、離別に対して、テトテトラは特別に思うところがあるのだろうか? 頭上、己を映す無感動な紺藍色を見上げて、ダークネスは短くちびた煙草を摘んで眼下へ放り投げる。折り良く吹き上がった例の魔物の炎が、それを一瞬で消炭に変えた。 「死ってのはな、確かにもう動いたり喋ったりしないもんだ。間違ってはないぜ?」 おもむろに、胸元から新しい煙草を取り出し、今度は自ら起こしたもので火を点す。 「でも、それだけじゃない。お前さんが、この先どこへ行っても、どこまで行っても、この世界のどこにも居ないって事だ」 同じ声に。同じ顔に。 二度と。 「永遠に会えないって事なんだ」 飄然と、いつものように紫煙を風に棚引かせながら、告げる彼の記憶に。 ほんの一瞬だけ過ぎる―― 「お前さんが言う『残念』ってのは、俺達の言う『悲しい』とか『寂しい』と同じ意味なのかもしれねぇな」 瞬き一つ。瞼の裏の暗がりに、刹那に視えたものは、記憶の箱に仕舞って。 ダークネスは漆黒の瞳で、真上にある大きなお子様の澄んだ眼――テトテトラのコアを暫し見つめていた。 |