黄昏幻日 |
第十節 |
宙を駆ける体躯が、曇天の空に重ねて白い雲の糸を描く。 丸いお尻から紫の噴炎を吐き出し、魔の領域上空を駆け抜ける機影。その背を追って、様々な角度から放たれる光線や実弾兵器、術の塊。だが、それらの多くは、高速で飛翔する機体を捉え切れずに、残された筋雲を掻き乱しながら空の彼方へ消えていく。 下方に待ち構えていた機体の主砲から、天を衝く竜巻の衝撃が立ち昇る。鋭く襲い掛かる風の洗礼を、オメガの機影が巧みな空制動で旋回回避すると、標的を失った衝撃派は分厚い雲に穴をあけながら成層圏を突っ切った。 灰色に覆われた空に、ちらりと覗く青。空を巡る二つの太陽、その片方が開いた穴から顔を出し、差し込む陽光が薄い光のカーテンとなって大地にまで降り注ぐ。 『いい時間だな。今回はココまでにするぜ』 白黒二色に赤いラインのサイバーボディ――実習教官スゥイは揺らめく陽光を浴びながら、遅れてやって来たミサイルを垂直離脱で回避して、周囲に散らばる実習生や僚機らに精神感応で呼び掛けた。 呼び掛けと、徐々に噴炎を抑え空中に停止するスゥイの姿を捉え、一生懸命に飛び回っていた実習生搭乗機らも噴炎を止めて飛行を浮遊に切り替えたり、様々な駆動音を響かせて露出させた武装を仕舞い込んだり。 そんな光景をじっくりと眺め見るスゥイ。 『ダメージを受けてるヤツも居るな』 的役をしていた僚機は勿論、三次元全方位の乱戦に慣れていないこともあって、避けたつもりが自分から当たりに行ってしまったりする実習生も居た。 攻撃に使う光線や実弾、術や技の威力は最小にしてあるものの、何度も当たればそれなりにダメージも蓄積してくる。かく言うスゥイ自身も、灰色のコアに少し色味が差している様子。 『相棒、回復の術を頼む』 「はい」 頷き、軽い集中と共に、スゥイのエネルギーを魔術へと転換するアウィス。 紫色の柔らかな光線が雨の様に周囲へと降り散ると、淡く橙や黄に色づいていた機動生命体達のコアが、元の寒色に戻っていった。 その様子を、巨大な宝珠の中から見遣って……アウィスは何処か物憂げに、紺色の瞳を瞬く。 「まだエネルギーはありますか?」 『あるぜ。どうした?』 「どうしたではありません。あなたの治療がまだなのです」 言うが早いか、スゥイの武装は使わずに、変換した術をそのまま、波動のように広げるアウィス。仄かな紫に色づいた柔らかい光が球形の薄い膜を張り、スゥイ自身を包み込む。 次第に色を失い、消えていく光。その頃には、スゥイのコアから色味は抜けて、元の煌く灰色が周囲の景色を映していた。 「熱心なのは良いことですが、ご自身の状態にも留意しなくては」 『気をつけるぜ』 そんな会話を交わしながら、滞在地のある東側へ、残りのエネルギーを使って、のんびりと山越えしていく。 訓練に参加した機体も、半数程がスゥイと同じく滞在地へ引き揚げる。それ以外の機体には、交代の合間を縫って参加した騎士や魔物狩りなどが搭乗しており、そんな彼らを送り届けるべく、スフィラストゥールの方向へと移動を始めていた。 移動の間にも、色々な機体から精神感応が届く。良い経験になったという声や、今回の訓練で上手く行かなかったのか、もっと上達したいたいという悔しげな声、成果が上々だった者からの売り込みまで、色んな意見や言葉が聞こえてくる。中には、僚機からの「次は負けないぞ」といった、対抗心を滲ませたものも。 また、スゥイが自ら勧誘してきた『あらくれーず』に至っては、今回の訓練で『初見殺し』の実力を目の当たりにして、スゥイを兄貴と呼び始める奴まで出る始末。スゥイの製造年数だけ見ると、相手の方が年上だったりすることもままあるが、そこは気にしたら負けに違いない。 様々な応答の合間。アウィスは灰色のコアの内側に響いて来る、他の機体からの呼びかけに、ふと。 「スゥイと言うのは固有名詞でしょうか?」 『そうだな、一応は、オレだけの名前だ』 機動生命体には元々、『名前』というものがなく、元々付けられているのは形状としてのもの。形状が同じなら、呼ばれ方も全部同じになる。 スゥイのように母星勢力から離反した機動生命体達は、知的生命に倣って個別の名前をつけたり、パートナーや同行者に付けて貰ったり、愛称がそのまま名前に昇格したりと、形状名以外に個別の名前を持っている事が多い。 兎角、彼の名前は形状名とは別の名称であるのは、確かだった。 「……では、そう呼んでもいいですか?」 暫しの逡巡を経て、何処か意を決した様子で告げるアウィス。 勿論、スゥイにそれを断る道理もない。 『いいぜ。遠慮なく呼んでくれ』 むしろ、頼れる相棒との距離が縮まるのは喜ばしいことだ。 だから、スゥイも。 『アウィス。これからもヨロシク頼むぜ』 「は、はい」 先に名前を呼ばれて、逆に驚いてしてしまうアウィス。 思わず俯いた表情は、銀縁の眼鏡と、短く切り揃えられた金茶色の髪に翳って解らないが。 珍しくどぎまぎしているらしいことが、両耳に下がる銀のピアスの揺れ方から、なんとなく察しがついた。 「えと、あの。こちらこそ、宜しくお願いします。……スゥイ」 少し控え目に口に出しながら、顔を上げるアウィス。 それがなんだか照れ臭くて、ここがコアの中で良かった、なんて思いながら、彼女ははにかんだように小さく微笑む。 自分の相棒が、繊細な人の女性ながらに、ひたむきで熱い心を持っている事を、スゥイは誇らしく感じている。 でも、こういうところも素敵だと、スゥイは改めて思うのだった。 そうして、魔の領域から撤収する者がある一方。 魔物の変容を目にしたダークネスとテトテトラは、更に深部へと探索を進めていた。 共食いからの進化――或いは、転生――を目撃した地点から程近く。上空からの森の風景に奇怪なものを見つけ、今度はその様子を窺っていた。 うぞうぞと不気味に蠢くのは……植物。 『植物も、めしとかにくとか言ってるのかな』 「養分、水、だったりしてな」 スフィラストゥール付近では余り見かけないが、この惑星にも食虫植物は存在する。人と共に生活する人外の徒にも、植物系統を元の姿とする者が居るのだし、にくめし争奪戦に植物型の魔物が混じっているのは、特別おかしなことではない。 しかし、今、二人の関心を惹いているのは、魔物の種別が動物か植物か、ではない。 『あ、また増えた』 争う間に間に、異形の茎から、種らしき物を吐き出す魔物。かと思えばそれはあっという間に芽吹いて形を成し、新たな魔物となって争いに加わる。 その様子に気を取られていると、今度は植物魔物の花実を食い千切らんと、何処からともなく昆虫型の魔物が襲い掛かってくる。何処から来たかと、その昆虫型が飛来した方角を注視していると…… ……なんと、樹のうろに作られた蜂の巣から飛び出た『普通の蜂』の幾らかが、飛翔中に突然、魔物へと姿を変えていたのだ。しかも、変容後の容姿も、飛翔できる昆虫種であるという事以外、あまり統一感がない。 「道理で、魔物の数が減らない訳だな」 魔物ごとの繁殖に加えて、短期間で繰り返される突然変異。森に荒野に草原にと、なまじ環境に多様性があるばかりに、素材になる生物はそれこそ山ほどいる。機動生命体の戦闘力を用いれば、魔の領域に生息する生物を根絶やしにして、草木一本生えない不毛地帯に変える事も可能だろうが……スフィラストゥールがある東側の住環境にまで影響を及ぼしかねない方法を、根本的解決法として用いるのは不味かろう。 無尽蔵に変貌し、発生し続ける魔物。 それもこれも……この異常なくらいに強力な魔力が影響しているのだろうと、ダークネスは眼下に広がる紺藍越しの景色を見遣る。この付近にやってきてから、彼自身も妙な高揚感と、頭痛に似た違和感を覚えていた。こうまであからさまでは、強い魔力が体内の魔力に影響を与えていることが、直感で判る。 「人が魔物化したって話は聞いた事ないが……」 死者すら無理矢理叩き起こす強力な魔力だ。ひょっとすると、例外も起こり得るかも知れない、そんな考えが過ぎる。 原因は恐らく、ここに埋まっているとされる、純度の高い魔鋼。だが、魔器の長時間使用で調子を崩しただとか、魔鋼鉱脈のある街で異常を訴える工夫が居た、なんてのは聞いた試しがない。魔力が人に悪影響を与える事例は、暴発を除いて全く無かった。――少なくとも、今までは。 とすれば、ここにはそれらの事例を覆す程に『規格外』な代物が存在していることになる……はずなのだが。 『埋まってるのかな』 空色の噴炎を吐き出して、暫し付近を回遊するテトテトラ。 上空から見遣っても、魔鋼らしき姿は影も形も見当たらず。相変わらず、森と荒野と、争い闊歩する魔物が目につくばかり。 ダークネスは細く長く、煙を吹き出し、改めて周囲を眺め見ると。 「掘ってみるか」 ごちると同時に、くるくると回っていたテトテトラの形状が、段々と変化を始める。 外周に浮ぶ二つの円弧外装、そこから伸びる四本のサブアームが互いに絡み合い、捩れたかと思うと、螺旋を描く一つの円錐形へと姿を変える。円盤状だった外観も少しばかり細長く、掘削に適した形状へと変わっていた。 『僕、ドリル使うの初めて。面白いね』 「そうか。ま、掘るのは任せるぜ」 『判った〜』 形を変える事自体は造作もないが、慣れない装備をあれこれ動かすのは少々難しい。テトテトラも使ったことのない装備に喜んでいるようだし、場所と方向だけ示して、後は任せてしまおう……なんて考えつつ、紫煙を燻らせるダークネス。 今までのテトテトラにはありえなかったであろう、勇ましい駆動音を響かせ、回転を始める巨大ドリル。ダークネスが示した地面へと遠慮なく突き刺さり、木々を薙ぎ倒し、大地を抉り、そこで争っていた魔物達をも容赦なく荒挽きにして、細切れになった肉片を土砂と一緒に周辺へ撒き散らす。 『千切れた魔物、放って置いたらまた生えてくる?』 「植物型なら生えてるかもな。戻った時に生えてたら、片しとくか」 『はーい』 まるで雑草駆除でもするような調子で、ほのぼのと話している間に。 大地には45mある体躯を飲み込む大穴が穿たれ、更に深くテトテトラの体躯を地下へと飲み込んでいく―― ――そんな魔の領域へ、西から迫る、すごくまるいオリーブグリーン。 ちょこんと生えた角のように、みかん色の噴炎を吐き出し滞在地へ一路飛翔するのは、東方大陸での用事を終えたるりをコアに乗せた、大長老。 ……と、その『おにもつスペース』に相乗りしている、オペじいと沙魅仙だ。 沙魅仙の手には、碧く輝く鉱石が一塊。 交渉は非常に難航したものの。最終的には、おさいる、及び、機関砲の砲弾数個とで、何とか交換成立まで漕ぎ着けた。しかしながら、継続的にとは行かず。交換の締結もこれ一回のみで、手に入った量も沙魅仙が持っている、掌……の、窪みに填まる程度の塊が一つきり。 当初に思い描いていた予定とは大幅に異なるが、試練を乗り越えたという充足感なのか、魔鋼を手にする沙魅仙は何やら妙に誇らしげである。 さてしかし。手に入ったといってもこの大きさ一つきりでは。機構都市の学術機関へ寄与するのも悪くはない。だが、それだけでいいものだろうか。惑星の未来を考えるならば、寄与して終わりではなく、何かもっと有益な使い道は…… そこに浮上してきたのが、魔鋼研究中のシャルロルテの存在。 沙魅仙としても、研究用にシャルロルテへ魔鋼を回そう、という構想自体は最初からあった。加えて、るりが碧京を訪れていた目的のうちの一つが、研究用魔鋼の確保――もう一つは、ふがしのとうの守護塔化――だと知って、ならばこれはシャルロルテに託してみようかと、そんな話に行き着いた。 ロードとしては、あの不遜な物言いは気になる。しかし、高純度魔鋼の提供を申し出れば、ロードの偉大さを改めて知り、寛大な心に打たれてロードナイツセブンの門を叩くやも知れぬ……と、実は少し渡すのが楽しみだったりするとかしないとか。 兎角、収穫無しという事態は回避できた。そのことに、るりはほっとしながら、深緑のコアの中で、いつものにこにこ笑顔を浮かべている。 「これで、おはなし装置や……空の定期便も、何か新しい方法で実現出来るかも知れませんね」 『やったね! あっ、そうだ』 定期便のことを、シャミーさんに聞いてみよう。そう思い立ち、オペじいを介して精神感応であれこれと話をしてみる大長老。 流石に具体的な方策の提示にまでは至らなかったが、今までの大長老の働きに報いるのもロードの勤めだばかり、沙魅仙は同志や関係機関にも話をしてみよう、と約束してくれた。 さて、そんな会話の中で、図らずもぽろりと出てきたのが……始まりの街グリンホーンと、砂漠商都シェハーダタが、『空の物流拠点』という第三の称号を賭けて水面化で激戦を繰り広げているという噂。 『おぼふ。うちの知らないところでばちばちしてたんだね』 喧嘩をしているわけではないのだろうけれど、大長老としては皆が仲良くしているほうが、なんかいいよね。 そこで大長老は考えた。『なかよし案』を。 例えば、二つの街を回って『しるし』を一杯集めると、おまけが貰えるというのはどうだろう。 『そういうのが流行ってる星もあるんだって』 『スタンプラリーですかな』 オペじいの補足も交えてのなかよし案に、るりも沙魅仙も興味津々。特にるりは、他の惑星での文化だと言うことになんだかわくわくして、紫の瞳を輝かせていた。 『友好都市』って言うんだっけ? と、大長老も少しうろ覚えのようではあったが、何よりも、みんなお得で、なんかいいよね。 「『友好都市』と『スタンプラリー』か……」 今後、宇宙からやってくる敵に対処せねばならぬ以上、惑星内での不和を解消できるならばそれに越したことは無い。人々の平穏の為にと立ち上がったロードナイツセブンの活動にも合致するし、助力を惜しむ理由もあるまいと、沙魅仙は考える。 そうこうしているうちに、西方大陸を東西に隔てる山脈を越えて、眼下に広がるのは魔都スフィラストゥールの、広大な扇形都市圏。 山から裾野へと伸びる都市の中、一際に高く聳える二つの建造物―― 『グリンホーンとシェハーダタも、ひがしの塔とふがしの塔みたいに、並んで役割ぼんたんすればいいのにね』 そう溢す大長老の深緑のコア三つそれぞれに、遠く並び立つ塔の姿が、映り込んでいた。 |