黄昏幻日
第四節
 珍しく青空に尾を引いていた薄雲も、陽光を遮るほどに分厚くなる事はなく。
 天頂からは今日も、二つ分の日差しが降り注ぐ。
 滞在地に留まり始めて暫く。潮っけの無い生活をこんなに長く続けているのは、初めてなんじゃないだろうか。置物のように鎮座したままぴくりとも動かぬ機体、日差しを避けるようにその影の中に座り込みながら、吠はそんな事を考える。
「水っ気ないと、結構違うもんやねぇ」
 耳後ろから襟足まで、二つに結んで肩から前に回した、白とグレーのまだら髪。元々ふわふわした癖っ毛が、完全に乾ききって更にふんわり感を増している気がする。かさかさする程酷くはないが、肌もなんとなく、潤いが足りないような。殆ど無いも同然の短い袖や裾から、遠慮なく露出した腕脚を見遣って……
「また傷できてる。どこでぶつけたんやろ」
 背を預ける、物言わぬ機体へ語り掛けるように、褐色の肌に新しく見つけた小さな傷を見遣りながら、ひとりごつ。
「実践訓練やるんやけど……あ、もうスゥイはんから聞いてたりするんかな?」
 二つあるコアの片方が欠けたまま、修理もされずに沈黙を続ける駆逐艦。
 この機体が、フリド=メリクリアと呼ばれている事は、他の機体から教えて貰った。
「今ね、あたしにも何かできへんかなーて、色々考えてるんよ」
 聞こえているのに無反応なのか、そもそも聞こえてすらも居ないのか。その辺りは吠にはよく判らないが。
 超音波を増幅させて、敵味方の距離を測ったり出来ないだろうか、とか。
 乱戦時に増幅音波で動きを鈍らせて、識別しやすくできないか、とか。
 思いついたこと、試してみたいことをあれこれと、背凭れ代わりの巨大な機体へ語り掛ける。
「他は……ロードはんが接してたオペじいさんやったら、何か知ってへんかなぁ。あ、この際ロードはんでも、何か妙案浮かんでくれはるんなら、ええよね」
 沙魅仙当人が聞いたら「貴公! その物言いは無礼であろう!」と即行で反応を示したに違いない。そういえば今は何処で何をしてはるんかなぁ、なんて考えを巡らせていると。
「あのペンギン、凄く面白いね」
 ふいと聞こえた声に吠が振り向けば、腰を過ぎる程に長く伸びた漆黒の髪を風になびかせる長身。この暫くの滞在で、すっかり見慣れた感のある折れそうに華奢なシルエットに、吠はちょっぴり悪戯に笑いながら。
「所長はんやぁ」
「バカじゃないの」
 何処か冷たく整った面持ちをそのままに、即座に返す口癖。
 シャルロルテ本人は、引き受けるか否かはまだ保留中のつもりだが……周囲は既に所長に就任したもの思っているらしく、このままでは数の勢いでなし崩しに決まってしまいかねない。どうするどうなる仮所長。
「それより。相変わらず反応なしかい?」
 そう言ってシャルロルテが銀の瞳で見上げるのは、吠が寄り添うように凭れ掛かっている巨躯。
 このところ、吠は暇があるとフリドの傍であれこれ話し掛けているか、くりと遊んでいるか。現在、滞在地に居る中でフリドの様子に一番詳しいのは、彼女であると言って過言ではない。
「ん、フリドはんに用事?」
「こいつの教育係させてやろうと思ったんだけどね」
 告げるシャルロルテの片手には、くりが捕まっている。くりのほうは特に嫌がる素振りもなく、素直に捕まっているが、またおぼふとでも呟いていそうである。
「全く、これじゃ本当にただの置物じゃないか」
 そんな悪態をついている様子に……先日、フリドのことを聞いた折は、不機嫌にしていたように見えたが。あえて教育係にフリドを選ぼうと考えたのは、何か心境の変化でもあったのだろうかと、ひっそり勘繰ってみたりする吠。
「教育係かぁ。あたしにはでけへん?」
「まだ意思疎通用の装置ができてないし、機動生命体じゃないとこいつと話ができないからね。ま、そいつが無理ならおさにでも頼むよ」
 試作機を作るときはまた魔鋼持ってきてねとお願いもされているし、ちっちゃいこが増えるようなら艦内にまるいこハウスを用意したいと提案するなど、くりの存在をいたく気に掛けていることからしても、大長老なら喜んで引き受けるに違いない。むしろ、外装が着いて安全性が増せば、放っておいても大長老があちこち連れ回して自主的に教育してくれそうだ。
 兎角、無敵装甲相手では、叩いても蹴飛ばしても硬い音が響くだけ。むしろ、こちらが痛い以外の収穫があるわけでもないので、シャルロルテは細い両肩を揺らして大袈裟な溜息を零すと、再び事務所の方へと戻って行った。
 振り返らず進む背に、またねぇ、と手を振る吠。そして、華奢な背中が見えなくなるまで見送ってから、話の続きを思い出したかのようにして、背を預ける機体へと語り掛ける。
「良かったら実験の相棒に付き合ってくれへん……? 戦いに出る時じゃなくて、こういう練習でも……たは、無理かなぁ?」
 やや童顔な面持ちに、はにかんだような表情を浮かべ、背面に聳える金属の体躯を見上げる。一つ残ったコアも、相変わらず無敵装甲に塞がれたままで、何の反応もないが……吠は尚も、その傍に寄り添って。
「いつでもええんよ。やる気になったら、付き合って欲しいな」
 いつものように、自然と奏で始めた鼻歌が。
 乾いた風に乗って、東へと静かに流れてゆく。

 ――始まりの街グリンホーンに、また新しく船が着く。
 岬に囲まれた天然の港湾を、出たり入ったり忙しなく行き交う大小の船舶。大型船が一隻、荷積みを終えて湾を出たのを見計らい、護岸の一部に建てられた見張り台から様子を見ていた監視員が、順番待ちで沖に浮んでいる船へと合図を送った。
 甲板で威勢のいい声が上がり、畳まれていた帆の半分が広がり、風を受ける。足りない推力を補うように、船員の幾人かが術を行使して帆に受ける風を勢い付け、舵と合わせて船を細やかに動かしていく。
 港湾中央に張り出た大桟橋、そこから枝のように放射状に伸びる桟橋に浮ぶ、幾つもの先客の横を、船は緩やかに進む。
 色んな船舶と、そこへ乗り降りする様々な人々。その姿が景色と一緒に右から左に流れていくのを、アンノウンの黒い瞳が捉える。
「賑わってんなあ」
 船縁で潮風に吹かれながら、流れる景色を見遣っているうちに。彼の乗る船は、空いた桟橋へと、吸い込まれるように接岸していった。
 ……無銭で行く・惑星ティーリア世界一周の旅。
 などという著作が書けてしまいそうな勢いで、何食わぬ顔でここまできているアンノウン。
 そう、あれは、早朝。馬車を降りて港の屋台飯屋で朝飯を食っていた時。たまたま隣に来たおっさんに、いつも通り気紛れに話し掛けてみたら、そのおっさんは船長だった。
 無論、おっさんは最初は面食らっていた。が、アンノウンの特技はそこでも遺憾なく発揮され、何故か逆隣のおっさんや、更にそのもう一つ隣のおっさん、飯屋のおばちゃんまで加えての世間話に発展。あれよあれよと、おっさんの船に乗っけて貰える運びになってしまったのであった。幾ら初対面での会話に長けているといえ、出会ってすぐの相手を乗っけてしまうのは危機管理という面から見てどうなのだろうと思わなくもないが、何かそういった害意を防ぐ術や何やがあったりするのだろうか。
 兎角、名目上はおっさんの船の雑務係扱いで、船に揺られたり、船酔い起こしたり、おっさんやら他の乗員と勢い任せに騒いだりすること数日。彼の乗った船は、こうしてグリンホーンへとやって来た。ちなみに、雑務の割に仕事らしい仕事はしなかった気がする。適当な宇宙っぽい話が受けたので、案外それで十分だったのかも知れない。もっとも、冗談好きなアンノウンのこと、話した内容の何処までが本当なのかは判ったものでないが。
 おっさんの指示を受け、船員連中がいそいそと積荷の揚げ降ろしを始めるのに混じって、船から桟橋へと降り立つアンノウン。
「あ〜、まだ揺れてらあ」
 細身の身体を右に左に、やや千鳥足で進む姿――に、違和感を感じてか、他の船の人々が、あちこちから二度見を連発。その視線に応えるように、細い腕をひらひらと挨拶を返しまくる。
「有名人みてえじゃねえ? 気分だけだけどよ」
 他の街でもそうだったが、歩いてるだけで注目の的というのは、この惑星ならでは。人外だのなんだのが居る世界では、服装や背格好だけなら然して突飛でもなさそうなものだが、やっぱ異星人って目立つんだなあ、なんて手を振りながら思う。何が目立っているのかまでは、当人は余り判っていないようだが。むしろ、世界の愛が俺に釘付けだぜ、位の感覚なのかも知れない。
 世話になったおっさんの船から届く、帰る時まで居たらまた乗っけてやんよー、といった類の声にも、適当な感じで応答しつつ。わざとなのか、本当に揺れているのか判別のつかない飄々とした足取りで、アンノウンは大桟橋の根元、山裾に広がるグリンホーンの街へと歩みを進める。
 スフィラストゥールも都市圏が広いなりに、所によれば雑多な雰囲気もありはしたが。防護門のある西側の公営施設や、街の中心地に高層建築が目に付くスフィラストゥールの街並みに比べると、グリンホーンには物見塔だの灯台だのと言ったものが、ひょいひょいと突き出て見える程度。他の建物の高さは二階か、精々三階止まりで、全体的になだらかな眺めだ。ただ、高さはないが、一軒あたりの面積が妙に広い建築物が散見される。
「倉庫かなんかか?」
 とりあえずそういった適当に目に付いたものを目標に、ふらりと街中散策……し始めたはいいものの。
「いっけね、こっからじゃあ見えねえや」
 似たような高さが続く街並みに近づくと、目印にしようと思っていた建物を手前になった建物が隠してしまう。普通ならここで途方にでも暮れそうだが、そもそもアンノウンは特に目的があって目印を決めたわけでなく。それならまた適当な目印を決めてそっちに行けばいいやとばかり。
 ……いや、もう、目印もいらないか。適当に進もう。適当に。出会いなんてのは、行き着くところ、何処にだってあるものさと、気紛れに街中をふらふら。そして、気侭に人波に流されてゆくギターを背負ったひょろぺら男を、商品らしき荷物を抱え行き交う人々がまたぎょっとした様子で振り見る。
 そんな視線の一つ。すぐ脇から向けられた、同じ方向へ進む人の眼差しが、アンノウンの黒い瞳とかち合う。
 これは気まずい。
 ……と、思ったのは、相手の側だけで。
 アンノウンはまるで、道案内に付いて来た友人にでも話しかけるように。
「あのよ、俺、ここ来んの初めてなんだけどよ」
 至極普通に声をかけられ、えっ、と言わんばかりの顔をしている相手。
 だが、アンノウンは気にした風も無く。いつもの調子で冗談交じりの世間話を挟みつつ、別れ道まで気紛れに、並んで歩いてゆくのだった。

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